ハンス・リヒター=ハーザーのグリーグ&シューマン | geezenstacの森

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4月の散財-1

ハンス・リヒター=シーザーのグリーグ&シューマン

 

 

 出かけると中古店ではついついレコードコーナーに目がいってしまいます。そんな長て、今回小生のアンテナに引っかかったのは以下の3枚でした。

 

1.グリーグ/シューマン:ピアノ協奏曲

 ハンス・リヒター=ハーザー(p)
 モラルト指揮ウィーン交響楽団

2.ブラームス/交響曲第4番

 フルトヴェングラー/ベルリンフィル
3.マーラー/交響曲第1番
 ショルティ/ロンドン交響楽団
 
 いずれも、非常に状態の良い形で入手することが出来ました。今日はその中からハンス・リヒター=ハーザーを取り上げます。このピアニスト自分の中ではEMIのアーティストというイメージがありました。記憶の中ではベートーヴェンやモーツァルトの協奏曲やソナタのレコードがかなり発売されていました。イシュトヴァン・ケルテスというとデッカのアーティテストというイメージがありますが、1960年代はEMIからモーツァルトのピアノ協奏曲第26番「戴冠式」やベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」がオケはフィルハーモニア管で発売されていました。
 
 
 東芝のセラフィムシリーズでは知っていたつもりですが、フィリップスにリヒター=ハーザーのこんな録音があるとは全然気がつきませんでした。フォンタナレーベルの最初期の一枚で、このシリーズはオリジナルジャケットは全く無視していましたからイメージが湧かなかったのでしょう。ちなみにフォンタナレーベルでの最初の発売も似たようなジャケットが使われていました。
 

 

 さらに元々のフィリップスレーベルで発売された時のジャケットは次のようなものです。

 

 

 実に地味なデザインです。ここでこのレコードのデータです。

 

曲目/

グリーグ/ピアノ協奏曲イ短調Op.16

シューマン/ピアノ協奏曲イ短調op.54

ピアノ/ハンス・リヒター=ハーザー

指揮/ルドルフ・モラルト

演奏/ウィーン交響楽団

録音/1958

 

 生まれたのは1912年1月6日。13歳でドレスデン・アカデミーに入学し、ピアノだけでなくヴァイオリン、打楽器、指揮法も学んでいます。1928年にデビューし、18歳でベヒシュタイン賞(優秀賞)を受賞して卒業し、新進ピアニスト、指揮者の道を歩みます。まず、ドレスデン国立歌劇場の副指揮者に採用され、1932年からはピアニストとしても活動を開始します。その後、第二次世界大戦の勃発によりドイツの防空兵として応召従軍し、演奏会活動から暫く離れることになりピアノを弾くことができなくなり、キャリアが中断されます。 

 第二次世界大戦後は、デトモルト市立管弦楽団指揮者およびデトモルト音楽院ピアノ科教授に就任しています。しかし、その後、ハンス・リヒター=ハーザーは、ピアニストとしての道を歩むことを決意し、10年のブランクを置いてオランダでピアニストとしての再デビューを図ります。そして1953年、転機が訪れます。病気になったソリストの代役でバルトークのピアノ協奏曲第2番を演奏し(指揮はパウル・ファン・ケンペン)、注目を浴びたのです。聴衆は、突如の円熟のピアニストの登場に驚き、その名声はたちまちの内にヨーロッパ中に広まります。その後、現代ドイツを代表する名ピアニストとして世界にその名声が広まり、世界を代表するピアニストの地位を獲得するに至る。1959年にはアメリカ、そして1963年には日本にも訪れベートーヴェンの見事な演奏を披露した。


 戦後はデトモルト交響楽団の音楽監督を務めるかたわら、北西ドイツ音楽アカデミーでピアノ、伴奏法を教えていた。この時期について、本人は「テクニックは大分さびついているが、音楽への理解力は戦前の自分よりもずっと尖鋭になった」と語っているが、モーツァルトのピアノ・ソナタ第6番、第15(18)番を録音した1950年の時点では、テクニックを取り戻していたようである。

 1959年には「皇帝」のソリストとしてセンセーショナルな成功を収め、満を持してアメリカ・デビュー。『ニューグローヴ世界音楽大事典』によると、1970年にベートーヴェン生誕200年記念を迎えるにあたり、聴衆の強い要望でピアノ・ソナタとピアノ協奏曲全曲を弾いています。それくらいドイツのベートーヴェン弾きとして定評があったのです。1980年12月13日ブラウンシュヴァイクで演奏中に急逝しています。

 

 
  いえばステレオ最初期の録音です。1958年の録音ですが、思いの外音が良いのでびっくりしています。フィリップスの音は昔から好きですが、さすが元々は家電音響メーカーであったことが功を奏しているのでしょう。
 
 グリーグはやや音の響きが地味ですが、打鍵が強靭でありつつ骨組みはどっしりとしているので、聴き応えがあります。指揮をしているルドルフ・モラルト(Rudolf Moralt, 1902年2月26日 - 1958年12月16日)は、ドイツ出身の指揮者。リヒャルト・シュトラウスは遠縁に当たります。 1919年からバイエルン国立歌劇場でブルーノ・ワルターとハンス・クナッパーツブッシュのアシスタントを務め、1923年にカイザースラウテン市立歌劇場の指揮者となり、1932年にブルノ・ドイツ歌劇場の音楽監督となり、1934年にブラウンシュヴァイク歌劇場の指揮者に転出し1937年にグラーツ市立歌劇場の指揮者に転じた後、1940年からその死去までウィーン国立歌劇場の首席指揮者の任に就いていました。ここでもそつのないサポートでオーケストラをきっちり纏めています。
 
 シューマンも同様ですが、この地味さがプラスに作用しています。ロマン的な感性を供えもち、フレージング、テンポ・ルバートがまさにドイツ的でゲヴァントハウス派の良い伝統を受け継いでいます。まさにドイツ語のシューマンといってもいいでしょう。自身も指揮者として活躍していたほどですからドイツ・ロマン派保守本流のフレージングで、きっちり構築されたフレームの中で、堂々と歌い上げています。
 
 1960年代までのオーケストラは地方色豊かで、ここでも古き良きドイツのローカリティアル音色を残しています。そのため、聴いていてどこかホッとする安心感を感じることができます。こういう演奏に今まで接していなかったことが残念であるとともに、これは拾い物の一枚でした。