ジャンクレコード 落穂拾い 3 | geezenstacの森

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日本フォノグラム邦楽47年7月新譜/シングルダイジェスト盤
 
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今回は邦楽のサンプラー盤を取り上げます。それも、邦楽のシングルのものです。この当時は邦楽と洋楽、そしてアルバムとシングルでサンプラー盤が分かれていました。日本フォノグラムは松下電器の資本が入っていましたので、このころはビクターから分離してフィリップスをメインに発売していました。翼下には「ヴァーティゴ」レーベルがありましたが、プログレ系のアーティストが所属していて異彩を放っていました。本来はイギリスのレーベルでしたが、日本でもフォーク・ロック系のアーティストが所属していました。
 
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 その中には長谷川きよしが所属していて、異彩を放っていました。このサンプラーには、そんな長谷川きよしの「黒の舟歌」が収録されていて、このサンプラーでこの曲を知りました。このサンプラーのジャケットには中央下にヴァーティゴに所属するアーティストたちが写っていて、長谷川きよしやミッキー・カーティスの姿が伺えます。ただ、長谷川はこの一曲だけでヴァーティゴを離れています。

 

 
 曲目は写真を見てもらうことにして、その「黒の舟歌」はインバクト十分で、今では小生のカラオケの定番曲になっています。(^◇^;)野坂昭如のカバーですが、こちらの方がヒットしています。
 
 まあこの曲、最近では異色の泉谷しげると大竹しのぶが歌っているものがお気に入りです。
 
 ヴァーティゴレーベルで発売されたものでもうひとつ見逃せないのはつのだひろの「メリー・ジェーン」です。ただし、この曲は最初はフィリップスからFS-127としてA面:メリー・ジェーンB面:マイ・ジプシー・ウーマンで1971年に発売されています。で、ここに収録されているのは、1972年7月に同一音源から間など数小節に編集を加えたバージョンが、ヴァーティゴからつのだひろ名義で発売されたものです。
 
 まだ、この年は尾崎紀世彦は健在でした。「また逢う日まで」ほどのヒットはしませんでしたがこの「二人は若かった」もヒットしました。
 
 そして、もう一人忘れてはならないのは黛ジュンですかね。東芝でヒット曲を連発していましたが、結婚して引退し、再出発を図ったのがこのフィリップス移籍第1弾の「裸足の妖精」でした。ただ、全くヒットせず、しばらくしてまたソニーに移籍しています。ですから幻の曲に近いでしょう。そんなこともあり、YouTubeにもアップされていませんでした。
 
 岡本信はジャガーズ、野口ひでとはオックスのボーカリストでしたがグループサウンズ凋落後の独立は簡単ではありませんでしたねぇ。
 
 そんな中A面の井上順之は成功した一人です。スパイダーズが解散した時に井上順から改名したのですが、現在ではまた井上順にもどしています。これは当時、痔で悩んでいたので之(じ)は良くないと、戻したのだそうです。しかし、この時期ソロ歌手としてもコミカルな歌を連続してヒットさせていました。この前年には「昨日・今日・明日」を、そして「お世話になりました」をヒットさせています。
 
 この曲は「涙」に続く第4弾だったのですが、これ以降はヒットチャートわ賑わせることはなかったように記憶しています。「遠い汽車」はこのB面の曲でした。
 
 水戸黄門のイメージが強いので、由美かおるが歌手だったことを覚えている人はもう少ないのではないでしょうか。れっきとしたフィリップスの歌手だったんです。まあ、当時は西野バレエ団の3人娘の一人でした。その3人とは金井克子、奈美悦子、由美かおるだったのですが、一番目立っていたのはこの由美かおるだったのではないでしょうか。残念ながらこの曲もYouTubeには無いですね。
 
 最後に控えるのがムッシュかまやつことかまやつひろしの「のんびりいくさ」です。
 
 この前のヒット曲は名曲「どうにかなるさ」でした。同じ傾向の歌かと思うと裏切られます。ムッシュもスパイダース出身ですが、この曲はその流れのロック調の曲です。コンサートではよく歌っていました。本人はこういう歌の方が合っていたんでしょうなぁ。
 
 本人の意思とは反して、この「どうにかなるさ」や「我が良き友よ」なんかがヒットするのですから世の中はままならないものです。しかし、ずっとフィリップスのイメージだったので「どうにかなるさ」はフィリップスで「我が良き友よ」が東芝からの発売とは調べるまでわかりませんでした。
 
 ご冥福を祈ります。