名古屋芸術大学第41回オペラ公演
オペラ「泥棒とオールドミス」
「泥棒とオールドミス」というのはジャン・カルロ・メノッティが作ったオペラです。台本も作曲もメノッティ。です。
初演は1939年なのですが、なんと初演がラジオ放送なんですよね。NBCっていう放送局でした。メノッティは現代の作曲家なので、初演の録音も残っていて、ラジオ版も聞くことができます。それが下の演奏です。
この「泥棒とオールドミス」というオペラには、ラジオでやった名残があって、それは1幕、2幕、3幕というわけ方じゃなくもともとは14のシーンにわかれているところからもわかります。あとラジオだとどんなシーンなのかがわかりにくいので、ナレーションがはいるのです。
今回の公演では最初に長めのナレーションが入って、どんな話なのかが大枠でわかるので、その後の流れがわかりやすいし、14のシーンごとの簡単なナレーションは日本語と英語の字幕とともにプロジェクターで表示されました。舞台は以下のセッティングでした。
舞台で上演するときは舞台用にメノッティが手直ししている楽譜があり、いちいちナレーションは入らなくなっています。
だから舞台版の方を見ると一見普通のオペラに見えるんです。1幕のオペラですからセットはこの一つです。右奥にカーテンで仕切られたスペースがありますが、ここにはピアノが置かれていてここで音楽が奏でられます。そう、舞台版はピアノ一台での演奏です。
今回の上演キャストです。
この公演、最初は2月の26、27日に開催されることになっていました。しかし、スタッフの中にコロナ感染者が出たということで、この3月7、8日に延期になっていました。そして、その初日の公演を鑑賞しました。
音楽はピアノ伴奏だけでしたから下記のような感じの上演でした。ただし、日本語での上演でしたから喜劇としての楽しさは十分楽しむことができました。
ところで日本語のタイトルは「泥棒とオールドミス」なんですけど原語の題は「The Old Maid and the Thief」
なんですよね。Thiefは泥棒。オールドミスはOld Missじゃなくて→Old Maidです。主人公のミス・トッドは恋人に裏切られてそのまま年をとってしまったので日本語でいえばオールドミスですけど、これって実は日本語英語らしいんですよね。
メイドっていうと日本では女中っていう意味になってますけど、もともとは未婚の女性を表していたようなのです。
そのあらすじは以下のようになっています。
第1景/ミス・トッドの家の客間
ミス・トッドとミス・ピンカートンは、もうかなりの年配であるが、共に独身のオールドミス。この日もミス・トッドの家で2人、昔裏切られた男の話に花を咲かせていた。そこへ男性が訪ねてきたと女中のレティーシャが言うので、ミス・ピンカートンは帰り、男性は部屋へ通された。彼の名前はボブ。物乞いをしてはいるが、自分の理想を求めて旅をしていると言う。ボブはかなりのハンサムで、ミス・トッドと女中のレティーシャはすっかり彼を気に入ってしまった。そこでミス・トッドは、近所の体裁を気にしながらも、レティーシャに言われるがままボブを家に泊めてやることにした。
第2景/台所
次の日の朝。ミス・トッドと女中のレティーシャは、久しぶりに素敵な男性と夕食を共にし、楽しいひと時を過ごしたことでとても幸せな気分だった。そこでもう暫くボブにいてほしいと考え、2人はボブを引き止めることにした。
第3景/ボブの寝室
ボブの部屋に朝食を運びにいった女中のレティーシャが、ボブにもう1週間いてくれないかと持ちかけると、ボブは毎日美味い物が食べられると滞在提案を快諾した。但しミス・トッドは街の名士という立場上、近所の手前もあるので、ボブを彼女の甥ということにして外出も禁止した。
第4景/街中
街中を歩いていたミス・トッドは、ミス・ピンカートンに声をかけられ、昨晩この街に脱獄した凶悪犯が逃げ込んだようなので、気を付けるようにと忠告を受けた。ところがその凶悪犯の特徴を聞いてビックリ!家に泊めているボブの人相にそっくりだったのだ。青ざめるミス・トッドに、畳み掛けるようにミス・ピンカートンが言う。「ところで昨日あなたの家に男性が泊まったそうだけど..」ミス・トッドはそれは甥のことだわと答えると、気もそぞろに家路を急いだ。
第5景/ミス・トッドの家
家に帰ったミス・トッドは、すぐに女中のレティーシャに今聞いてきた恐ろしい話をし、一体どうしたものかとうろたえた。レティーシャは警察に連絡をしようと言ったが、ミス・トッドは「もう自分の甥だと言ってしまったし..」と困り顔。そこでレティーシャは意を決し「昨夜何もなかったのだからきっとこの先も大丈夫。このままボブにいてもらいましょう!」と提案した。結局2人共ボブに出ていかれると淋しいのだ。但しこの先彼を留まらせるためにはお金が必要だろうからと、レティーシャはミス・トッドが会計を担当しているいくつかの団体のお金を、こっそり借りておいては、と勧めた。
第6景/台所
ボブが滞在してから1週間が過ぎ、ミス・トッドはあの手この手で彼の気を引こうとしたが、全く手ごたえはなかった。その様子を女中のレティーシャが歌う。<私を盗んで! Steal me!>
第7景/客間
ミス・ピンカートンが訪ねて来て、街には最近泥棒が多いらしいとミス・トッドに話す。そして滞在している甥子さんの姿が見えないようだけど..と言うので、ミス・トッドは慌てて「体調が悪いので寝ている。」と答えた。
第8景/ボブの部屋
毎日家に閉じ込められた生活が、さすがに嫌になってきたボブは、<夏にはまた旅がしたくなる When the air sings of summer, I must wander agein>と歌い、ミス・トッドの家から出て行く準備をし始めた。それに気付いた女中のレティーシャが、何でも欲しい物を持って来るからと引き止めると、ボブはお酒が欲しいと言い出した。
第9景/ミス・トッドの部屋
ボブを引き止めるためにはお酒が必要だと聞き、ミス・トッドは困ってしまった。実は彼女は禁酒団体の創立者で、とてもお酒など買える立場ではなかったからだ。そこで女中のレティーシャは、悪知恵を働かせてこう言った。「これも愛の試練ですわ!お酒はこっそり盗みに行けばいいんですよ。」と。
第10景/街の酒屋
夜中に酒を盗もうと、酒屋に忍び込んだミス・トッドと女中のレティーシャは、ついつい大きな音を立ててしまいあたふた!置いてあった酒瓶を掴むと、出てきた酒屋の主人を殴りつけ、大慌てでその場を逃げ出した。
第11景/客間
ミス・ピンカートンがミス・トッドに向かい「昨夜酒屋に泥棒が入ったらしい。」と話している。ミス・トッドが冷や汗をかきながらその話を聞いていると、2階のボブの部屋から楽しげに歌う彼の声が響く。いぶかし気にミス・トッドを見つめるミス・ピンカートンの視線に、いよいよごまかし切れないと覚ったミス・トッドは、女中のレティーシャに助けを求めた。レティーシャは「すぐに逃げましょう!」と言った。
第12景/ボブの部屋
早速ボブを呼びに行ったミス・トッドとレティーシャは、ボブが酔い潰れて寝ているのを必死で起こし、早くここから逃げましょうと捲し立てた。突然のことに訳も分からず理由を尋ねるボブに、あなたは脱獄犯なのでしょう?とミス・トッドが言うと、ボブは驚き違うと答えた。その言葉に今度はミス・トッドが驚いたが、もう後には引けない。
自分は彼のために犯罪まで犯してしまったのだから..。「お金やお酒を受け取ったあなたも共犯よ!私の愛に応えて一緒に逃げるのよ。」とミス・トッドが言うと、ボブは呆れて、こちらには愛がないと告げる。それを聞いたミス・トッドは怒りが爆発!これまで尽くしてきたのは一体何だったのかと、自分の罪を全てボブに擦り付けることにした。ミス・トッドはレティーシャにボブの見張りを頼むと、一目散に警察へと向かった。
第13景/同じくボブの部屋
ボブと一緒に部屋に残された女中のレティーシャは、街の名士であるミス・トッドの言うことなら、警察も信じてしまうだろうと思い、さてどうしたものかと考える。ボブを警察に引き渡してしまうのが惜しいからだ。そこでレティーシャはボブと逃げることにし、2人は家中の物をまとめミス・トッドの車に乗って出て行ってしまった。
第14景/ミス・トッドの家
怒りに任せて家を飛び出したものの、やはりボブへの想いが断ち切れないミス・トッドは、思い直して自宅へ戻って来た。すると家中の物も車もなく、ボブとレティーシャの姿もないではないか。2人で逃げたと解り、ミス・トッドはあまりのショックに気絶してしまった。(幕)
カーテンコール
この作品は分類上では喜歌劇、オペレッタでしょう。さて、この作品の作曲者、ジャン・カルロ・メノッティはwikiによるとイタリア出身のアメリカ合衆国のオペラ作曲家・台本作家です。渡米しフィラデルフィアのカーティス音楽院に進学、ロザリオ・スカレロより作曲の指導を受けています。同世代の同校出身者にはレナード・バーンスタインやルーカス・フォス、ニーノ・ロータ、サミュエル・バーバーなどがいて、そのうち1歳年上のサミュエル・バーバーとは在学中に知り合い、その後長らく同性愛の関係を続けていました。アメリカにおけるクリスマス・オペラの定番『アマールと夜の来客』(Amahl and the Night Visitors, 1951年)が代表作。「二つの世界」音楽祭(別名スポレート音楽祭)などのフェスティバルの設立にも関わった。エリオット・カーターと並んでアメリカ合衆国における長老作曲家の一人でした。サミュエル・バーバーとともに、30年間にわたって同棲していたニューヨーク州マウント・キスコのカプリコーンの家屋を売り払うと、今度は指揮者のトーマス・シッパーズと同性関係を結んでいました。このトマス・シッパースもカーティス音楽院に学んでいましたかせ、バーンスタインといい同性愛者が多かったのですなぁ。