発掘!!1974-5年のコンサートパンフレット | geezenstacの森

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発掘!!1974-5年

コンサートパンフレット

 

 

 先日、断捨離をしていた書棚の中から発見した封筒の中に、1974年から5年にかけてのコンサートのチラシが出てきました。当時はようやくコンサートに行く時間もできて、ぼつぼつと出かけていました。まだ名古屋市には大きなコンサートを実施する場所がなくて、名古屋市の栄にあった愛知文化講堂にせっせと出かけたものです。ただ、年代別に分けて保管していたわけではないので順不同です。

 

 気になったものを中心に取り上げてみましょう。

 

 

 これはチラシに1976年と謳ってあります。普通は年号は書いてないので調べる時不都合があります。この年は3回めの来日です。まあ、当時はヴィヴァルディの「四季」ブームでしたからコンサートにはサイゴンこの曲はほぼ組み込まれていました。ただ、この来日時には別のプログラムもあり、もう一つのプログラムはオールバッハで、ブランデンブルグ協奏曲第3番、第5番、第6番、そして管弦楽組曲第2番がプログラムを飾っていました。小平元は朝日新聞だったようで地元の系列の名古屋テレビも主催に名を連ねています。この時は1972ネカにオープンした市民会館の大ホールでの演奏でした。シュトゥットガルト室内管弦楽団の編成はヴァイオリン8人、ヴィオラ4人、チェロ3人、コントラバス1人の計16人編成のでしたから、2200人収容のホールですから4階席などから見ると豆粒のようなステージだったでしょうなぁ。

 

 

 こちらは日付から推測すると1975年の来日公演のチラシのようです。ヴァイオリンのピーナ・カルミレッリは1973年から1986年までは、このイ・ムジチ合奏団のコンサートミストレスを務め、その後1979年からはフォーレ五重奏団のメンバーとして活躍していました。この来日時にはまだ、カルミレッリの「四季」の録音は登場していませんでした。彼女のどくそうによる「四季」は1982年に登場しています。ですから、この来日当時は本来はサルバトーレ・アッカルドがリーダーだったのです。そんなことで、彼女の肩書きは特別参加ということで紹介されています。イ・ムジチ合奏団演奏による『四季』は1995年時点の日本において、6種の録音の合計で280万枚を売り上げています。特に3回目の録音(ロベルト・ミケルッチ独奏、1969年)は日本で初めて、クラシック音楽でのミリオンセラーを記録していました。

 

 

 1977年のウィーンフィルの来日公演のチラシです。今回チラシを見つけて驚いたのはこの年はベームとこのドホナーニが分担して指揮をしています。データで確認すると、前半はこのドホナーニが指揮して後半をベームが指揮したようです。

 

 指揮

ドホナーニ

 シューベルト

交響曲第7番ロ短調「未完成」

 R・シュトラウス

交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」

 ベートーベン

交響曲第7番イ長調
 2月22日 札幌  24日 福岡  25日 広島  26日 名古屋  3月7日 金沢    

 

 指揮

ドホナーニ

 シューベルト

交響曲第7番ロ短調「未完成」

 ワーグナー

楽劇「トリスタンとイゾルデ」より「前奏曲と愛の死」  (シリヤ)

 ベートーベン

交響曲第7番イ長調
 3月1日 東京文化会館  8日 大阪フェス

 

 指揮

ベーム

 ベートーベン

交響曲第6番ヘ長調「田園」

 ベートーベン

交響曲第5番ハ短調
 3月2日 3日 NHKホール  9日 大阪フェス

 

 指揮

ベーム

 ベートーベン

交響曲第2番長調

 ベートーベン

交響曲第3番変ホ長調「英雄」
 3月4日 NHKホール  

 

 指揮

ドホナーニ

 シューベルト

交響曲第7番ロ短調「未完成」

 R・シュトラウス

交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」

 ベートーベン

交響曲第7番イ長調
 3月5日 新潟

 

 指揮

ベーム

 モーッアルト

交響曲第29番イ長調

 R・シュトラウス

交響詩「ドン・ファン」

 ブラームス

交響曲第2番ニ長調
 3月11日 東京文化会館  12日 NHKホール  

 

 という具合でした。当時ドホナーニはフランクフルトの総監督をしていて、1976年からはハンブルク国立歌劇場の音楽監督に就任していました。でも、この初来日は全く記憶にありませんでした。

 

 

 チェリストとしてのモーリス・ジャンドロンより一時はフランシス・レイの別の顔ではと言われたことで当時は知られていました。これは1976年の来日公演のチラシです。大ホールではなくビレッジホールという中ホールでの演奏会です。これでも110席以上あります。

 

 

 多分ほとんどの人はあまり知らない名前だと思いますが、レコード時代はかなりアルバムを出していました。このアンサンブルの特徴は全員が立って演奏するスタイルをとっていたことです。これは1974年の来日公演のチラシです。指揮者は全く知りませんが、ソリストのところに西崎たか子の名前があります。そう、ナクソスの社長夫人ですね。この頃はソリストとして活躍していたことが窺えます。

 

 

 ベルリン・シュターツカペレの来日公演のチラシです。この時が初来日で、この時はオペラ公演をメインにして同行した60名前後の小編成オーケストラでの「オーケストラ・コンサート」が開催され音楽総監督のオトマール・スウィトナーと若き井上道義が指揮台に立っています。名古屋公演はその井上道義が指揮台に立っています。オペラの方は音マール・スィトナーと、ハインツ・フリッケ または ヨアヒム・フライヤーが降っていました。でこの2月に入ってからはオーケストラだけが残りコンサートを開催しています。カール・酢漬けがヴァィオリン独奏、オールモーツァルトプロというのもいいですねぇ。彼のレコードデビューもモーツァルトでした。ちょっと珍しい写真ですが、下の写真は東京国際コンクールで入賞した時の指揮者の写真です。左から小泉和裕、小高忠明、小林研一郎、そして髪がふさふさの井上道義氏と並んでいます。

 

 

 

 この第16回定期演奏会は1972年にオープンした名古屋市民会館での最初の演奏会でした。その市民会館は10月1日にオープンしています。指揮者の福村芳一はメイフィルの常任を降りた後イタリアにオペラ利勉強をしに行くと言っていたのですが、いつの間にかアジアの各地で活躍しています。

 

 

 これは思い出深い演奏会です。この時までに名フィルは定期演奏会はまだ5回を数えていただけです。そして、福村芳一はこの演奏会で名フィルデビューしています。そして、このプログラムは1968年5月26日の第2回演奏会と全く同じプログラムでした。ただ、指揮者が当時の清田健一氏から福村芳一に変わっただけで、ソリストの海野義雄氏も同じ、会場も一緒で栄にあった愛知文化講堂です。なを福村芳一の定期デビューは、この翌月の第8回の定期でベートーヴェンの第九を指揮しています。ただ翌年の4月までは常任指揮者の名前がつきませんでした。

 

 

 1976年の12月には第九は2日続けて演奏されました。この時は音楽監督の森正氏の指揮でした。森氏は1974年6月から1980年5月まで音楽総監督の立場でした。

 

  この記事、続きます。