黒田記念館
東京遊山 2-2
初日には時間切れで回れなかったところです。東京国立博物館の一部でありながら東京国立博物館の敷地の中には無いという建物です。これはまあ、開館の経緯が影響しているもので、そもそも洋画家黒田清輝の遺言と遺産の一部によって、美術を研究する機関として設置された帝国美術院附属美術研究所が母体で、変遷を経て2007(平成19)年に改革により、独立行政法人文化財研究所は独立行政法人国立博物館と統合し、新たに設置された独立行政法人国立文化財機構の一施設である東京文化財研究所となって、現在に至っています。
昭和3年竣工当時の建物
現在の黒田記念館、左にカフェが増築されています。
1階は本来の東京文化財研究所で記念館としては2階が展示施設になっています。
2024年10月29日(火)~2024年11月10日(日)
2025年1月2日(木)~2025年1月13日(月)
2025年3月25日(火)~2025年4月6日(日)
情
念
智
「舞妓」(1893年)
《舞妓》は、1893(明治26)年夏に9年におよぶフランス留学から帰国した黒田清輝が、同年秋に滞在した京都で見た舞妓をモデルに描いた作品です。
、「読書」(1891年)
《読書》は、1884(明治17)年からフランスに留学していた黒田が、1890年に画友の久米桂一郎とともに訪れたパリ郊外の小村グレー=シュル・ロワンで、同地の豚肉屋の娘であるマリア・ビヨーをモデルとして描かれた作品です。黒田はマリアの実家に投宿し、彼女をモデルに、同作をはじめとする複数の力作を残しています。
「湖畔」(1897年)
《湖畔》は1897(明治30)年夏、箱根の芦ノ湖畔にて、後に妻となる金子たね(結婚後は黒田照子と呼ばれました)をモデルに、ひと月ほどかけて描かれました。同年秋の第2回白馬会展に「避暑」という題で発表されたのち、1900年のパリ万国博覧会に「Au Bord du lac(湖辺)」という題で出品されました。1967(昭和42)年には切手にもなるなど、黒田清輝の作品の中でも特に広く知られる作品です。
黒田清輝は上のような作品しかほとんど知らなかった画家です。Wikiでその人となりを調べても、画家としての側面よりも芸大の教授としてとか、貴族院の議員としての側面が強調されています。まぁそういう活動があったからこそこうして記念館が建てられたのでしょう。
さて、黒田記念室には現在以下の作品が展示されています。小生としては、どれも初めて目にする作品ばかりです。
記念室入口
資料室
黒田が使用したイーゼルと絵具入れ
パレットと筆
雪(Snow)1922
桜 1913
写生帖6号(Blankenberge) 1889
館内の様子
窓の上の彫刻
柱の彫刻
これらは2025年1月2日(木)~2025年4月6日(日)の日程で展示されています。この「黒田記念館」は博物館の敷地の外にありますから完全無料で鑑賞できます。ありがたいことです。