吉野ヶ里遺跡の世界
九州旅行最後の日はレンタカーを借りて佐賀県の吉野ヶ里に遠征です。まあ、普通は高速を使って移動するのでしょうが今回はあえて下道を選択しました。国道385号線を使って博多駅前から一直線で南下して那珂市をとおり峠越えで佐賀県をめざします。途中の東脊振トンネルだけは憂慮ぅになりますが、そこを抜けるとこの道を通らないといけない道の駅「吉野ヶ里」へは行けません。
ここの道の駅では焼きたてのパンが食べられます。美味しかったです。小腹を整えこの道をまっすぐ南下すると「吉野ヶ里遺跡」へ行けます。
ここは「吉野ヶ里レク市公園」として整備されています。公園ですからグランドやBBQ広場遊具なども設置されています。
入場は東口が便利です。
園内は広いので時間が合えば巡回バスでの移動がおすすめです。
弥生時代後期には外壕と内壕の二重の環濠ができ、V字型に深く掘られた総延長約2.5キロメートルの外壕が囲んでいる範囲は約40ヘクタールにもなります。壕の内外には木柵、土塁、逆茂木といった敵の侵入を防ぐ柵が施されていたということで、再現された遺跡は他の遺跡では感じることができないスケール感があり、まさに弥生時代にタイムスリップした感覚になります。
また、見張りや威嚇のための物見櫓が環濠内に複数置かれていて登れるものもあります。大きな外壕の中に内壕が2つあり、その中に建物がまとまって立てられていて、北の集落は北内郭、南の集落は南内郭と命名されています。
下の階では王と家臣による会議の模様が再現されています。
上の回では巫女がお告げを受けています。
さて、吉野ヶ里遺跡で、もう一つの見どころは弥生時代中期前半に北墳丘墓、南祭壇が築造されたことです。巡回バスもこの北墳丘墓で乗客が全員降りました。ここは墳丘自体をそのまま展示しています。
甕棺[かめかん]とは北部九州に特有の棺のことです。大型の素焼きの土器に亡くなった人の手足を折り曲げて入れ、土の中に埋める埋葬方法で、弥生時代中頃のおよそ200年の間、盛んに使われていたようです。吉野ヶ里では丘のいろいろな場所にまとまって埋葬されており、想定では15,000基を超える数が埋められていると考えられます。中でも、墳丘墓の北側には、真ん中に道(お参りするための道であるとも、左右に埋められている人々の身分の違いを表すための区別の線とも考えられている)が設けられていて、その両側に全部で2,000基を超す甕棺が長さ600mにわたって整然と並べられています。亡くなった人に対する当時の人々の想いを偲ぶことができます。
古代史が好きな人間にとってはとても見応えのある遺跡でした。足腰がしっかりしている時に出かけてみて下さい。