バック・トゥ1970/09-1 | geezenstacの森

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バック・トゥ1970/09-1

 

 このバック・トゥシリーズはクラシックレコード業界が一番活況を呈していた時代を当時の「レコード芸術」誌を取り上げることによって振り返っています。今回はちょっと先に戻って1970年、そう大阪万博が開かれた年の9月号を取り上げます。

 

 
 表紙は、ロストロ・ポーヴィチ指揮ボリショイ歌劇場管弦楽団、合唱団のチャイコフスキーのエウゲニー・オネーギン」がチョイスされていました。この頃には、ロストロポーヴィチは指揮者としても活動していました。これはEMIに録音したレコードで1970年度のオペラ部門てレコードアカデミー賞を受賞しています。しかし、今ではさっぱり忘れ去られている録音でCDすら廃盤になっています。しかし、捨てる神あれば救う神ありで、YouTubeでは全曲がアップされています。

 

 

 レコ芸ではこの号に録音時のスナップ写真が掲載されています。

 

 
 この特集記事はEMIのプロデューサーだったロナルド・キンロック・アンダーソンが書いたもので、三浦淳史氏が翻訳したものが載っています。それによるとこの録音はパリのオペラ座で3週間の公演を行なっている時に公演と並行して録音されたもののようです。ロストロポーヴィチはこのオペラを1961年から指揮していて、もう手の内にしていたそうで、EMIによる急遽の提案をすんなり受け入れて本公演の期間中にセッションを組んで録音したとのことです。
 
 指揮のロストロポーヴィチとガリーナ・ヴィシネフスカヤ
 
プレイバックのスナップと歌手陣
 

 
 さて、恒例の見開きのページはRCAが独占していて、この月は小沢ボストン響の「火の鳥」と「ペトルーシュカ」を発売しています。録音は1969/11/25で、この当時はまだトロント響の常任時代でした。しかし、翌年からはタングルウッド音楽祭の音楽監督になることが決まっていたので、それを見越しての録音だったようです。しかし、これは小沢/ボストン響の初録音ではなく、この1週間前の11/17に初録音となるヴォルフの「カルミナ・ブラーナ」を録音しています。どちらもわずか1日のセッション録音で、低予算のなかで集中して録音したものでしょう。
 
 
 キングは自社の広告ページの見開き2ページを使ってストコフスキーの「1812年」を大々的に打ち出しています。このアルバムにはリムスキー・コルサコフの「ダッンタン人の踊りと合唱」と珍しいストラヴィンスキーの「田園曲」が収録されています。この曲は元々は室内楽曲ですが、そのメロディの美しさに注目してストコフスキーがオーケストラ編曲したものです。
 
 
 キングはもう一箇所見開きで、広告を打っています。それがマリナー/アカデミー室内管弦楽団のもので、こちらは折り込みの見開きというスタイルをとっています。この時はまだ、レコードは2枚しか発売されていませんが、話題になると踏んでの打ち出しなのでしょう。さらに裏面は世界の雑誌での批評や国内評論家の批評をダイジェストで載せていて、さらに今後の新譜の発売予定まで告知しています。当然上記のレコードは推薦盤になっています。ちなみに、チャイコフスキーはこちらで取り上げています。
 

 

 
 8月に急死したセルのEMIに録音したブラームスのドッペル協奏曲の録音時のスナップです。プロデューサーはピーター・アンドリーで、右の写真にその姿があります。1970/05/12-13の録音で、場所はクリーヴランド管弦楽団の本拠地セヴァランスホールです。こうしてみるとステージでライブと同じような感覚で録音されていることがわかります。
 
 
 こちらはカラヤン/パリ管弦楽団のフランクの交響曲ニ短調の録音風景のスナップです。2枚目の右上が録音会場のワグラム・ザールで、2階席にティパニや金管奏者を配置しているという変則的なセッションです。その下の写真はザルツブルク音楽祭での初顔合わせの時のスナップです。
 
 
 こちらはバーンスタインとウィーンフィルとのスナップで、バーンスタインはこの年、ベートーヴェンの歌劇「フィデリオ」を上演しています。場所はこのオペラの初演された「アン・デア・ウィーン劇場」ということで話題になりました。これはそのリハーサル時のものです。
 
若かりし1970年ごろのクラウディオ・アバド
 
 
 最後はちよっと珍しいパウル・ザッヒャーとチューリッヒ・コレギウム・ムジクムのグラビアです。ザッヒャーは古典から現代音楽まで幅広く指揮した人物で、彼のために書かれた作品はバルトークの「弦、打楽器とチェレスタのための音楽」、「弦楽のためのディヴェルティメント」、リヒャルト・シュトラウスの「死と変容」などがあります。この1970年に来日していたんですなぁ。
 
以下続きます。