ロリン・マゼールの「巨人」  | geezenstacの森

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ロリン・マゼールの「巨人」

 

曲目/

交響曲第1番ニ長調「巨人」  

1. 第1楽章 ゆっくりと、ひきずるように-常に非常に気楽に 14:45

2. 第2楽章 力強く動いて、だが速すぎずに 7:43

3. 第3楽章 厳粛にそして荘重に、引きずらずに 11:02

4. 第4楽章 嵐のように動いて-エネルギッシュに 17:51

 

指揮/ロリン・マゼール

演奏/フランス国立管弦楽団

 

録音/1979/03 パリ

 

P:ポール・マイヤーズ

E:ミシェル・レパージュ、ギュイ・シェスネ、マイク・ロス=トレヴァー

 

Sony Classical 88697932382-11

 

 

 個人的には、ストコフスキーに継ぐ怪物と思われたのがロリン・マゼールでした。神童と謳われ僅か9歳で指揮者デビューしているという奇才です。小生も彼の名を初めて知ったのは60年代後半で、ベルリンRIAS交響楽団を指揮したバッハの管弦楽組曲や何故かコンサートホールに録音した「眠りの森の美女」などでした。神童というものは大人になると平凡になっていき自然と忘れ去られるのが常ですが、マゼールはそうではありませんでした。アメリカ人でありながらフランス生まれという事もあり、ヨーロッパできっちりと仕事をこなし、オペラも振れる指揮者としてバイロイトにも1960年には初のアメリカ人指揮者として登場を果たしています。ウィーンフィルやベルリンフィルとも密接な関係にありました。主なポストだけでも以下のようになります。

 

1964~75年 ベルリンRIAS交響楽団首席指揮者

1972~82年 クリーヴランド管音楽監督

1988~90年 フランス国立管音楽監督

1984~96年 ピッツバーク響音楽顧問

1993~2002年 バイエルン放送響首席指揮者

2002~2008 ニューヨーク・フィルハーモニック

 

 そて、そんなマゼールの追悼盤として取り上げるのが、フランス国立管を振ったマーラーの「巨人」です。マゼールはこの時までは交響曲第4番をベルリンRIAS響と録音していただけと記憶していますが、ようやくその重い腰を上げてこの巨人が録音されました。ただし、フランス国立管とはこの1番を録音しただけでした。というのも、ソニーはマゼールがボスコフスキーの後釜にウィーンフィルのニューイヤーを振る事になったために、オケをウィーンフィルに変えてしまったのですな。まあ、世間ではこのウィーンフィル初のマーラー交響曲全集は評判になりました。最近の再発でも、ウィーンフィルとの録音は度々品番を買えて登場しています。で、このフランス国立管との録音は忘れ去られた感があります。

 

 それもそのはず、この録音は1981年にLPレコードで発売されたきり、なかなかCD化されず、2011年になって30枚組の「ロリン・マゼール・グレート・レコーディングスBOX」でやっとCD化されたという訳です。多分LPでの発売も印象が薄かったのかもしれません。何しろ国内盤については日本のソニーはデザイんをまったく変えて発売したからです。上記のジャケットはインターナショナルで発売された物で、日本のジャケットは下記のデザインでした。何でも日本人のデザインによるジャケットだったようですが、マーラーにはちょいと合いませんなぁ。

 

 

 さて、この交響曲第1番「巨人」、奇才ロリン・マゼールを満喫出来る演奏です。後のウィーンフィルとの演奏はテンポが遅く、変に老成したマゼールになっていますが、このフランス国立管は初のマーラーの録音だったようで、マゼールの指揮に応えるべく、言ってみればマゼール色全開で演奏しています。そして、聴く方の小生もあまりマーラーに思い込みがありませんから、実に面白くこの演奏を楽しみました。

 

 第1楽章からして、透明度の高い冴え冴えとした表現はフランスのオケらしい響きです。最初のトゥッティで鋭く鳴り渡るホルンなど、これも管の国フランスという独自の魅力があります。このマゼールの演奏の特徴は提示部のリピートを割愛している事でしょう。テンポの速さと相まって音楽が後戻りする事無くぐいぐい前へ進んでいきます。マゼールは音の強弱をはっきりオーケストラに要求し、アナログ末期の録音ながら弱音の効果が素晴らしい演奏で、チェロの第1主題などもクリアながら非常に弱く演奏されています。反対に金管が入ったトゥッティは、青空に突き刺さるような響きながらすっと抜けていきます。よくいえばCBSの音なんでしょうね。で、確認するとプロデューサーはジョン・マックルーアと並び称されたポール・マイヤーズです。録音ロケーションは確認する事が出来ませんでしたが、多分フランス国立放送のスタジオでしょう。残響の少ないデッドな音で混濁が無い分非常に聴き易い音になっています。

 

 第2楽章もアクセントを強調した華やかな明るい音色で描かれた、楽しい演奏です。録音エンジニアが3人もクレジットされていますが、多分デジタル時代を見越したマルチ録音のチャレンジのような響きとも聴き取れます。

 

 特にユニークなのは第3楽章からでしょうか。マゼール節全開と書きましたが、この第3楽章についてはややオケの自主性に任せたフシがあり、冒頭のクラリネットの節回しと言いオーボエにしてもたっぷりとソロを楽しんで演奏しています。また、弦の合奏もまるで歌っているようにテンポが自在に変化しています。マーラーの指示は「厳粛にそして荘重に、引きずらずに」というものですが、個人的には葬送行進曲だと理解しています。そう言う事で引きずるようなテンポの演奏が多いのですが、ここではマゼールはマーラーの指示通り引きずらないテンポで終始音楽を進めています。しかし、表現的には特に再現部の喇叭のフォルティッシモなぞたっぷりとビブラートをかけており、マゼールらしさを随所に織り込んでいます。こういうディフォルメはストコフスキー以上です。思わずニヤリとさせられてしまいます。

 

 さして、第4楽章です。普通は大見得を切って華々しくオーケストラを鳴らすのでしょうが、あにはからんやマゼールは最初こそ指示通り、エネルギッシュな演奏にオーケストラを煽りますが、それ以降はこの楽章をカンタービレに包みます。人によっては物足りないかもしれませんが、自在な呼吸を駆使したフレージングが魅力的で、テンポが自在に変化します。ある意味オペラティックな表現といって言いでしょう考えてみればこのマーラーにしろブルックナーにしろオペラ作品は残していませんからね。マゼールはそういうマーラーに着目して、この交響曲第1番の最終楽章をオペラティックに表現したかったのかもしれません。まあ、そういう意味ではこの録音には是非とも「花の章」を残してもらいたかったものです。