新・古着屋総兵衛 八州探訪 | geezenstacの森

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新・古着屋総兵衛 八州探訪

 

著者/佐伯泰英

出版/新潮社 新潮文庫

 

 

 文化二年の元日。年賀の挨拶で賑わう大黒屋の目下の話題は、信一郎とおりんの祝言の話と次の船団長の人選であった。そんな中、年賀客より武州・上州など関八州の田畑の荒廃と無宿者の増加という情報がもたらされ、重ねて「影」からは「八州探査」の指令が下った。天松、忠吉を供に上州高崎に入った総兵衛は、早速賭場に潜入する。盆茣蓙の奥には異彩を放つ異人の用心棒がいた……。---データベース---

 

 新古着屋総兵衛11巻です。前巻で事件が一件落着しているので、この巻は次の章のためのプロローグのような形で物語が進みます。今回は幕府に新たに設けられる関八州取締出役に関わる本庄備後守義親の去就。影様より関八州についての現況調査。2回目の交易航海の人選が中心になります。そんなこともあり、実はこの巻は飛ばして12巻から先に読んでいました。シリーズの展開にはあまり重要ではない内容なので、読み飛ばしても支障はありませんな。この巻の章立てです。

 

目次

第1章 向後100年

第2章 め組の喧嘩

第3章 3人旅

第4章 博徒と蚕

第5章 囚われ人

あとがき

 

 この巻は文化2年(1805)正月元旦から始まります。小さな小競り合いは起こりますが、事件らしい事件は起きません。ただ、脚色して使っている「め組の喧嘩」事件は時間軸がいい加減ですが実際に起こっています。小説では読売やが大黒屋に頼まれて仕組んだ事件ということになっていますが、史実では、町奉行に寺社奉行、勘定奉行まで加わった大事件に発展しています。こんな事件です。

 

 文化2年(1805年)2月に発生した町火消しの「め組」と江戸相撲の力士たちとの乱闘事件のことで、原因については諸説がありますが、芝神明宮(現・芝大神宮)で開催されていた勧進相撲興行をただで見ようとした「め組」の辰五郎たちと、それをいさめた力士の九竜山とのトラブルから始まったと言われています。もともとは些細ないざこざでしたが、両者が再び出くわした芝居小屋でさらに揉め事が大きくなり、果てには町火消しが半鐘を鳴らして仲間を呼び集め、力士も部屋の仲間に加勢を頼んでの大乱闘に発展しました。

 

 小説では、そこに大目付主席本庄豊後守義親の妻がこの芝居見物に出かけたことで謹慎をすることになるのですが、この事件の解決を見たのはその年の9月ということで、ちょっと話の展開に無理があります。余談ですが、この事件南町奉行所が担当していて、裁きは当時の南町奉行・根岸肥前守鎮衛が芝明神の半鐘が勝手に鳴り出したのが喧嘩の原因であると断罪し、この半鐘に 「遠島」(島流し)を申しつけるという粋な計らいをしたためともいわれています。この半鐘は、明治になって遠島の刑が廃止された後、芝明神に返され、現在、本堂に安置されているとのことです。

 

 実際は捕縛された火消し側は、事件の発端となった鳶職人の1人が喧嘩で負傷し牢死したので、残りの主犯2人のうち1人には、半鐘を乱打した罪で 「百叩き」(箒尻というもので肩、背、臀を100回打つ)のうえ 「江戸払い」(品川、板橋、千住、本所、深川、四谷大木戸以内の地の居住禁止)を、他の1人を江戸払いに、喧嘩に加担しため組人足165人に過料50貫、それに親族・縁者には過料、急度(きっと)叱り(叱責)をそれぞれ言い渡しています。 一方、相撲側には、3人のうち、1人を江戸払い、2人を 「無構」(構い無し、無罪)にしています。 火消し側に厳しかったのは、事件の発端が 「め組」 の鳶職人にあったことと火事以外に叩くことを禁じられていた半鐘を喧嘩のために打ち鳴らして騒動を大きくした罪に問われたからでした。

 

 小説では賞を設けてある割にはあっさりとした記述で史実との反故をオブラートしています。八州探訪というタイトルの割には高崎方面しか出かけていませんので見掛け倒しです。敵との対決もありますが、こちらも期待はずれです。この後設置される八州廻り(関東取締役出役)との対決の伏線と捉えた方がいいのでしょう。勘定奉行石川忠房の名前だけ覚えておけばいいでしょう。