レコード芸術1974年12月号 1 | geezenstacの森

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レコード芸術

1974年12月号 

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 1974年の12月号です。この年はレコードの現在用不足ということで大変な年でしたが、年末になるとその原料事情も改善したようで、以前のような活気が広告にも戻ってきていました。この年の出来事の総括のような内容で、かなり盛りだくさんの記事が溢れています。

 

 

 

 

 特集を見ると、この時期にフルトベングラーの特集海外の雑誌の評論が集められています。時代は海外旅行の自由化とともにレコードの個人輸入も活発になっており、この後レコード芸術には海外のレコード店の広告を目立つようになります。

 

 

 この月のグラビアのトップはマリアジョアピリッシュが閉めていました。この年の12月になって、早々とピリスのモーツァルトピアノソナタ全集が発売されています。ここでは、ピリスのポートレートとポルトガルの自宅などが紹介されています。多分こんな記事は初めて出たのではないでしょうか。

 

 

 なんとピリスはピアニストであり、作曲家でもあった高橋悠治の自宅を訪問しています。この録音のディレクターであった川口氏の自宅で高橋のレコードを聴き感銘しての実現でした。

 

 

 下は、12月に発売されたピリスのモーッアルトの「ピアノソナタ全集」の広告です。1000セット限定での発売だったことがこの広告でわかります。ほぼ予約販売だったのでしょう。このジャケットは、店頭では見かけた記憶がありません。この賛辞は関根敏郎氏が書いていますが、彼は特集記事でもこのピリスを追っています。

 

 

 メガネをかけている写真の方がかわいいと言う稀なピアニストです。関根氏は、ここでは短期間に集中してピアノソナタを録音したことが良かったのかと言う点について?をつけています。もう少しじっくり育てたほうがよかったのではと言う見解を述べています。

 

マイクセッティングはかなり近接した方法で録音されていたことがわかります。

 

 

 この年の話題でのビックニュースはマリア・カラスの来日リサイタルでした。この時はまだまだ活躍する雰囲気が溢れていますが、この日本での公演が事実上の引退公演となります。

 

 

 デ・ステファノとの、ジョイントリサイタルと言う形でした。この時ステファノの妻も一緒に公演に帯同しており、なかなかのバチバチの女の争いがあったようです。しかし、カラスはこの公演が興行面でも成功したことに大いに満足していました。

 

 

 チェロのクリスティーヌ・ワレフスカがこの年来日していました。女性としては、かなり骨太の演奏でレコードも話題になったのではないでしょうか。このワレフスカはレコ芸の1972年6月号の表紙を飾っています。

 

 

 ミッシェル・コルボは新しいエラートの星となろうとしていました。宗教音楽に強いのでもっぱらその方面を引き受けているような活躍です。

 

 

 フィンランドに居を構えて活動していた舘野泉は東芝からかなりの北欧音楽を発売していました。独自の活動をしていたということで、かなり注目をされていたピアニストです。のちに脳梗塞で右手に麻痺が残り、現在は左手のみで活躍している稀有なピアニストです。

 

 

 ボストン交響楽団の音楽監督に就任した小澤征爾は、ベルリゾーツのスペシャリストとしても知られていますが、この時は彼のファウストの劫罰を録音しています。同じ時期にコリン・デイヴィスがこの曲を録音していますので、2つのセットが大いに話題になったようでした。写真はこの時のセッション録音のスナップです。こちらはグラモフォンへの録音でした。

 

 

 そして、もう一つは、フィリップスに録音しチャイコフスキーの交響曲第6番悲愴です。こちらは小沢がフィリップスへの初録音となったもので、彼のこの曲の最初の録音でもあります。こちらのほうの小沢はパリカンとの録音になり、かなりお茶目な表情を見せて録音に臨んでいます。写真には式台に座り込んでの指示を出しているスナップもあります。

 

 続きます。