発掘!!1974-5年の コンサートパンフレット5-2 | geezenstacの森

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発掘!!1974-5年の

コンサートパンフレット5-2

 

1974年は下記のオーケストラが来日しています。来日順に、

 ハンガリー国立交響楽団  

レニングラードフィルハーモニー交響楽団  

コンセルトヘボウ管弦楽団

 クリーヴランド管弦楽団 

チェコフィルハーモニー管弦楽団 

ニューヨークフィルハーモニック

 バンクーバー交響楽団 

バイエルン国立歌劇場 

 ベルリン交響楽団(東、現ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団)

でした。

 

 ここで取り上げるのはチェコフィルハーモニー管弦楽団です。この1974年の公演は6月11日から7月1日まで行われています。同行のソリストとしてはヴァイオリンのアイサック・スターン、チェロのヨーゼフ・フッフロが参加していました。また、指揮はノイマンとコシュラーで振り分けていました。この名古屋公演はソリストは無しでオーケストラプログラムのみでした。この年はFM放送で公開録音があり、スメタナの「我が祖国」全曲が演奏されています。これは伝説の名演で今でも語種になっています。

 

 

 前年にスプラフォンから発売されたノイマン/チェコフィルのドヴォルザークの交響曲全集はレコードアカデミー賞を獲得していましたので日本コロムビアはここぞとばかりに来日記念盤を発売しています。

 

 

 ただ、帯同しているコシュラーの名前はありません。という事でコシュラーの音源を持っていた「オーパス」から急きょコシュラーのレコードが発売されます。発売元は日本ビクターでした。

 

 

 

 こちらのコンサートは1973年の演奏会でした。ロドリーゴの初来日は1963年でむ、この年は再来日の演奏会でした。この時の名古屋では珍しく中日劇場で講演が行われています。この劇場は普段は演劇やミュージカルの会場ですから演奏会で使われるのは珍しいことでした。また、この来日、ロドリーゴ自身は自作についての解説とピアノの演奏ということで、ギターはクリストファー・パーニングが演奏を受け持っていました。

 

 

 

 

 1974年を締めたのは最後の来日となった「エリザベート・シュワルツコップ」でした。これまでの3回の来日公演では、全プログラムに共通の作曲家は1人もいなかったが、今回はシューベルト、R.シュトラウス、ヴォルフの3人の作品がすべてのプログラムに含まれていました。名古屋公演はAプロで、4回演奏されています。まさにお得意の曲目を集めたコンサートと言ってもいいのですが、この2年前にも来日していて、その時は東京文化会館におけるリサイタルをFM東京の番組放送用にライブ収録していました。ただ、この時は声の調子があまりよくなかったらしく、ライブ収録して使えたのはたった1曲だけ脱たそうです。そのため、スタジオで後日撮り直すことになったそうですが、それはノーギャラで対応したそうです。

 

 

 下の曲のピアノ伴奏は何とフルトヴェングラーです。

 

 

 ドレスデンフィルの来日演奏会は1976年1976年1月6日~2月1日にありました。名古屋はギュンター・ヘルヴィッヒの指揮でしたが、もう一人ヘルムート・ヒュンヘンも帯同していました。

 

 

 

 1977年はカール・ベームは東京都大阪公演だけ指揮して後の地方公演はこのドホナーニが指揮していました。この年は2月22日の札幌公演から3月12日までの6公演だけベームで後の8公演がドホナーニでした。それもプログラムはこのシューベルト、R.シュトラウス、ベートーヴェンだけでした。この当時はすでにハンブルク国立歌劇場の音楽監督をしていてオペラもバリバリでした。その流れて日本公演に抜擢されたのでしょう。デッカのデジタル録音の第1号にこのドホナーニとウィーンフィルのメンデルスゾーンが選ばれています。

 

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続きます。