発掘!!1974-5年のコンサートパンフレット4-1 | geezenstacの森

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発掘!!1974-5年の

コンサートパンフレット4-1

 

 

 

 この回は「名フィル」の演奏会を中心に取り上げます。大学生だったこの時代は一番コンサートに通っていた時代でした。それもあってこれほどチラシがとってあったのでしょう。

 

 最初はフィリップジョーンズ+アンサンブルです。これはトランペット奏者のフィリップジョーンズが結成した。アンサンブルで1951年にさかのぼります。この時は初来日です。この1974年の来日以降は、1976年1979年1981年1983年と5回も来日いたしました。彼らの活躍はその後の金管、アンサンブルの発展に多大な影響与え、カナディアン、ブラス、東京、ブラス、アンサンブルなど続々と発の金管アンサンブルが誕生しています。彼らの編成は最初はトランペットにホルン1トロンボーン1による金管四重奏からスタートしていましたが、その後トランペット4ホルン1トロンボーン4チューバ1の金柑ジュースによる標準編成を確立しました。

 

チラシの写真はその10重奏の基本形です。この時はルネッサンスバロック20世紀の音楽などが演奏されています。

 

 

 彼らの代表的録音の中からスザートのルネッサンス舞曲です。

 

 

次からは名古屋フィルハーモニックのチラシです。最初は1980年4月16日のドイツのピアニスト、ディーターヒリンを迎えての「ピアノ協奏曲の夕」と題した特別演奏会です。演奏会に先立ちまずオーケストラでモーツァルトのフィガロの結婚序曲が演奏された後、モーツァルトのピアノ協奏曲第27番そして後半にはベートーベンのピアノ協奏曲第5番皇帝が演奏されています。1926年生まれのツェヒリンは、1949年にはリストショー50年にはライプチヒ国際バッハコンテストで優秀賞を受賞しています。初来日は、1961年のライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のソリストとして来日し、その次は1969年の文化施設及びこの1975年の来日でした。

 

 

 そのツィヒリンの「皇帝」です。このバックはザンデルリンク/ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団です。

 

 

 ジョン・チャヌ(Jung Chanwoo、丁 讃宇、1950年 - )は、在日韓国人のヴァイオリニストです。のちに東京交響楽団でコンサートマスターを務めていますが、この時はソリストとして名フィルと大フィル登場しています。指揮も韓国人の林元植です。1919年に奉天で生まれていますが、42−44年は日本で諸井三郎に作曲理論を習っています。指揮は当時法典に住んでいた朝比奈隆に学び46年には、ソウル市オーケストラの初代指揮者に就任しています。また59年にはKBS交響楽団を組織し、常任指揮者に就任しています。こういうメンバーでこういう演奏会が開催されていたとはこのチラシを見るまで知りませんでした。

 

 

 

 山岡重信氏も1970年代のに名フィルを支えた指揮者の一人です。このコンサートではオルフのカルミナ・ブラーナが演奏されています。19692年から1972年まで読売日響の指揮者を務めていましたし、その前は藤原歌劇団でも研鑽を積んでいましたから声楽にも強い指揮者でした。

 

 

 下は当時、読売日響を指揮した尾高尚忠の「日本組曲」です。

 

 

 ピアニストの仲村紘子さんはあまり名フィルとは演奏していなかったような気がしますが、この年1975年には久しぶりに来名してコンサートが開催されました。第7回のショパンコンクールで4位入賞しています。この時の優勝者はマルタ・アルゲリッチでした。また、N饗の世界ツアーで和服姿でピアノを弾いたことはよく知られています。

 

 

 中村紘子は数々のレコーディングを残していますが、小さな手で馬力のある演奏を繰り広げていました。下は講演曲目のチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番です。

 

 

 違いの分かる男として1970年代にCMでよく見かけた石丸寛氏はクラシックからポピュラーまで幅広く活躍した指揮者でした。名フィルにはあまり登場した記憶がありませんが、このコンサートは市民会館のしせゅ企画として実現しています。まさにオールマイティの指揮者だったわけです。ここでは、小生の好きなミヨーの「世界の創造」、ジョリヴェの「赤道コンチェルト」、そしてバルトークの「弦チェレ協奏曲」がずらっと並んでいます。ゴールド・ブレンドコンサートというネスレのコンサートもありましたが、石丸寛氏を聴いたのはこれが最初で最後でした。晩年大腸ガンを公表し、その戦う姿がドキュメンタリーとして放送されたのを涙してみた記憶があります。名古屋の国立がんセンターに通院されていたことは鮮明に覚えています。

 

 

 石丸寛/新星日本交響楽団で伊福部昭の「SF交響ファンタジー第1番」です。

 

 

この項続きます。