ハイティンクのショスタコーヴィチ「革命」 | geezenstacの森

geezenstacの森

音楽に映画たまに美術、そして読書三昧のブログです

ハイティンクのショスタコーヴィチ

「革命」、第九

 

曲目/ショスタコーヴィチ

交響曲第5番Op.47

第1楽章 17:59

第2楽章 5:22

第3楽章 15:40

第4楽章 10:33

交響曲第9番Op.70*

第1楽章 4:59

第2楽章 7:45

第3楽章 2:37

第4楽章 3:49

第5楽章 8:11

 

指揮/ベルナルト・ハイティンク

演奏/ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

 

録音1981/05/21-23, 1979/01/15,16*

コンセルトヘボウ,アムステルダム

キングスウェイ・ホール、ロンドン

P:アンドルー・コーナル

E:コリン・ムーアフット

サイモン・イードン*,ピーター・クック*

 

DECCA UCCD7426

 

 

  5番は俗称で「革命」と称されることがありますが、これはベートーヴェンの第5番の「運命」と同じごとく日本だけでの呼び名で、ショスタコーヴィチ自身この曲にはニックネームは付けていなません。最初このディスクの交響曲第5番を聴いたときは、なんだかぼやっとしていて焦点の定まらない演奏だと思ったものです。元来ロシア系の指揮者の演奏で聴くことが多かったのでがっしりとした構成の金管バリバリの演奏に慣れていた性もあったのでしょうなぁ。しかし、聴き込んでいくうちに、弦楽器の渋みのあるふくよかな美しさに耳が行くようになりました。

 

 ホールトーンの残響が多く、マーラーやブルックナーを得意としてきたハイティンクらしい内声部の弦の充実したサウンドがそういう印象をもたらしたのでしょう。


 ハイティンクはショスタコーヴィチの交響曲全集をロンドン・フィルとコンセルトヘボウの2つのオーケストラを振り分けています。その内5,6,8番、11-14番をコンセルトヘボウが担当しています。何か意図があったのかと勘ぐりたくなりますが、70年代から80年頭までがロンドン・フィルで81年5月からの録音がコンセルトヘボウとなっていることに気がつきます。個人的には5番はコンセルトヘボウの渋い音色に寄る演奏が耳新しくて正解だった気がします。決してロンドン・フィルが悪いということではなく、引き締まったサウンドはロンドン・フィルの方が似合っているのですが、そうすると他の指揮者と同じような響きで埋没してしまったような気がします。


 ショスタコーヴィチは「引用」の名人で様々な作品に登場するが、ここでは第1楽章の再現部でヒゼーのハバネラの音階が登場します。この演奏では14分過ぎぐらいからですが、第2主題の発展型がハバネラの「アルール、アモール」に変化しての登場です。このコンセルトヘボウの演奏は心憎いばかりチャーミングな響きです。これは第2楽章のヴァイオリン・ソロによるテーマの艶やかな演奏にもつながります。このソロはヘルマン・クレバースだと思いますが、オケの選択は正解ですな。ホールトーンの所為でティンパニの音がややくすむのはしょうがないかなぁ。特に第三楽章の緊張感の中にもノーブルに響く弦楽器はホールトーンも相まって白眉でしょう。

 
 第4楽章は問題の解釈のある楽章で、当初ハイティンクの解釈がなじめなかったのは開始のテンポの遅さの所為でした。CDの解説にはその辺りのことがあまり詳しく書かれていませんが、S.ヴォルコフの「ショスタコーヴィチの証言」が発表された直後の録音ということもあり、ハイティンクは原点にのっとりムラヴィンスキーと同じように冒頭のテンポを(♪=88)で演奏しているのでしょう。ここは従来の解釈では「歓喜」とされてきた解釈を証言の内容に基づき「強制された喜び」として具体的に演奏で示した最初の録音といえます。明らかに快速で突っ走る従来のバーンスタインやアメリカ初演者のロジンスキー、シルヴェストリらの解釈とは違います。現在出版されているスコアには、「♪=188」との指定があるが、初演者ムラヴィンスキーが使用したスコアには「四分音符=88」になっているといいます。ショスタコーヴィチは初演者のムラヴィンスキーと協議の末に自作のテンポを決めていったとされており、現段階では出版譜の記述が誤植で、ムラヴィンスキーの「♪=88」のテンポが正しいとされているようです。
 

 そういう時代背景を考慮してこの演奏を聴くと非常に味わい深いものがあり、従来型のハデハデな演奏とはひと味違うハイティンクのオーケストラ選びのセンスや時代を読む感覚に今更ながら感服してしまいます。

 

 

 いっぽう交響曲第9番は国内では1番とのカップリングで81年にLPで発売されました。新生ロンドン・レーベルの第1回の新譜だで、この時はまだ、CDは登場してはいませんでした。この第9番の演奏はロンドン・フィル、打楽器も小気味良いし、巨大なシンバルやワイヤーの音を強調したスネアドラムの音が聴けます。弦楽器はアンサンブルが良く、金管の音は悲痛な表現に向いています。録音もシャープでロンドンフィルの馬力のある音を余すとこなく捉えています。ただ、小生の好みからいうとやや演奏が重たいきらいがあります。ハイティンクという指揮者はやや生真面目すぎるきらいがありそういう面がマイナスに作用している時があるのですがこの曲でもユーモアに欠けているのを感じます。

 

 じつをいうとこのCDはこちらの9番を期待して買ったのですが、そういう意味ではちょっと期待はずれの感があります。もともと、この曲の原体験がミラン・ホルバート指揮のザグレブ・フィルというマイナーなレコードであり、その演奏が実に洒落ていて小気味いいテンポとウェットに溢れた演奏だったのでよけいそう感じるのかもしれません。しかし、全体ではショスタコーヴィチの音楽にいちはやく着目し、ロシアの指揮以外で初めて全集を完成させたその慧眼と冴えはたいしたものです。このデッカ録音のハイティンク盤が出たことでちょっとしたショスタコブームになり以後続々と録音が出るきっかけとなった意味ではマイルストーン的な意義があります。