名古屋城の刻印石
名古屋城の楽しみ方は色々ありますが、刻印石や刻銘を探すのもその楽しみ方です。名古屋城の石垣は、徳川家康の命により西国を中心とした20の大名による公儀普請で築かれました。どの大名にどこの石垣づくりを割り当てるかを表した丁場割図を見ると、各大名に細かく割り当てられていることがわかります。
本丸搦手馬出周辺の石垣を調査によれば堀底に埋まっている部分に技術的な変遷が見られ、各大名の石垣づくりの技術の差も窺えるといわれます。重要な天守台の丁場は、加藤清正が任されました。これは、家康が清正の技術の高さを認めていたからだとされます。
名古屋城の石垣は、本丸・二之丸・西之丸・御深井丸(おふけまる)を中心に築かれ、三之丸も含めるとその距離は城全体で総延長8.2㎞に及びます。
築城の際、石垣工事を命じられたのは元豊臣家臣の外様(とざま)大名20家で、「丁場割り」といって大名ごとに持ち場が決められていました。石垣に使われている石をよく見ると、さまざまな記号が刻まれています。この刻印は、各大名が苦労して運んだ石を他家と区別するために付けたものとみられ、いさかいを避ける知恵でもあったようです。下がその丁場割りです。
参考までに、当時の大名の刻印です。
















これらの刻銘石は、本丸御殿の東側の石垣にびっしり並んでいます。多分、各大名のお披露目みたいに集められたのでしょうか。以下の20名の大名です。
領 地 大名(氏名) 石 高
・筑前福岡 黒田長政 52.5万石
・豊前 細川忠興 39.9万石
・筑後 田中忠政 32.5万石
・豊後佐伯 毛利高政 2.0万石
・豊後高田 竹中重利 2.0万石
・豊後臼杵 稲葉典通 5.0万石
・豊後日出 木下延俊 3.0万石
・肥前 鍋島勝茂 35.7万石
・肥前 寺沢広高 12.0万石
・肥後熊本 加藤清正 52.0万石
・伊予 加藤嘉明 20.0万石
・阿波 蜂須賀至鎮 18.6万石
・土佐高知 山内忠義 20.3万石
・讃岐 生駒正敏 17.0万石
・長門、周防 毛利秀就 36.9万石
・加賀 前田利常 119.2万石
・飛騨高山 金森可重 3.8万石
・播磨姫路 池田輝政 52.0万石
・安芸 福島政則 49.8万石
・紀伊 浅野幸長 37.6万石

本丸御殿からの名古屋城