映画版「砂の器」サントラ | geezenstacの森

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1974年映画「砂の器」サントラ

 

曲目/

1 プロローグ/あらすじ 15:53
2 白い道 4:37
3 影 3:23
4 「宿命」26:47
 

指揮/熊谷弘
演奏/東京交響楽団

ピアノ/菅野光亮
歌/菅原洋一
 
ポリドール MR−7004
 

 

 1974年公開の松竹映画『砂の器』のサウンドトラックです。芥川也寸志先生の監修、菅野光亮氏の作曲による組曲『宿命』を純粋に楽曲鑑賞の為に聴くのであれば…別のアルバムを聴いた方が良いでしょう…何しろ、このサントラ音楽を聴かせる普通のサントラとは違い、この映画のあらすじが菅野光亮作曲の「宿命」のBGMに乗せて語られていきます。ですから、サントラであってサントラではないのです。つまり、このアルバムに収録されている『宿命』は、映画本編の演出を再現させる様な創りになってます。

 前半は江角英明の語り、そして、後半は捜査会議の逮捕状請求に至る丹波哲郎演ずる警視庁捜査一課警部補、今西 栄太郎の語りで、主人公和賀英良の生い立ちを滔々と説明していくのです。本来の映画ではこのシーン実際の演奏会のシーンと捜査が意義の状況、さらにはジャケットにもなっている父親と主人公のお遍路のシーンがシンクロして進んでいきます。



 もうひとつびっくりするのが、菅原洋一氏の歌唱による主題歌である『白い道』と『影』が収録されている事です。主題歌ということですが、この「白い道」や「影」の録音は映画が大ヒットしたので後日企画されたものであり、映画では使われていません。不思議な曲です。今でいうならインスパイア作品とでもいうのでしょうか。もうひとつびっくりするのが「白い道」は岩谷時子さんの作詞ですが、「影」の方はなんと上條恒彦氏が作詞しているんですなぁ。まあ、どちらの曲も作曲が菅野光亮氏で、「宿命」で使われたメロディが使われていますからすからまんざら関係ない曲ではないわけですけどね。

 

 

 

 このクライマックスの映画的演出は見事という他ないのですが、この年のキネ旬のベストテンは以下のようになっています。

1.サンダカン八番娼館 望郷

2.砂の器

3.華麗なる一族

4.青春の蹉跌

5.竜馬暗殺

6.わが道

7.仁義なき戦い 頂上作戦

8.襤褸の旗

9.赤ちょうちん

10.妹

 

 コンサート会場へ逮捕のために向かった捜査員に対して、今西はピアノに向かっている英良を指して、「英良は音楽の中で父親に会っている」と言い放ちます、いいセリフですなぁ。

 

 

 さて、このサントラ曲を聴きたい人には不評手下。のちに曲だけのレコードも作られています。下がその『ピアノと管弦楽のための組曲「宿命」』全曲です。

 

 

この曲に寄せて、作曲者の菅野光亮は次のようなエッセイを綴っています。

 

それは、長くつらい日々だった。

 

昨年2月、まだ春の声にはほど遠い静かな午後、突然、この映画の音楽監督をされた芥川也寸志氏より

電話があって「砂の器」の作曲についてのお話をうかがった。

何分、松本清張氏の作品については、全くうとい私であったし、

宣伝映画、記録映画などのBGM程度の作曲をしたことしかなかったこともあって、お引き受けしたのは

よいけれども、何からどんな風に手をつけて行ったらよいのか、皆目見当もつかなかった。

そこでとりあえず、暮れなずむ道を近所の書店に足を運んで、同氏の作品を買い求め、夜を徹して

読破したが、主人公が電子音楽の作曲者であるという想定のもとに展開しているストーリーは、

その持つ人間関係の複雑さにおいて、まず私の筆を一層惑わせる大きな壁を、

さらにひとつふやしてくれるのみであった。

 

その後何日かしてシナリオを橋本忍氏から受けとり、原作と異なって、

主人公がセミ・クラシックの作曲家兼ピアニストであることを知った。

このことは、映画の持つ大衆性ということから必然的に、

橋本忍氏・山田洋次氏並びに芥川也寸志氏のアイデアによって導き出された、

映画「砂の器」の、新しい可能性をそなえた柱であり、

且つ迷っていた私に対する、手がかりのヒントでもあった。

即ち、発想の展開のきっかけを得られぬまま足ぶみをしつづけていた私の頭の中に、

あたかも一条の光が流れこんで来たかのように、

あの映画の中の四つのの主題が、忽然として浮かび上がってきて、

それらはその時から二ヶ月の間、片時も私の中で渦巻きを止めることなく、

寝ても覚めても私をその中にとりこにしてやまなかったのである。

 

一つの主題を書き終えて、ふとペンを置いて傍らのグラスに手をのばそうとすると、

またまた同じイマジネーションの連続が私を引きもどして、時の経つのも忘れて、

私は、この終りのない曲想の森の中に、彷徨しつづけざるを得なかったのである。

網の目のように、はてしなく、からみ合い、つながり合った人間の宿命……

この縦横の糸は、一ケ所がほつれたらば、

それはその場所からどのようなひろがりをもってさけて行くことであろう。

これこそお互い同士、否、自分自身すら見失って生きているかの如き現代社会の中の吾々の持つ

決定的な盲点につきつけた、鋭利な問いのメスと伝えるのではなかろうか。

 

私は、まことに僭越な云い方ではあるが、現代に見失われていたロマンを、

この映画をとおして音の世界に探り当ててみようと、考えぬいたのである。

 

こうして四つの主題は、五月下旬にやっと脱稿した。

六月中旬より八月いっぱいまで、三管編成のオーケストラと、

自分で弾かなければならない“ピアノと管弦楽の為の組曲”のオーケストレーションに、

芥川氏のアドバイスを受けつつ、暑い苦しい毎日を送った。

作曲家並びに演奏家は、自分が音を出したその瞬間に、自分の出した音によって、

予想もしなく背かれることがままある。それは、自分の子供にかみつかれるのに似ている。

これは、音楽家にとって一ばんこわいことである。

如何に著名な音楽家であっても、これは常に頭を去ることのないおそれであるにちがいない。

これもまた、自分の職業に於ける最大の「宿命」のひとつだと私は考える。

そのことがないように如何に音楽家は、日々苦しむことであろうか……。

 

さて、今回の「砂の器」音楽完全収録版LPの構成について、少しふれて見たいと思う。

 

まず、A面の最初は、映画でいう後半の親子の運命の旅立ちに始まり、

つづいて中程に、蒲田操車場殺人現場の音楽、あのやりきれない音から、

迷宮入りしていた前者の事件の捜査再開の音楽へと移って行き、

その先に、主人公和賀英良の愛人の流産、そして死へと移り、

映画の中で時がさかのぼって十年昔の、主人公の親子の別れの音楽へとつながる。

A面最後は、列車の窓から紙吹雪を流す女、りえ子のシーンの音楽になる。

 

B面は主人公が自分をひきとって育てようとする実直な田舎巡査のの家を

走り出して行ってしまうシーンの音楽に始まり、風景の美しい瀬戸内海にのぞむ光風園の場面の音楽から、

一拠に演奏会場、ラストシーンへと進行して、ピアノ・コンチェルト全曲を含めて、

エンドマークまでの一さいを収録している。

エピローグ〝人間は独りで生まれることはできない。独りで生きてゆくこともできない〟

 

 

最後に、松竹株式会社、橋本プロ、

中央音楽出版ポリドールレコードのご協力をいただいたことを、厚く感謝する次第である。

 

1975年2月

(作曲者)

 

 なを作曲者の菅野光亮氏は酒を飲み過ぎて肝硬変になり、最後は静脈瘤破裂で44歳の若さで他界しています。