レコード芸術1974年6月号 1 | geezenstacの森

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レコード芸術

1974年6月号 

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 懐かしのレコード技術、今回は1974年の6月号です。レコードの生産も少しは軌道に乗ってきたようで、この月は通常好きレベルの広告ページ数になっています。特集が面白そうなので、この号を取り上げることにしました「ライブレコード、考古学、考現学」と言う特集テーマで、指揮者によるレコーディング機質と言うものを西村さんが記事にしています。また、編集部はこのライブレコードのディスコグラフィーを本体の中に特集して掲載しています。

 

 特集記事は後に取り上げることとして、初回はこの後を飾ったグラビアページを紹介します。

 

 

 表紙は多分マリアカラスだと思われます。イラストの椿は「椿姫」を表しているのだと思われます。この年マリアカラスは日本にディ・ステファーノとともに演奏旅行に来ています。この時は夢想だにしませんでしたが、カラスがコンサートのステージに立ったのはこれが最後でした。のちに、NHKから「マリア・カラス 伝説の東京コンサート1974」として、映像が発売されています。

 

 

グラビアは、マウリッツオ・ポリーニの来日の様子を映しています。実はこの時、ポリーニは初来日でした。

 

 

 この時はオフに京都の街を夫婦で散策したようです。記事によると、三十三間堂を訪れています。

 

 

 4月24日を皮切りにリサイタルを全国各地で開催していますが、それに先立つ4月17日NHK交響楽団と共演しています。曲目はプロコフィエフのピアノ協奏曲第3番、指揮はなんとマキシム・ショスタコーヴィチでした。なんとこの映像が残っています。プロコフィエフのピアノ協奏曲はレコードでは録音していませんから貴重です。

 

 

 

 イシュトヴァン・ケルテスは1973年4月9日、イスラエル・フィル客演の地のテル・アビブの海岸で溺死したニュースは新聞の3面記事の片隅で発見してショックを受けたのでよく覚えています。これはその最後のウィーンフィルとのブラームスの交響曲を録音している時のスナップ写真です。

 

 

 このブラームスの交響曲全集は第2番は1964年に録音されていますが、残りは1972年11月に録音されています。この録音のテープの最終確認がなされたのが1974年2月から2月にかけてのことです。この全集には「ハイドンの主題による変奏曲」が収録されていますが、これが実は録音が完了していませんでした。巷では交響曲の未完成部分が指揮者なしでウィーンフィ目の演奏で完成されたと流布されていますが、実際にはこの曲だったんですなぁ。

 

 

 

 

 

 この年の6月にはイングリッド・ヘブラーが来日しています。ヘブラーは昨年の5月4日に93歳で亡くなっています。モーツァルトの主要な作品はフィリップスに録音していました。

 

 

下はデジタルで再録音したピアノソナタ全集

 

 

 

 

 ヘルムート・リリングとシュトットガルト・バッハ合唱団・管弦楽団が初来日しています。リリングは当時はまだそれほど知られていませんでした。この帰国後、NHK交響楽団で活躍した茂木大輔氏もこの団体にエキストラとして出演し、ヨーロッパ各地を演奏旅行しています。

 

 

 ヘルムート・ヴィンシャーマン率いる「ドイツ・バッハ・ゾリスデン」も来日しています。この時は「音楽の捧げ物」と「フーガの技法」というプログラムでの来日で、曲に合わせた編成での来日でした。

 

 

 このオルガニストはまったく知りませんでした。この時の来日でビクターに4chでバッハの名曲集を録音しています。ただあまり流通しなかったようで、下は通常のステレオで発売された物です。

 

 

 さてもレコ芸といえばポピュラーもジャズも取り上げています。そんな中ジャズ界の重鎮スタン・ケントン・オーケストラも初来日しています。

 

彼のテーマソングともいうべき「Artistry In Rhythm」

 

 

 そして、一番好きなジャズ・アーティストの「M.J.Q」もこの年来日しています。リーダーのジョン・ルイス、ヴィヴラフォンのミルト・ジャクソン、ベースのパーシー・ヒース、ドラムスのコニー・ケイの4人が作り出すクラシカルなジャズはなんともいえない大人のジャズを感じさせました。

 

 

 グラビアの最後は、フルーティストのハービー・マンです。ソウルフルでありながら軽快なリズムに乗って聴こえるフルートには痺れます。当時はこのハービー・マンやラムゼイ・ルイスにもハマっていました。

 

 

彼の代表曲、カミング・ホーム・ベイビー