パーヴォ・ヤルヴィ/シンシナティ交響楽団のシベリウス
曲目/
Sibelius/Symphony #2 In D, Op. 43
1. Allegretto 9:53
2. Andante Ma Rubato 14:39
3. Vivacissimo 6:25
4. Allegro Moderato 13:51
Tubin: Symphony #5
1. Allegro Energico 10:29
2. Andante 7:53
3. Allegro Assai 10:20
指揮/パーヴォ・ヤルヴィ
演奏/シンシナティ交響楽団
録音/2001/12/01,02 シンシナティ・ミュージックホール、オハイオ
P:ロバート・ウッズ
E:マイケル・ビショップ
テラーク CD*80585

パーヴォ・ヤルヴィは2001年から2011年にかけてシンシナティ交響楽団首席指揮者を務め、退任後はその業績を称えられて桂冠指揮者に任ぜられるなどその関係はきわめて良好でした。この間、2009年には来日公演を果たしていて、NHK音楽祭にも参加しています。
このCDは彼らの第2弾の録音として発売されたものです。ヤルヴィにとっては十八番とも言える曲で、CDではこのシンシナティ交響楽団の他にも、パリ管弦楽団と全集録音も行っています。そして、併録曲のトゥビンの交響曲第5番はエストニアの作曲家の作品ですが、この5月にはNHK交響楽団第1913回定期演奏会で父親のネーメ・ヤルヴィが客演してこの曲を演奏していたのでお聴きになった人も多いのではないでしょうか。
シベリウスの交響曲第2番はここ暫くは聴いていません。最近のシベリウスの興味は交響曲第3番に写っていたのです。そんな中で出会ったのがこのヤルヴィのシベリウスでした。今ではYouTubeで彼の演奏は現在の主兵のNHK交響楽団、パリ管弦楽団とエストニア祝祭管弦楽団と3種類を視聴することができます。ところがその原点ともなるこのシンシナティ交響楽団との演奏はありません。残念ですなぁ。
基本的に彼のスタンスは変わっていません。第1楽章からallegrettoのインテンポでグイグイ突き進んでいきます。ただ、軽快といっても要所要所はしっかり締めていますから、基本はゆったりとしたテンポです。テラークの録音はワンポイントですが、すべての音をバランスよく捉えています。それこそ、ヤルヴィの意図を的確に表現していると言っていいでしょう。CDでも確認できますが、ヤルヴィはコントラバスを第1ヴァイオリンの後ろに配置して録音しています。しかし、不思議なものでパリ管弦楽団とはコントラバスを右奥に配置した演奏をしています。まあ、あまり配置についてはこだわりを持っていないのかもしれませんけどね。
第2楽章は北欧の指揮者に共通するようなゆっくり目のテンポで、それこそルバートを多用して音楽を作っています。音楽の作りは大きいのですが、重苦しさを感じさせないのがスタイリッシュなヤルヴィの長所でしょう。基本的には新しいシベリウス全集に準拠している演奏で、随所に音のバランスが従来の演奏と違い印象を新しくしています。ただ、個性的な演奏家と言われればそういう点はあまり感じられないもので、そういう点では少し物足りないのかもしれません。
続いてお目当てのトゥビン。第1楽章。冒頭からバルトークをも思わせる軽快な弦楽の進行。途中、一度鎮まってから、再び弦楽が盛り上がり、木管が呼応して、金管が咆吼して高まる流れが非常に印象的です。ほとんどまだ音源らしきものがYouTubeにないのですが、こんな曲です。
この楽章は沈んでは起き上がっての流れが多く、作曲された1946年を考えると、1944年にソ連に侵攻されたエストニアの反撃の狼煙の音楽のように思いました。音楽は民族を高揚させるものですなぁ。
第2楽章はとても静謐な祈りのような音楽。CDの解説ではトゥビンの交響曲第5番は彼が祖国エストニアを脱出した後に書かれた作品ということが書かれていますが、もうちょっとマシな解説を付けて欲しかったと思います。ネットの方が情報量が多く、この曲はエストニアの民族音楽と古いコラールに基づく作品とありました。ただ、第6番からはこういう兆候が失わされていきますから、この第5番が一番心に訴えるものがあるのでしょう。
第3楽章は期待感を持たせる準備運動のような音楽です。ほぼ調性がなくなっていますから、音の塊がとどーっと押し寄せる感覚です。強いて言うならニールセンの交響曲第4番「不滅」を思わせる響きといってもいいでしょう。最後にとても印象的なティンパニの連打があり、エストニア人の威厳と誇りを感じさせてくれます。
ヤルヴィはエストニア生まれですが、17歳の時にアメリカに父親のネーメ・ヤルヴィとともに移住していて、アメリカ国籍も持っているそうです。そして、カーティス音楽院ではマックス・ルドルフに師事して指揮を学んでいます。このマックス・ルドルフ、1958年から1970年までこのシンシナティ交響楽団の首席指揮者を務めていてその間にしょ来日を果たしています。