レコード芸術
1973年2月号
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このブログでは1968年から1974年ぐらいまでの懐かしのレコード芸術を取り上げています。ちょうど小生が中学から大学にあたる時期でまさに青春真っ只中にあり、また丁度レコード業界が廉価盤レコードを発売し始めた頃と合致しています。多分、一番クラシックユーザーが増えて活況を低下敷きと合致しているのではないでしょうか。そして、この1973年はオイルショックが始まる前の少ない小遣いをやりくりしてレコードを買っていた時代でもあります。
この号の目次です。見開き4ページありましたから一部割愛していますが、主な記事は網羅しています。顔写真は作曲家の石井眞木、アンソニー・ニューマン、そしてジルベール・ベコーです。
表紙を開くといきなりガール・ベームのグラビアです。それまでならレコード会社の広告でしたからこれにはびっくりしました。この時はカール・ベームがウィーフィルとベートーヴェンの交響曲全集を録音したというのでそれを取り上げています。交響曲全集とエグモント、コリオラン、プロメテウスは、1970年から72年にかけてのウィーンでのセッション録音。スケール大きく頑健なフォルムをオケの美音が埋めてゆくという、ベームがウィーン・フィルを指揮したときの相乗効果ともいうべき共同作業の成果が示されたベートーヴェン演奏。伝統的スタイルに則った堂々たるベートーヴェン演奏で、『田園』は特に名演として知られ、息長い人気を保っていました。
フィリップ・アントルモンはこのころから知っていましたが、こういうグラビアが組まれていたとは知りませんでした。メインがフランスCBSということで、日本ではあまりディスクが出ていなかったのではないでしょうか。ここでは家族の写真も公開されているという何ともおおらかな時代であったことがうかがわれます。
このヨーゼフ・シヴォーはあまり馴染みがないかもしれませんが、ゲルハルト・ヘッツェル(上のベームの演奏のコンマス)の前のウィーンフィルのコンサートマスターです。1965年から1972年にかけてコンサートマスターを務めていました。ただ、同時代はボスコフスキーの陰に隠れていましたからあまり目立たなかったのでしょう。その彼が当時心身のブッフビンダーとこんな録音を残しているとは知りませんでした。
今はつるつるですが、このころは紙のふさふさでかっこいい青年でした。丁度指揮活動も始めたころで、ここではヘンツェ/ロンドン響とベートーヴェンの第3番を録音しています。ただ、こういう時期だったので彼はカラヤンとの1番、小澤との5番は録音していますが、2番と4番は録音しませんでした。
ロジェストヴぇンスキーとパリ管はなかなか面白い組み合わせだなぁと思ったものですが、今ではこれが唯一の録音として残されただけです。
ルイ・フレモーも懐かしい名前です。最初、モンテ・カルロで活躍しましたが録音の多くは後にEMIにバーミンガム市管弦楽団と録音したものが大量に残されています。ラトルの前任者ですが、ベースはこのフレモ―が作っていたのです。
この時代のギタリストの筆頭だったのがこの荘村清志です。圧倒的存在感でギター会をリードしていきました。この後、山下和仁や村治佳織なんかが登場してきます。
さて、カラーグラビアに続いてようやくレコードメーカーの広告が登場します。伝統でビクターグループが巻頭を飾っています。
キングでいうセブンシーズなんでしょうが、ほとんどが「新世界レーベル」が占めています。世界的にはソ連のメロディアはEMIがディストリビューターとなっていましたが、なぜか日本だけはビクターが発売権を持っていました。ということで、カラヤンのベートーヴェンのトリプルコンチェルトも日本だけ新世界レーベルで発売されています。
クルト・マズアはベートーヴェンの交響曲全集を2度録音していますが、これはビクターに残した最初の全集の方です。あまり売れませんでしたが、世界初の4ch録音された全集でした。それよりも、今となっては安川加寿子のドビュッシーの方が気になります。どうも今では廃盤のようです。
この時代、45回転LPやらここで紹介されている長時間録音のベストカップリングシリーズやら業界はいろいろチャレンジしています。CDなら当たり前でしょうが、ちゃすこふスキーの「悲壮」とショスタコの「革命の」カップリングは多分このレコードが最初で最後でしょう。
続きます。