レコード芸術
1974年12月号
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前回取り上げたのが今年の3月24日ですからまたまた間が空いてしまいました。この号の裏表紙はアシュケナージの「熱情」でした。キングは売れそうなものはSLAシリーズに格上げし1枚2,300円で販売していました。当然学生の身分としてはジャケットを眺めるだけでした。この頃は多分一番国内盤と輸入盤の価格差が大きかった時でしょう。小生は各デパートで開催される輸入盤のバーゲンセールにあしげく通ったものです。そこでは未知との遭遇が待っていて日本では発売されていなかったノンサッチやオデッセイ、はたまたはエヴェレスト、ターンナバウトの珍盤に出会うことになったのです。下は丁度この12月号で広告を掲載していた三木楽器の広告です。
ワルターのブラームスはオデッセイ盤、ブーレーズの水上の音楽はノンサッチ盤、ハワード・ミッチェルのショスタコはウェストミンスター盤、そしてフルトヴェングラーはターンナバウト盤でしょう。輸入盤がこういう価格まで変えたのでとても国内盤は買う気が起きなかったのも当然です。もちろんライナーは英語ですから英語の勉強にもなりますわな。
トリオレコードは地味な存在でした。このグルダのベートーヴェン/ピアノソナタ全集はオーストリアのアマデオが原盤でしたがこの時はトリオから発売されていました。欲しかったものの一つですが、20,000円は手が出るはずがありません。のちにフィリップスに発売権が移り、やがてCD時代になってようやく手に入れました。それもオリジナルのアマデオの輸入盤です。CDは9枚に収まっていました。これは今でもCDラックの一角に鎮座しています。この広告にはさりげなく宮沢明子のモーツァルトのピアノ・ソナタ全集も掲載されていますが、プロデューサーの菅野沖彦氏と組んだ意欲的なものでした。ピアノはベーゼンドルファーを使用しており、スタインウェイとは一味違った響きを楽しむことができます。
トリオレーベルのメインはこのシャルランレコードでした。ただ、曲目が地味すぎて当時はあまり触手が動きませんでした。確認するとアリオンレーベルも発売されていることが分かります。
この号では興味深い記事がありました。「ハイドン・ルネッサンス」と題された岩井宏之氏の記事でドラティ/フィルハーモニカ・フンガリカのハイドン交響曲全集が発売されるにあたっての記事です。この全集を校訂したのはロビンス・ランドンですが、その解説の中でハイドン・ルネッサンスに一役買った日本人指揮者として最近ちょくちょく取り上げている近衛秀麿の名前が挙がっているというのです。そこでは彼がベルリンフィルと録音したハイドンの交響曲第91番が挙げられています。この録音当時としては唯一の録音でポリドールが3枚組の10インチ盤で発売されて一般に認知されたというのです。まあ、そういう興味深い記事です。
この月のグラモフォンの告知はトップページはこのヘリオドール盤でした。ヘリオドールのレーベルマークもこの時新しくなっていますが、中身は1000円時代の焼き直しです。フリッチャイのオペラ物は初回の発売では菓歌詞対訳がついていましたがこの1300円盤は他社に追従して対訳は無くなっています。CPはだだ下がりでした。
年末だというのにカラヤンの新譜は一枚もありません。当時はカラヤンよりこのベームの方が人気がありました。
そして、小澤がこんな大作を引っ提げて登場しています。キャッチコピーの「グラモフォンはベルリオーズを小沢にまかせた。」が生きています。本来なら時期的にはマッケラスの「メサイヤ」が訴求されるべきなんですけどねぇ。それにしてもマッケラスにこんな録音があるとは知りませんでした。それも、レーベルはアルヒーフです。
他の新譜はこのページにまとめられています。シャルル・デュトワもアッカルドとDGGにこんな録音していたんですなぁ。
記事をもう一つ。これも珍しいものです。サバレタがEMIにこんな録音を残していたのも知りませんでした。作曲者自身の編曲ですから珍盤の類ではないわけですが、タイトル通り「ハープで引くのもオツなもの」でしょうな。バックは府リューベック・デ・ブルゴス/スペイン国立交響楽団が当たっています。
ビクター新世界からはロジェストヴェンスキーのチャイコフスキー交響曲全曲が発売されています。ここでは単売されていますが後に全集でも発売されています。
この月はビクターグループはすべてカラーでは無くてモノクロのグラビアで告知しています。RCAもの左様で、オーマンディを獲得したにもかかわらず地味な打ち出し方しかしていません。
もうとっくにデッカとRCAの軽々は終わっている時期なのにショルティがRCAに録音した「ボエーム」です。提携の置き土産みたいな録音なんでしょうか。れっきとしたRCAの原盤です。
ディスクリート型4ch録音を推奨したRCAは孤軍奮闘してレコードを供給していました。そんな中で元々マルチトラック録音でしたからこの冨田勲のドビュッシーは最適な音源だったのでしょうなぁ。小生は4chのフォーマットが決まってから本格的に導入すればいいと思っていましたから長岡鉄男式スピーカーマトリックスによる4chでで満足していました。コンサートへいつてもオーケストラの音は前からしか聞こえないし、ホール型の再生ならスピーカーマトリックスで十分でした。
上のヘリオドールなんか1枚1300円で組物はx枚数でしたからちっとも魅力ありませんでしたが、こちらは2枚組で2500円と良心的でした。
新星「ウィーン弦楽四重奏団」は強力にプッシュされていましたが、4ch録音のレコードまで発売されていたとは知りませんでした。
さて、この年の年末にはエラートはRCAからの発売となっていました。でもって、マリナー/アカデミーの録音がエラートにもあったとはこの広告を見るまでは信じられませんでした。多分大手レコードメーカーでマリナーの録音を出さなかったのはグラモフォンだけだったのではないでしょうか。
実際にはビクターがレコード製作をしていましたが日本コロムビア時代の音にできるだけ近い音でカッティングすることにこだわっていました。それがキャッチフレーズにも表れています。
ここでの驚きはエラートもまた4ch戦争の中に飲み込まれていたことです。パイヤールの水上の音楽がオリジナルは4ch録音だと知っていた人は当時どれだけいたことでしょう。