少年忍者 風よ
原作/葉山 伸
作者/横山光輝
発行/講談社 講談社漫画文庫
忍者の宿命を背負った少年の時代ロマン! 幕末の動乱の時代、その昔、伊賀忍者に滅ぼされた鈴鹿忍者の末裔・風太が忍びとして目覚めていく。1978年「週刊少年マガジン」連載以来の初めての単行本。
忍者の宿命を背負った少年の時代ロマン! 幕末の動乱期、忍びとして、勤皇浪士のリーダーとして成長した風太が、伊賀忍者、新撰組、幕府と戦う。1978年「週刊少年マガジン」連載以来初めての単行本。
小学生時代、横山光輝といえば「鉄人28号」であり、「伊賀の影丸」でした。方やSFでもう一方は江戸時代の作品でした。ただ、鉄人28号の印象は薄く、同時に月刊誌「少年」で連載されていた手塚治虫の「鉄腕アトム」は自分の意思を持ったロボットであるのに対して、鉄人28号はリモコンがなくては動かないというやや前時代的な存在でした。で、このリモコンが度々悪人に奪われるという設定があり、とても歯がゆい思いをしたのを覚えています。それに対して、「伊賀の影丸」は忍者として描かれ、当時「隠密剣士」という時代劇もあり、そこに登場する霧の遁兵衛という忍者が登場し、忍者というものが一大ブームを巻き起こしました。どういう訳かこの「伊賀の影丸」はアニメ化されることがなかったので今ひとつブームにはならなかったような気がします。
そういう忍者漫画の流れをくむ作品がこの「少年忍者 風よ」です。個人的には少年忍者というと白土三平の「忍者旋風」が原作となった「少年忍者 風のフジ丸」を思い出してしまいます。この「少年忍者 風よ」は1978年から少年マガジンに連載されたようですが、全く記憶にありませんでした。そんなことで、本屋でこの本を見つけた時は何かとん発見をしたような気がして手に取ってしまいました。ネットで検索すると、この横山光輝氏の作品全集は刊行されたことが無いようですが、中国古典から現代さらには未来までの作品を網羅した全集は手塚治虫氏を筆頭に石ノ森章太郎、藤子・F・不二雄、水木しげる等の全集がしっパンされたにもかかわらず、それがなされていないとはどう見ても出版社が再販制度の上にあぐらをかいているとしか思えない事態です。ここは漫画の文化遺産という意味でも実現に腰を上げてもらいたいものです。
さてこの作品、忍者ものとしては珍しく幕末の江戸時代を描いています。忍者全盛期は戦国時代から江戸時代初期までで、先の「伊賀の影丸」も1650年代の徳川家光時代を描いています。忍者といえば一般には伊賀と甲賀で鈴鹿は存在も知りませんでした。ただ、忍者分類でいけば隠忍と陽忍があることを思えば隠忍としての鈴鹿衆が生き残っていてもさもありなんという感じはします。
あらすじとしては幕末、身が軽いことを除けばごく平凡な腕白小僧だった風太が、町で不思議な術を操る男――牙波羅と出会うところから物語は始まります。好奇心から牙波羅の課す試練を次々とクリアしていく風太は、己が自然を操る忍者・鈴鹿衆の血を引くことを知ります。が、その時両親が何者かに殺害され(実は覚悟の自決)、犯人が幕府の伊賀忍者と告げられた風太は、牙波羅と旅立ちます。
そして牙波羅が風太を預けたのは、多摩の天然理心流道場。そう、新選組の発祥の地です。幕末ということで、新選組の面々がストーリーに絡んでくるというのはなかなかのアイデアです。そこで、若き日の近藤勇らと修行する風太ですが、その中で土方歳三は、風太の持つ殺伐の気に惹かれ、いつか彼を斬る日を夢見て風太に苛烈な稽古をつけるのでした。しかし、道場に山崎烝が顔を見せたことで状況は一変します。実は伊賀者であった山崎は、風太が鈴鹿衆の末裔と気づき、彼を抹殺すべく伊賀者たちが風太のもとに殺到することとなります。土方の助けもあり、かろうじて窮地を切り抜けた風太ですが、道場を離れて何処かへ姿を消すのでした。
――というのが第上巻の第一部あらすじです。その後、物語は京都を舞台とし、鈴鹿衆の一員として桂小五郎らを助ける風太が、土方と池田屋事件を背景に激突する第二部、そして両親の仇(と彼が信じ込んだ)・伊賀者たちとの決戦を描く第三部と続きます。
横山作品としては非常に珍しい幕末を舞台とした本作は、ジャンルとしては上記のあらすじの通り、忍者ものという分類になりますが、他の横山作品の忍者ものとは一風変わった味付けとなっています。
主人公・風太が属する忍者・鈴鹿衆の特徴は、自然と親しみ、そして自然を武器と――たとえば鳥獣を自在に操るなど――すること。その鈴鹿衆が幕府から厳しく弾圧され、伊賀者をはじめとする公儀隠密と死闘を繰り広げてきたのは、ひとえに彼らの理想が、万民が平等に暮らせる世の構築であったためでしょう。
風太が伊賀者と戦う理由こそ復讐のためではありますが、しかしその背後にあるのは一種のイデオロギー、社会変革の意志であり、この点が本作の大きな特徴であると言えるでしょうか。なんでも、途中から原作に追いつき、同時進行で作品が成立していったということで、下巻の京都を舞台とした展開はやや端折って進んでいくという展開になってしまっています。ましてや、風太の敵は伊賀ものであるという設定ですが、実際には幕府の刺客は甲賀者もいたはずでそちらの方については全く触れられていないのが残念です。
そのため、というわけでもないでしょうが――一応の区切りはついているものの――明らかに中途で終了してしまっている感のあるのが残念です。ストーリーの点で考えると、復讐という目的を果たし、同時にそれが虚構のものであったことを知った風太が、真に鈴鹿衆として目覚め行動していく様と、土方と新撰組、そして幕府の落日の様が平行して描かれる構想ではなかったか、そしてラストはやはり五稜郭で、そこで甲賀者との最後の死闘が演じられ、新選組と行動を共にした風太が土方の死を看取るのではなかったかと勝手に想像してしまいます。
それにしても、決戦を挑んだ鞍馬渓谷での死闘では鈴鹿衆が一気に多数に膨らんでしまっていることにびっくりです。そして、くノ一として登場する智恵の存在があまりにもご都合主義なのにやや興ざめです。