4月の散財-1
ハンス・リヒター=シーザーのグリーグ&シューマン
出かけると中古店ではついついレコードコーナーに目がいってしまいます。そんな長て、今回小生のアンテナに引っかかったのは以下の3枚でした。
1.グリーグ/シューマン:ピアノ協奏曲
ハンス・リヒター=ハーザー(p)
モラルト指揮ウィーン交響楽団
2.ブラームス/交響曲第4番
さらに元々のフィリップスレーベルで発売された時のジャケットは次のようなものです。
実に地味なデザインです。ここでこのレコードのデータです。
曲目/
グリーグ/ピアノ協奏曲イ短調Op.16
シューマン/ピアノ協奏曲イ短調op.54
ピアノ/ハンス・リヒター=ハーザー
指揮/ルドルフ・モラルト
演奏/ウィーン交響楽団
録音/1958
生まれたのは1912年1月6日。13歳でドレスデン・アカデミーに入学し、ピアノだけでなくヴァイオリン、打楽器、指揮法も学んでいます。1928年にデビューし、18歳でベヒシュタイン賞(優秀賞)を受賞して卒業し、新進ピアニスト、指揮者の道を歩みます。まず、ドレスデン国立歌劇場の副指揮者に採用され、1932年からはピアニストとしても活動を開始します。その後、第二次世界大戦の勃発によりドイツの防空兵として応召従軍し、演奏会活動から暫く離れることになりピアノを弾くことができなくなり、キャリアが中断されます。
第二次世界大戦後は、デトモルト市立管弦楽団指揮者およびデトモルト音楽院ピアノ科教授に就任しています。しかし、その後、ハンス・リヒター=ハーザーは、ピアニストとしての道を歩むことを決意し、10年のブランクを置いてオランダでピアニストとしての再デビューを図ります。そして1953年、転機が訪れます。病気になったソリストの代役でバルトークのピアノ協奏曲第2番を演奏し(指揮はパウル・ファン・ケンペン)、注目を浴びたのです。聴衆は、突如の円熟のピアニストの登場に驚き、その名声はたちまちの内にヨーロッパ中に広まります。その後、現代ドイツを代表する名ピアニストとして世界にその名声が広まり、世界を代表するピアニストの地位を獲得するに至る。1959年にはアメリカ、そして1963年には日本にも訪れベートーヴェンの見事な演奏を披露した。
戦後はデトモルト交響楽団の音楽監督を務めるかたわら、北西ドイツ音楽アカデミーでピアノ、伴奏法を教えていた。この時期について、本人は「テクニックは大分さびついているが、音楽への理解力は戦前の自分よりもずっと尖鋭になった」と語っているが、モーツァルトのピアノ・ソナタ第6番、第15(18)番を録音した1950年の時点では、テクニックを取り戻していたようである。
1959年には「皇帝」のソリストとしてセンセーショナルな成功を収め、満を持してアメリカ・デビュー。『ニューグローヴ世界音楽大事典』によると、1970年にベートーヴェン生誕200年記念を迎えるにあたり、聴衆の強い要望でピアノ・ソナタとピアノ協奏曲全曲を弾いています。それくらいドイツのベートーヴェン弾きとして定評があったのです。1980年12月13日ブラウンシュヴァイクで演奏中に急逝しています。




