レコード芸術1974年1月号 7 | geezenstacの森

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レコード芸術

1974年1月号

7

 

  レコード芸術1974年1月号の最後です。この号の「音楽と音と再生装置と・・・」で登場するお宅は志鳥栄八郎氏でした。レコード芸術では長く管弦楽をたんとうしていて。この1月からは協奏曲の担当に変わっていました。氏ほど全国を飛び回ってレコードコンサートを開催した人はいないでしょう。そんなこともあり、自宅には数万枚のレコードコレクションがありました。でも、その多くはテスト盤と称するものであったようです。3つのセットを適宜選択して聴き、批評の拠り所としていたようです。

 

居間のメインシステム

 

 スピーカーはステントリアン、テクニクス、YLの組み合わせによる3ウェイ、アンプは山水のAU777、チューナーはトリオのAFX-121T、プレーヤーはターンテーブルはTEICのMF−1025BにFRやテクニカのアーム、カートリッジはADCを使用しているという凝った構成です。

 

 

 下は、今の別の4チャンネル用セパレートタイプのビクターDF-11、2階の和室のシステムにはトリオのモジュラータイプのMT-75をセットしています。それにしても、壁面いっぱいに積み上がるレコードは圧巻です。こりゃ脚立がないと届かないわなぁ。

 

 

 

 氏は当時は数年前に眼底出血で倒、さらにスモン病を発症していました。ただ、病気と向き合う中視覚が損なわれたことで聴覚はより研ぎ澄まされていたようで記事の中ではまずあの第九の4チャンネル盤を高く評価しています。また、音に対するこだわりのある人物としてストコフスキーとカラヤンをその双璧に上げています。

 

 徳間はこの時はたった1ページのクラーヴィエール広告だけでした。R.シュトラウスの自作自演の復刻盤です。ロマンティシズムの塊のような演奏かと思いきや、アッサリとした演奏でびっくりしたものです。

 

 ビクターはCD-4によるベートーヴェンの交響曲全集を投入しています。

 

 

 ロジェストヴェンスキーのチャイコフスキー交響曲全集は1枚1曲の贅沢な仕様で、なおかつ単純ら1枚2,200x6というセットで何の旨味もありませんでした。マズアの前週には序曲集がおまけでついていましたが、これは単品でも別売りされていたことがわかります。

 

 

 ビクターも商売を間違えています。れこーと背アカデミーをとったのにディースカウの「美しきマゲローネのロマンス」は小さな扱いで目立たないですなぁ。ムラヴィンスキーの1,300円盤は珍しかったので何枚か購入していますが、同時にリヒテル盤が出ていたとは知りませんでした。

 

 

 東芝EMIはパールマンを全面に出しています。小沢がロンドンフィルとパールマンと録音していたのは記憶にありません。ヴィェニアフスキーだからあまり大きく扱われなかったんでしょうかねぇ。

 

 

 前にも書きましたがこの時代のバレンボイムとパリ管の録音の中で、記憶にない一枚です。

 

 個人的に初めてボックスセットで買ったベートーヴェンの交響曲全集でした。何しろ9枚組で1万円ちょい、もちろん2割引で購入していますから1枚1000円以下でした。セラフィムで発売されたのは大きかったですなぁ。

 

 

 これも安かったのですが、当時はほぼモノラル録音には興味がなかったので歯牙にもかけていませんでした。

 

 

 フィリップスはモノクロページながらベームのリングをトップで広告しています。ただ、特典レコードは怪しいものでした。

 

 

 こちらもアカデミーを受賞しています。渋いものが多いですが、良い作品が推薦盤になっているのがわかります。

 

 

 年末のセールにはイ・ムジチの訴求は当然でしょう。1000円盤も売れ筋をリストアップしています。シゲティとカザルスの追悼盤としてきっちりこちらも訴求しています。でも、手元にヴァイオリンきょうそうきょくがありますが、この録音はモノラルでは無くステレオなんですけどねぇ。

 

 

 クリップスのモーツァルトがこっそり新譜で発売されています。欧米では評価が高かったのですが日本ではさっぱりで小さな扱いです。カセットテープの訴求は初めて見ました。

 

 

 

 1973年は国内録音が活発になっていました。来日アーティストを巻き込んでの録音も多く、フルートのガッぜローニ、ランパル、マクサンス・ラリュー、ピアノのイェルク・デムス、はたまたはプラハ弦楽四重奏団と多彩です。また、園田高広が「展覧会の絵」を録音していたとは知りませんでした。

 

 

 

 グラモフォンの交響曲大全集は、シューベルトでアカデミー賞を受賞しているのですが、そういう訴求は全くありません。ここでは発売予定のクーベリックのドヴォルザーク、カラヤンのメンデルスゾーン、そしてベームのモーツアルトの訴求だけしています。多分ほとんどが予約販売なので、改めてシューベルトを訴求する必要は無かったのかもしれません。

 

 

 レコードの原材料不足が深刻なようで、単発の新譜は3枚に絞られています。

 

 

 グラモフォンの広告担当者は、カラヤンよりもクライバーをチョイスしています。これは正しい判断だったようで、クライバーの「魔弾の射手」は推薦盤を獲得しています。

 

 

 リヒターのバッハチェンバロ協奏曲全集は、アルヒーフレーベル輸入盤での対応と言う事態に追い込まれていました。

 

 

 さて、ポピュラーからも1つ。この月はカウント・ベイシーが来日したこともあり、野口久光氏のスケッチブックは彼が取り上げられています。往年のジャズのビックバンドのボスで、この当時まで健在だったのは、デューク・エリントンとこのカウント・ベイシーのみのようだようです。ビッグバンドジャズもそろそろ終焉が見えてきたようです。この時は女性女性ジャズ・シンガーのカーメン・マックレイを帯同していました。

 

 

 ロック界ではプログレの代表グループ、ムーディ・ブルースが来日していました。彼らの演奏した「D̤a̤ys Of Future Pa̤ss̤ed」なんかはよく聴いたものです。オーケストラと共演した大作です。

 

 

 

 大物ではレオン・ラッセルも来日していました。でも、今ではほとんど忘れられていますね。カーペンターズの「ア・ソング・フォー・ユー」や「スーパースター」なんかは彼の作品です。

 

 

 さて、この新年号には毎年付録がついていました。「作曲家別洋楽レコード総目録」というものです。これがついていることにより、通常は480円の低下が680円に跳ね上がっています。ただ、これは大層重宝できるもので、本紙よりも、この付録に価値がありました。近年までは、毎年「レコード・イヤーブック」がなるものが付録としてついていましたが休刊になり2024年は寂しい年になりました。手元に残してあるのは1980年に発行された「作曲家別廉価版クラシック・レコード総目録」というもので各社から膨大な種類の廉価盤が発売されていることが分かります。ただ、あらためて確認するとこの1974年1月の時点でテイチクからは1300円盤が消えていることがわかります。