レコード芸術
1973年2月号
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この頃は小石忠男氏の「世界の指揮者」という記事が連載されていました。本来は一人づつの指揮者が取り上げられているのですが、この号はなぜか指揮者ではなく「ゲヴァントハウス管弦楽団」を視点に記事が書かれていました。コンヴィチュニーについては1962年に急設していたし、後を継いだノイマンは1968年にはプラハ事件で急遽チェコフィルの後釜に収まるという事態が生じ、この記事の1973年はその後を継いだクルト・マズアはまだ、未知の存在として捉えられていた時代です。そう、今から50年も前の記事ということを念頭おいて読む必要があります。レコードではこの年の年末にベートーヴェンの交響曲全集が発売される前で、前年11月にこのコンビで初来日を果たしていたという時期です。しかも、前回の来日時からはメンバーが半数以上変わっていた上にマズアはほとんど知られていなかったというハンデがあります。当時のマズアはドレスデンフィルと兼務していた頃です。ただ、このオーケストラの戦前についてはほとんど語られていませんから、そこはマイナスと言ってもいいでしょう。何しろ、ワルターやフルトヴェングラー、さらにアーベントロート、ニキシュ、さらに歴史を遡ればメンデルスゾーンにまで辿り着けますからこのオーケストラを語るのは容易でないことは推察できます。
ところでゲヴァントハウスは年の名前ではなく建物の名前です。この当時オーケストラは数あれどホールの名前をオーケストラ名にしていたのはこのゲヴァントハウス以外にはチューリッヒ・トーンハレ管弦楽団とケルン・ギルツェニッヒ管弦楽団ぐらいしかなかったようです。
ノイマンとゲヴァントハウスの録音はテレフンケンやオイロディスクに残されていますが、コンヴィチュニー時代とはかなり違う印象を受けますし、そもそもレパートリーが重ならない面白さもあります。
それがクルト・マズアになるといきなりレパートリーが被ってきます。これは勢い彼の評価にかなりのダメージを与えます。1972年の来日時は管のピッチも安定しないアンサンブルもミスが多いという評価などから「フルト・マズイワ」と当時は揶揄されていました。
まあ、その後のマズアの評価は想像にお任せします。ニューヨーク・フィルのシェフも勤めたほどのキャリアもありますしね。マズアのメンデルスゾーンの交響曲全集はは弦楽のためのものまで含んだ完全な全集ですし、ニューヨークフィルとの唯一のドヴォルザークとシンフォニエツタをカップリングした一枚は隠れた名演です。
さて、下のグラビアでピンとくる人はかなりの年配でしょう。実は、この頃CBSはかなりこのアンソニー・ニューマンをプッシュして広告も力を入れていました。何しろ多芸多彩なアーティストとして売り出していたのです。ピアノにハープシコード、オルガンを演奏し、指揮から作曲までこなすというマルチタレントでした。ここではバッハのブランデンブルク協奏曲を録音しているスナップなども掲載され、特集が組まれました。ただ、今の日本でこの名前を聞くことはほとんどありません。50年の歳月が彼を押し流してしまいました。日本のwikiには彼の項目はありません。ただ、本国アメリカのwikiには彼は現役として903曲の録音があることを記しています。この日兵の温度差はどうして生じたのでしょうか不思議です。
フィリップスは2月ということで広告はわずか2ページです。1ページ目はグリュミオーのパガニーニのヴァイオリン協奏曲をメインに載せています。告知にも書いてありますが、ビクターの開発したNew-II方式による「ハイ・グレート・マスター・シリーズ」だそうです。要するにハーフスピード・カッティングというものなのですが、そんなのがあったことさえ知りませんでした。まあ、このページで売れたのはミケルッチ盤の「四季」でしょうなぁ。アラン・シヴィルがマリナーと組んでモーツァルトのホルン協奏曲を出していたのもこの広告で初めて知りました。
もう1ページはワレフスカの弾くハイドンのチェロ協奏曲集です。上のウェルナー・ハースのガーシュインのアルバムともとも゛モネバックはエド・デ・ワールトが指揮を努めていますが、フィリップスはこの指揮者の扱いが下手でした。ベルリン・フィルハーモニー八重奏団も来日するのに小さな扱いです。ただ、新録ではなく旧譜を再発しての打ち出しですから大きくは扱えなかったのかもしれません。その中でなぜかクレモナシリーズのモノラルながらカール・ベーム/ウィーン響の「合唱幻想曲」と交響曲第26番、32番と組み合わせた一枚を告知しています。この時はベイヌムのバッハ/管弦楽組曲も発売されていますが無視です。、先に別項で取り上げたロヴィツキ/ロンドン交響楽団のドヴォルザークの交響曲全集ががこの時録音完了していて第1回新譜として8番が発売されています。新録音での全集というのにこの扱いでは売れませんわなぁ。
トリオ・レコードも2ページの打ち出しです。持ち駒が少ないのでシャルランレコードをメインに余裕の打ち出しです。
見開きの下のスペースを使って宮沢明子の「シューマン/子供の情景」を打ち出しています。本来のアルバムタイトルは「宮沢明子リサイタル」なんですが、帯は「子供の情景」がメインになっていました。プロデューサーの菅野沖彦氏と組んだ一連のシリーズの一枚です。ただ、なかなか高評価は得られなかったのが当時の国内録音の趨勢でした。
続きます。