見晴台考古資料館
見晴台遺跡(みはらしだいいせき)は名古屋市南区、笠寺公園内に残されている弥生時代後期を中心とした環濠集落です。見晴台遺跡では、毎年夏に市民参加による発掘調査が実施されています。残念ながら今年は無いようですが、この発掘調査に小生は中学時代に参加したことがあります。当時はまだ、この考古資料館もなく周りは畑だらけでしたが、遺跡を発掘する楽しさをこの時体験したものでした。で、この時考古学、遺跡、古墳に興味を持ったのでしょうなぁ。
その名古屋市見晴台考古資料館は、見晴台遺跡に関する資料の収集、調査研究、展示を行う遺跡博物館です。現在は、遺跡が概観できる常設展を行っています。
見晴台遺跡の全体図 環壕が集落全体を囲んでいることがわかります。
見晴台考古資料館は、昭和54年(1979年)10月に笠寺公園の中に建設されました。弥生時代の集落である見晴台遺跡の調査結果を中心に紹介しています。
最古で約2万年前の旧石器時代の石器が出土しているほか、縄文時代の物とされる土器片なども出土していますが、1940年(昭和16年)に銅鐸を模した「銅鐸形土製品」と呼ばれる土器片が出土したことからその名を知られるようになりました。これは1937年(昭和12年)に我が家にも程近い名古屋市西区の西志賀貝塚に次いで日本で2例目として学会に報告されています。
日本が竪穴式住居の生活をしていた時代、世界では上のような史跡が建設されていたんですなぁ。