レコード芸術 1973年2月号 2 | geezenstacの森

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レコード芸術

1973年2月号

2

 

 

 裏表紙はずっとキングが抑えていますが、この号ではショルティの「千人の交響曲」が打ち出されていました。そして、本編の広告は見開き2ページを使ったさらに大々的に広告を打ち出しています。日本は発売が1973年になりましたが欧米ではすでに発売されていて、ドイツではドイツ・レコード賞を受賞しています。月評では大木正興氏が推薦をつけていますが、広告では門馬直美、小石忠雄、岡俊雄氏がこの録音を絶賛していますし、プロデューサーの菅野沖彦氏も録音の良さを評しています。この第8番は、DECCAとして初録音となったばかりでなく、シカゴ交響楽団の欧州ツアー時に、ウィーンでの録音の本拠地であるゾフィエンザールで収録された名録音としても有名です。録音は1971年の8月30日から9月2日にかけて行われており、会場のソフィエンザールにはパイプオルガンが無いことからリンツの聖フロリアンスキルで録音したものをミキシングして使っていました。プロデューサーはダヴィッド・ハーヴィ、録音はケネス・ウィルキンソンという黄金のコンビです。

 

 

 上の写真の広告サイドにはセル/ロンドン響のチャイコフスキーの交響曲第4番が掲載されています。この録音もひっそりとこの時の新譜で発売されていますが、これには謂くがあります。録音自体は1962年9月なのですが長らくお蔵入りになっていたものです。ただ、この月の広告ではサイドに何回も登場させています。

 

 往年のデッカの録音プロデューサー、ジョン・カルショウの自伝『レコードはまっすぐに』(山崎浩太郎訳、学習研究社)にはジョージ・セル(1897~1970)の指揮するロンドン交響楽団が1962年に録音したチャイコフスキー交響曲第4番について次のような記述があります。


 {{{「そのころ、ロンドン交響楽団は世代の交代期にあった。そのため秋にセルが戻って来た(*)ときには、最高の状態ではなかった。何という巡り合わせか、私はセルにチャイコフスキーの交響曲第四番を録音させようとスケジュールを組んでしまっており、これは彼らの弱点を拡大することになった。
 最終的にセルはこのレコードの発売を拒否した。たしかに、編集によっても改善できなかったミスがいくつかあることには、議論の余地がなかった(録り直したものも元の録音に比べて、よくも悪くもなかった)。未亡人が発売を許可したのは、彼の死後何年もたってからのことである。これほどの演奏解釈には、演奏の不備な点を補って余りあるというのがその理由で、そしてこのレコードの発売が歓迎されたことが、彼女の判断の正しさを証明した」}}}

 

 ということでセルの死後ようやく発売されたものです。ただ、こんな扱いでは売れるものも売れませんわな。のちに廉価盤として1300円で発売された時に小生はゲットしました。(^_^;)

 

 

 この号のキングの広告のトップページは上の広告でした。ちょっと地味ですが内容的には注目に値する録音が復刻されています。ドイツ行進曲集は賛否の別れるところですが、このシリーズ、戦前の昭和11年から13年にかけてこのキングの前身である「大日本雄弁会講談社レコード部」がドイツ・テレフンケン社から輸入した金属原盤をもとに復刻したものです。この原盤はドイツ本国では戦火で焼失しているので、奇跡的に日本で保管されていたもののようです。

 その下の発売予告の中にはエーリッヒ・クライバーやメンゲルベルク、クーレンカンプヒンデミット、ストラヴィンスキーという大御所の名前が並んでいます。まさにテレフンケンの戦前の名演が目白押しです。このテレフンケン、デッカのドイツ支社でしたがのちに分離独立し、さらには1980年代には本体のデッカがポリグラム入りするのを嫌がり、テレフンケン=デッカからさらにテルデックとして今のワーナー・クラシックに繋がっていきます。

 

 

 キングは当時膨大なレーベルを抱えていましたがそれらをうまくコントロールできていなかったのかもしれません。上でもフランス•クリダのリストが発売されていますが、これは多分IPG(International Pelgrims Group)録音のものです。このクリダのリストピアノ曲全集の第1巻は仏ACCディスク大賞、ここで発売される第3巻は第2巻と共に72年度のADFディスク大賞を受賞しています。またサイドのコーガン/リヒターのバッハのヴァイオリン・ソナタはテルデックの録音です。これなんかは全曲スコア付きで発売されましたが、SLA規格での発売だったため思ったほどセールスできなかったのでしょう。のちに1300円盤のシリーズに投入されました。狙っていた小生は大喜びです。ただ、スコアはついていませんでしたけどね。

 

 

 このページもごった煮の様相で来日記念盤としての扱いはブリュッヘンとアントン・ハイラーだけですが色々詰め込んでいます。ここでもサイドに「パロック名曲1000シリーズ」からGT1089の楽しいバロック小品集を取り上げています。このシリーズコロムビアのエラートの「バロックの大作曲家たち」シリーズに対抗したものでなかなかのラインナップを揃えていました。

 

 

 こちらも来日記念盤を揃えていますが、やはり中途半端です。ホルスト・シユタインはこの年NHK交響楽団を指揮するために初来日しています。これ以降N響には16回登場しています。マゼールはこの年1月にベルリン放送交響楽団と来日しています。

 

1973年来日時、夫人とともに

 

 

 テレフンケンのダス・アルテ・ウェルクシリーズは地味ながらも着々と発売されています。

 

 さて、こんなグラビアも取り上げられていました。

 

 

 多分「福村芳一」と言ってもピンとくる人は少ないのでは無いでしょうか。ほとんど日本のオーケストラには登場しないですからねぇ。しかし、その昔は京都市交響楽団や名古屋フィルには常任指揮者として活躍していました。多分小生もこの頃の名フィルには頻繁にコンサートに出かけていました。なをジャズトロンボーン奏者の福村博は弟になります。最近では東南アジアでの活躍が主体になっているようです。

 

 

続きます。