バック・トゥー・1977 最初の海外旅行 12
ベネチィアは本当に海上都市です。ベネチアはイタリア北部のベネト州の州都で、アドリア海のラグーンに浮かぶ 100 を超える小さな島々からなります。本土側のベネチア・メストレ駅から海上橋を列車はゆっくりと進み、島の「サンタ・ルチア駅」に滑り込みます。ここはもちろん末端型の駅で、乗客はここからゴンドラタクシーに乗り換えます。到着は、6日の日曜日朝9:20分でした。

全く右も左もわかりませんでしたが、ぞろぞろと歩く一団もあったので一緒について歩きます。そんなに大きな島ではないので運河をいくつも渡り、一行はサン・マルコ広場に向かっているようでした。ただ、朝食を食べていなかったのでグランド・カナルの運河沿いの喫茶店で朝食をとることにしました。
ちょうど運河に面したテラス席で、日本人学生学生が一人コーヒーを飲んでいましたので話しかけてみました。彼は九州から来た学生のようで、やはり一人でベニスに足を伸ばしたようでした。これからサン・マルコ広場を見に行くというので、一緒に行くことにしました。運河沿いに屋根付きでアーケードになっているリアルト橋を渡り、迷路のような運河を渡って広場に入ります。

まあ、だだっ広い広場で観光客であふれています。このサン・マルコ広場は結構散策したのでしょうがほとんど記憶にありません。ベネチアで一番記憶に残っているのは、二人で「フェニーチェ劇場」へ行ってオペラを見たことです。それも偶然です。迷路のような裏道を歩いていたら偶然、劇場の前に出たというわけです。どちらともなく、オペラを見ようかということになりチケットを買って入りました。今回は3階の左手バルコニーでしたがよく舞台は見えました。演目はヴェルディのオペラでも珍しい「二人のフォスカリ(I due Foscari)」という初期の作品でした。この3階席の左端ぐらいの位置で鑑賞しています。

この「フェニーチェ劇場」はイタリア語でfeniceは不死鳥を意味し(英語のphoenixに相当)、その名は1773年に火災で焼失したヴェネツィアの他の歌劇場の後継を自負して名付けられたといいます。しかし、この劇場も二度の火災に逢い、最近では1996年に改装工事中に工事業者の放火という呆れた理由で消失しています。ですから、現在の劇場は小生らが見たものとは違います。名古屋城のように詳細な図面も残っていないということで、復元には苦労したようです。
この日は日曜日ということで日中から公演が行われていたことで鑑賞することができました。ただ、どんな歌手が歌っていたのかは全く手元に資料が残っていません。ただ、終演後の拍手はものすごく、何度も何度もカーテンコールで主役の歌手が登場してことは覚えています。
その後、駅に戻っていますが、彼は小生とは反対方向のドイツへ向かうということでそこで別れました。夕食とちょっとした土産物を買って、このベネチアは22:24発のローマ行きの夜行列車に乗り込みました。メモによると列車番号は「389」となっています。列車はポローニャからフィレンツェを経由してローマ・テルミニ駅には7:15分に到着しています。
ただ、今でもそうでしょうが当時は列車内でもスリが横行していて、何人かの学生がこの列車の中でスリにあったという話が流れてきました。噂にたがわず、物騒なところだと気をひきしめて、改めてパスポートとトラベラーズチエックを腹巻の中にしまいこんだのを覚えています。

当初の予定では、ついたら「蚤の市」に出かけようと計画していましたが、どこをどう間違ったがバスに乗り込みそのままバチカン市国へ行ってしまいました。最初はそこがどこだかわかりませんでしたが、同じ列車に乗っていた仲間が教えてくれました。ローマ法王を統治者とし、東京ディズニーランドよりも小さい!世界一小さな国がバチカン市国です。確かにイタリア・ローマ観光で外せない人気観光地でもありますから偶然にしてもうれしいハプニングでした。予定外で全く予備知識もありませんでしたので、その仲間についてぞろぞろと見学です。
目の前にはサン・ピエトロ寺院がデーンと控えていました。バチカン美術館(Musei Vaticani)は多くの美術館・博物館の総称で、全長7kmある展示コースには世界中から集められたコレクションが所狭しと並んでいます。コース上にはこれでもか、というぐらい彫刻作品が並んでいます。当時は、裸像彫刻の全てに葉っぱが付けられていて、美術品としての価値はどんなものかと訝しく思いましたが、今はどうなっているんでしょうなぁる


見学コースの終わりの方に位置する有名なシスティーナ礼拝堂は、ローマ教皇シクストゥス4世(在位:1471-1484年)により建てられたレンガ造りの頑強な建築構造を持つ礼拝堂です。偶然、昨年徳島にある「大塚国際美術館」でこのシステーナ礼拝堂と再会しています。内部をミケランジェロ、ボッティチェッリ、ペルジーノらルネサンス時代の偉大な画家達が装飾したことで知られています。この時はずっと天井壁画を見ていて首がしっかり疲れたことがやけに記憶に残っています。

このバチカン市国を見学の後、いよいよローマ市内に入ります。まず向かったのはトレビの泉、やってきましたコイン投げ。でも、未だにイタリア再訪はは実現していません。そして、次に向かったのがスペイン広場。ここで「ローマの休日」が撮影されたんだと一人納得していました。

ローマは異常に暖かかった記憶があります。この旅行の間じゅう雨に降られたという記憶はありません。夏はどうか知りませんが、天候だけ考えれば冬の方が旅行しやすいのではないでしょうか。そんなことで、喉が渇き、街角のスタンドでファンタを買っています。オレンジでしたが異常に色素の強い色合いでびっくりしたことを覚えています。
コロッセウムあたりはバスの車窓から眺めただけで、後は恒例のレコードショップ回りで物色して時間をつぶしています。ここではさすが本場なのか、トスカニーニのレコードがやたら並んでいました。それまで、トスカニーニのレコードは全く持っていなかったのでここでは彼のレコードを中心に買い漁っています。それと、当時流行していた「ダニエル・センタクルツ・アンサンブル」の「「悲しみのソレアード」を含むLPを見つけたのでそれもゲットしました。後にこのレコードはオークションで処分しましたが、1000円ほどで購入したものが1万円近くで売れました。
先にウィーンで一日余分に滞在していましたので、ローマはその日だけで23:40分発のジュネーヴ行きの列車の乗り込んでいます。このジュネーヴでは同級生と再会することになっていました。