歴史の里 志段味(しだみ)古墳群

以前訪れた時にはまだ整備されていなかった「志段味古墳ミュージアム」が今年4月にオープンしています。ゆとりーとライナーで到着したのは小生ともう一人だけでしたが、この日は日曜日とあって家族連れは車でたくさん訪れていました。

パンフレットも新しく整備されています。

タイルで出来た古墳群のジオラマ

さて、バス停わ降りて最初に出会うのがこの「勝手塚古墳」です。て分車で来ると、ここだけポツンと離れていますから見逃してしまいます。

出土した土器のレプリカがディスプレーされています。

ここは前方後円墳で、古墳の周りには豪がしっかりと残っています。

こちらが前方にあたる部分です。こちらにも祠があります。昔の人は古墳に人事やを祭り、神聖な場所として荒らされないように工夫していたんですなぁ。

ミュージアムの南側には竹林が整備されて、殺風景だった古墳群が魅力的になっています。

現在、名古屋市内には、約200基の古墳が確認されていますが、このうち古墳が最も集中しているのが「しだみ古墳群」がある上志段味(かみしだみ)です。近くには庄内川が流れていて、ここが河岸段丘の上に形成されていることがよくわかります。上は「西大久手古墳」

大久手3号墳、志段味古墳群で唯一確認されている方墳です。

大久手3号墳に展示されている出土須恵器のレプリカ

こちらは道路で削られてしまっている大久手4号墳

東大久手古墳

道路で半分削られてしまっている大久手5号墳

再建された志段味大塚古墳、帆立貝式古墳(墳長約51m・後円部径約39m・前方部長約13m)

大正時代に梅原末治によって、東海地方で初めて古墳の学術的な発掘調査が行われました。その時調査された粘土槨からは5世紀後半を代表する最新の武器・武具・馬具が出土しています。

墳丘斜面の葺石は、隣り合う石と石との間に隙間がある貼り石風の葺石で、近畿地方の古墳に類例がある珍しい施工方法です。

頂上部の石室

ホタテ型の部分

石室は2つあったようです。

蓋型埴輪


古墳の後ろに見えるのが名古屋で一番高い山となる「東谷山」です。

大塚2号墳、こちらも道路で半分削られています。

大塚3号墳
名古屋でよくこれだけの古墳群が残ったものです。しかし、そのすぐ際までは宅地開発が進んでいて遺跡保存と開発がせめぎあっているという現実も、この古墳群は示しています。