ヴィルヘルム・シュヒターの遺産 | geezenstacの森

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ヴィルヘルム・シュヒターの遺産

 ウィリアム・シュヒターという指揮者をご存知だろうか?1959年から1962年までNHK交響楽団の常任指揮者を務めていた人です。小生は1960年代末にコロムビアから発売された「ダイヤモンド1000シリーズ」に彼のレコードが含まれていたのでかろうじて覚えていました。このシリーズの初期の一枚にベートーヴェンの交響曲第9番があり、そこにシュヒたーの名前がありました。しかし、実際の演奏は聴いたことはありません。多分この録音はCDでも発売されたことがないのではないでしょうか。

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 そのシュヒターの演奏を最近聞きました。といってもラジオ番組を録音したものです。パソコンでながら視聴するためにWindowsパソコンに「ラジクール」というソフトを使って録音しているのですが、しばらく放ったらかしてありました。番組を確認すると「N響ザ・レジェンド」という番組で2017年に放送されたものです。以下のような内容でした。この番組MCは池辺晋一郎さんと女優の壇ふみさんが務めていました。

N響 ザ・レジェンド-N響をしごいたマエストロ-
2017年5/27(土)19:20~ NHK-FM
「交響詩“ドン・ファン”」 リヒャルト・シュトラウス作曲
(16分43秒)
(指揮)ウィルヘルム・シュヒター
(管弦楽)NHK交響楽団
~旧NHKホールで収録~ 
(1959年7月1日)
「スラヴ舞曲第10番 作品72 第2」 ドボルザーク作曲
(4分02秒)
(指揮)ウィルヘルム・シュヒター
(管弦楽)NHK交響楽団
~旧NHKホールで収録~ 
(1959年7月10日)
「交響曲第5番 ホ短調 作品64」 チャイコフスキー作曲
(46分41秒)
(指揮)ウィルヘルム・シュヒター
(管弦楽)NHK交響楽団
「ハンガリー舞曲 第5番・第6番」 ブラームス作曲
(6分35秒)
(指揮)ウィルヘルム・シュヒター
(管弦楽)NHK交響楽団
「蛍の光」 スコットランド民謡
(1分08秒)
(指揮)ウィルヘルム・シュヒター
(管弦楽)NHK交響楽団
~旧NHKホールで収録~ 
(1962年3月25日)

 N響を一流に鍛え上げた名指揮者、シュヒターによる完璧系チャイコフスキー 細部にわたるまで一切の妥協を許さない非常に厳しい訓練を楽団員に施し、N響を一流のオーケストラに育て上げた、ヴィルヘルム・シュヒター(1911~1974)がN響の常任指揮者に就任したのは1959(昭和34)年のことでした。その最初の演奏会で演奏されたのは3月21日のドヴォルザークの交響曲第9番「新世界から」でした。



 これらの演奏はその就任した年に行われたものですが、その練習の厳しさが想像できるような、一糸乱れぬ完璧なアンサンブルを聴くことができました。N響はこの翌年、日本のオーケストラとして世界初めての海外演奏旅行を行い、岩城宏之を中心とした指揮で大変な名演奏を成し遂げましたがシュヒターのもとで行ったこの常任時代の演奏がその礎となっていたであろうことは想像に難くありません。ちなみにシュヒターの後任は小沢征爾でした。



 この演奏をリアルタイムで聴いていたと思われる人はもうかなりのお年でしょう。彼がNHK交響楽団の常任指揮者であったのは1959年から1962年の3年間でした。しかし、3年ではありましたが、この間に黛敏郎の涅槃交響曲がシュヒターの手によって初演されたし、卓抜したオーケストラ・トレーナーとして知られる彼は、N響のアンサンブルを鍛え直したのでした。

 そのシュヒターは1911年にボンに生まれ、ケルン音楽院に学んだ指揮者で、ヘルマン・アーベントロートなどに師事しているから、晩年、日本でも圧倒的な人気を得ていたヴァントなどと同世代のドイツの指揮者であったといえます。しかし、、つい最近まではほとんど忘れ去られていたのではないでしょうか。何にもまして録音が少なく、オーケストラ作品も数えるほどしかレコードになっていませんでした。そして、1974年に63才にして亡くなったこともあり、巨匠たちが存命だったこともあって、メジャーにはさっぱり録音がなかったことも運がなかったと言えるでしょう。

 彼の来日のきっかけは1957年のカラヤンとベルリンフィルの世界ツァーのあった年で、なんとこのツアーの副指揮者として来日していたのです。カラヤンが副指揮者を連れて来日したのは多分この時が最初で最後です。正式な演奏会記録には残っていませんが、シュヒターはこの時、11月21日の仙台での演奏会のプログラムをカラヤンに変わって指揮をしています。曲目は、
ドヴォルザーク:交響曲第5番ホ短調 作品95「新世界より」
スメタナ:交響詩「モルダウ」
ストラヴィンスキー:組曲「火の鳥」
というもので、カラヤンが11月16日に演奏したものと同じ曲目です。

 さて、そんなシュヒターはカラヤンがアーヘン時代から面識があったようで、彼はドイツの地方都市のオーケストラを転任、ヴュルツブルク、アーヘン、ベルリン、ハンブルクといった町の歌劇場などの指揮者を経て、戦後、北西ドイツ放送交響楽団の常任指揮者となっています。レコードになっている第9もこのオケを指揮したものでした。1953年にはケルンの北西ドイツ・フィルハーモニーの常任となり、ベルリン・フィルをはじめとするドイツを中心としたオーケストラに客演を活発に行っています。そんなことで、1957年にはベルリン・フィルの日本公演に副指揮者として来日し、それが初来日となっています。

 そして前述のとおりNHK交響楽団の常任指揮者としてN響をしごき、この時期にN響のアンサンブルの技術は格段に向上したのでした。彼は1962年にドイツに帰りますが、彼の後任のようにNHK交響楽団の指揮者として迎えられたのが、小澤征爾てした。小澤はメシアンの「トゥーランガリア交響曲」の日本初演(1962年7月)などの成果をあげながらも、ドイツ音楽中心に鍛えられたN響とそりが合わなかった上に、勉強不足もたたってボイコット事件にまで発展しています。

 ドイツ帰国後のシュヒターは、ドルトムントフィルハーモニー管弦楽団の音楽監督を死ぬまで勤めています。この間1968年からはドルトムント歌劇場の音楽総監督にもなります。1974年5月、練習中に脳出血を起こし、そのまま亡くなっています。

 この番組では後半N響とは最後の演奏会となった1962年3月25日の演奏会から、チャイコフスキーとブラームスが取り上げられていました。

 

 ブラームスの方は映像も残っています。