泣き上戸 くらがり同心裁許帳
著者 井川香四郎
発行 ベストセラーズ ベスト時代文庫

竹本若太夫――いまや江戸では知らぬ者はいない人形浄瑠璃の花形である。ある日の芝居のさなか、対岸で起こった火事に、ふと十五年も昔の出来事がよみがえる。心中しよう、と足を縛ったあの日のことが・・・。ぼんやりと火事をながめる若太夫に激しくぶつかってきた女。女は町方に追われていた。とっさに大胆な行動をとった若太夫とその女のゆかりとは・・・。人情味溢れる シリーズ第八弾!----データベース---
なかなか面白い時代小説に出会いました。まあ、こんな役職があったかどうかはしりませんが、今の時代で言えばTVドラマの「おみやさんシリーズ」みたいなものです。お本的にお蔵入りした事件を一人コツコツと再探索するという物語になっています。しかし、その陰には南町奉行の大岡越前が存在していることから1720年代から30年代頃の時代設定であることがわかります。
この巻の目次です。
第一話 忘れな草
第二話 桶屋の災い
第三話 泣き上戸
第四話 いちしの花
この巻の表紙は第一話のエピソードによっています。釣り好きのポン太がドザエモンになって柳橋の下で見つかったのは7年前です。永尋書留役の角野忠兵衛は迷宮入りのこの事件を追っていました。南町奉行所の定町廻りの酒井一楽は水死の事故だと決めつけていましたが、不審な点がいくつもありました。見つかったポン太の遺体は履物を履いていたし、土手から滑り落ちたのなら二間もある高さからなら何らかの擦り傷があって当然ですが、どこにも傷はありませんでした。ポン太母親のおくみは、同じように子供を失った親たちのつながり「忘れな草」という寄合を作ります。
そんな折、芝居茶屋の娘のみかが水死しているのが見つかります。またも子殺しです。で、この事件をきっかけに事態は大きく動きます。無役の旗本を巻き込み当時流行っていた阿片まで絡んできます。そして、最後に大きなどんでん返しがあります。こういう展開は久しぶりに味わいました。この作者の井川香四郎氏はTVドラマの「暴れん坊将軍」や「水戸黄門」の脚本を書いていたということでなかなか読ませてくれます。
「桶屋の災い」も女絡みで事件に巻き込まれてしまう男の悲哀をうまく捉えていますし、最後にはこれまた見事などんでん返しの結末が控えています。
タイトルにもなっている「泣き上戸」は今をときめく浄瑠璃師の竹本若大夫の絡むストーリーです。今で言えばジャニーズのトップスターのからむ事件と言ってもいいような設定です。そこに、上方芸者崩れの女が絡み盗みや火事、それに逃亡まで絡むのですから、江戸の町は大騒ぎです。忠兵衛も捕まえたはいいのですが、落とし所が見つかりません。それが、いつになく本気を出した定町廻りの酒井一楽の活躍で事件の真相が明らかになります。そこで一芝居打っての事件の解決が図られるのですが、この一連の騒動の陰には思わぬ事実が隠されていました。いゃあ、ここでようやくタイトルの意味がわかろうというものです。
最後もちょっと意味深のタイトルです。いちしの花とは彼岸花、つまりは曼珠沙華のことです。この名は、赤い花を意味する梵語(赤い花が天から降る慶事の兆しという仏教の経典による)で、葉が出ないうちに先ず花を咲かせるという「先ず咲き」を仏教と結びつけ、法華経の「摩訶まんだらげ曼陀羅華まんじゅしゃげ曼珠沙華」から文字をあてたそうです。で、万葉集ではいちし(壱師)の花とも詠まれています。
こ花にまつわる女の話ですから妖艶さが漂うのは無理ありません。何人もの男が翻弄されていきます。話が二転三転するので読んでいる方もどれが真実の話なのかわからなくなってきます。ここではお白州での裁きも途中で終わってしまいます。まさに妖艶さの中に飲み込まれているような展開になっています。