バック・トゥー・1977 最初の海外旅行 11
さて、夜はいよいよオペラです。開演は午後7時半ですから、事前に腹ごしらえだけは済ませておきます。当日券は歌劇場の前のチケットブースで販売され、3階のバルコニー席が安く学生はそのチケットを狙います。小生も舞台上手の最前列くらいの3階バルコニー席でした。身を乗り出さないと、殆ど舞台は見えません。でも、500円くらいでオペラが観れるのですから十分価値はあります。

この日の演目はプッチーニの「トスカ」でした。指揮はアルベルト・エレーデ、トスカにはエヴァ・マートン、カヴァラドッシ役はジャコモ・アラガルでした。そして、スカルピア男爵役にはテオ・アダムが出演していました。多分本格的なオペラを見たのはこれが初めてだったと思います。事前知識もなく、ましてや原語上演でストーリーが理解できるわけもなく、パンフレットもドイツ語ですからちんぷんかんぷんです。そういう意味では音楽を純粋に楽しめたと言っていいでしょう。パンフレットは共通のもので、その日の出演者を印刷した紙が一枚差し込まれているだけという簡素なものです。
この1977年の3月のウィーン国立歌劇場の演目はすごいラインナップです。昨日の記事にそのリストが載せてありますが、
3/1 プッチーニ:西部の女
3/2 バレエ:ヒゼー/交響曲ハ長調、アポロ、ディヴェルティメン
3/3 プッチーニ:トスカ
3/4 プッチーニ:椿姫
3/5 モーツァルト:魔笛
3/6 プッチーニ:西部の女
3/7 ワーグナー:さまよえるオランダ人
3/8 ヒゼー:カルメン
3/9 ヴェルディ:リゴレット
3/10 オッフェンバック:ホフマン物語
3/11 プッチーニ:蝶々夫人
3/12 バレエ:チャイコフスキー/くるみ割り人形
3/13 ロッシーニ:セヴィリアの理髪師
3/14 プッチーニ:トスカ
3/15 モーツァルト:後宮からの逃走
3/16 オッフェンバック:ホフマン物語
3/17 ベッリーニ:ノルマ初日公演
3/18 ヴェルディ:運命の力
3/19 R.シュトラウス:サロメ
3/21 ベルリオーズ:トロイヤの人
3/22 ワーグナー:ワルキューレ
3/23 ベッリーニ:ノルマ
3/24 プッチーニ:椿姫
3/25 ベッリーニ:ノルマ
3/26 ベートーヴェン:フィデリオ
3/27 マスネ:マノン
3/28 モーツァルト:コシ・ファン・トッテ
3/29 ベッリーニ:ノルマ
3/30 ドニゼッティ:ドン・バスクァーレ
3/31 バレエ:プロコフィエフ/ロメオとジュリエット
とまあ休演日は20日だけです。レパートリーシステムの上演だからこそこういうことができるのでしょう。
さて、肝心のオペラですが当時名前を知っていたのはテオ・アダムぐらいでカラヤンとワーグナーのニーベルンクの指輪で活躍していましたし、数々のオペラ録音もあり、バス・バリトンで大活躍をしていました。後に知ったのですが、エヴァ・マートンもこの年からバイロイト音楽祭に出演し、タンホイザーでエリザベスとヴィーナスの両方を歌っています。ジャコモ・アラガルはテノール歌手でスペインはバルセロナの出身です。ハヴァロッティと同期という意味では早くから活躍していたと言ってもいいでしょう。なかなかいい歌声で、この時初めて聴いて印象に残っています。ある意味カレーラスより良いのではと思ってしまいます。容姿で負けたか?
この公演が素晴らしかったので翌日も楽しみにしていました。
4日は「椿姫」でした。こちらも指揮はアルベルト・エレーデでした。しかし、二晩続けて違う演目を指揮するなんてすごいですなぁ。毎日なんやかんや上演しているわけですから、まともにリハーサルなんてする時間がないのにきっちりまとめてくるのはさすがオペラ界の重鎮指揮者です。
この日の出演者は、ヴィオレッタにミラノ・スカラ座の専属歌手のエレナ・マウティ・ヌンディアタ、フローラ役にソフィア・マサラキス、アルフレードはヴェリアーノ・ルケッティ、アルフレードの父にロバート・カーンズ、アンニーナ役はマルガリータ・ショステッドというものでした。こちらは全く知らない歌手ばかりでしたので、どうも集中して観ることができなかったようです。主役のヌンディアタは、このヴィオレッタを当たり役にしていたようで、引退公演でも椿姫を歌っています。彼女は1990年代中頃に引退しているので、ネットを検索してもほとんど記事がありません。

大体が、当時の知識力で「La Traviata」が「椿姫」とは認識していないほどオペラには疎かった時代です。日本語のタイトルがいけませんな。(^◇^;)椿姫とわかったのは「乾杯の歌」が登場してからで、現代を直訳すると「自堕落女」という意味で、これなら話の筋は分かろうというものです。
てなことで、半分しか見えない舞台を楽しむでなく、もっぱらエレーデの紡ぐ音楽を楽しんだ一夜でした。まあ、多分ウィーン国立歌劇場は訪れる機会がほとんどないでしょうから、この2夜連続のオペラ鑑賞は貴重な人生体験でした。
最終日は、多分買い集めたレコードを梱包して郵便局へ持ち込み船便で送る手続きをしていたはずです。ついでにリングを路面電車で一周したような記憶があります。そして、この日の夜る列車の確認のため、ウィーン南駅を確認しています。今は無くなってしまいましたが、当時はこの駅からイタリア方面の列車が出ていました。そう、ウィーンも方面ごとに乗れる駅が違っていたのです。
最終日のコンサートは、ムジークフェラインザールで開催されました。こんなプログラムです。


ヴァイオリンはレオニード・コーガン、指揮はイェジー・セムコフ、そしてオーケストラはウィーン交響楽団でした。このコンサートのチケットは早々と完売していました。しかし、立ち見の席のチケットが当日券として販売される情報をキャッチしていたので並びました。そして、やっとの事で手に入れましたが、ホールの後ろのいわゆる土間スペースで、立ち見も超満員状態で、背の低い小生は背伸びしながらステージを覗き、漏れ聴こえてくる音に耳を傾けていたというのが実情です。
このプログラムも、毎回の使い回しのカバー方式で、中にこの日のコンサートの曲目紹介と、演奏者のプロフィールを記した印刷物がペラ2枚差し込まれていただけで、何と入場料より高い12シリングを支払わされました。こういう点を考えると、日本のプログラムは豪華ですがそれなりの内容があると言っていいでしょう。
コンサートは、いきなりコーガンの演奏するベートーヴェンのヴァオリン協奏曲で始まりました。ステージからは一番遠い土間席ですが、コーガンの奏でるヴァイオリンはそこまで朗々と響いて、やはり並みのヴァイオリニストではないと感じた次第です。調べてみると、コーガンの愛用していたのはグァルネリ・デルジェスで、その音色は精緻でありながら力強く朗々と響き渡ったようで、確かに小生が聴いた音もまさにこのグァルネリの音だったようです。
このコンサートすごい熱気で、第1楽章が終了した時小生の近くにいた女性が一人その場で倒れこみました。すぐさまロビーに担ぎ出されていきましたが、ことほどさようにテンションの高いコンサートでした。そして、演奏が終わると万雷の拍手は当然で、コーガンは十八番のバッハのシャコンヌをアンコールで演奏したものでした。下は1977年当時のコーガンの演奏するベートーヴェンでクリヴィヌ指揮フランス放送フィルハーモニー管弦楽団と共演するコーガンのベートーヴェンです。
後半はチャイコフスキーの交響曲第4番だったのですが、どんな演奏だったか全く記憶にありません。ただ、セムコフの名前は脳裏に刻まれていて、のちに米VOXからシューマンの交響曲全集
が出た時は迷わず買ったものです。この当時セムコフはセントルイス交響楽団の音楽監督を務めていました。この視聴記は別に記事にしています。
このプログラムは翌6日も開催されています。そして、8日には同じムジークフェラインのブラームスザールでリサイタルを開き、娘のニーナ・コーガンとともにベートーヴェン、ブラームス、ラヴェルの作品を演奏しています。
さて、コンサートは10時頃終わり、それからウィーン南駅に駆けつけています。この日は23:30発のヴェネツア行きの夜行列車に乗っています。このころは若いだけあって、体力がありました。(^_^;)