日本史の謎は「地形」で解ける | geezenstacの森

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日本史の謎は「地形」で解ける

著者/竹村広公太郎
発行/PHP研究所 PHP文庫

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 京都が日本の都となったのはなぜか。頼朝が狭く小さな鎌倉に幕府を開いたのはなぜか。関ヶ原勝利後、家康がすぐに江戸に帰ったのはなぜか。日本全国の「地形」を熟知する著者が、歴史の専門家にはない独自の視点で日本史の様々な謎を解き明かす。歴史に対する固定観念がひっくり返る知的興奮と、ミステリーの謎解きのような快感を同時に味わえる1冊。---データベース---

 この本の著者・竹村公太郎さんは歴史学者などではなく、工学部土木工学科出身で建設省にいたという土木エンジニアです。国土交通省での最終役職は、なんと河川局長です。この本はそういう経歴の人が土木工学の見地から日本の歴史を読み解いたというとてもユニークな視点の本です。こういう書籍を歴史の授業の副読本として使用すると歴史に興味を持つ子供が増えるのではないでしょうかねぇ。

 これまで歴史は、主として文系の人文社会分野の専門家や歴史学者の方々が、思想、哲学、宗教、文学、社会、経済…等、人の営みのほうにばかり着目して分析してきたようなところがあります。そして歴史は常に英雄達を中心に語られてきたようなところもあります。なので、歴史は戦いの勝者によって、勝者に都合のいいように書き換えられてきたというようなところも実際ありました。その生活環境の地理的自然状況を無視しては生きてこれなかったはずですから、その条件を無視して歴史が成り立つはずはありません。

 日本列島は北緯25度から45度の温帯に位置して、周囲を海に囲まれた南北に細長い列島です。列島の7割は山岳地帯で、平野の面積は僅か1割に過ぎません。その平野はいずれも沖積平野で、水捌けが悪く、雨が少しでも降れば水浸しになるような土地ばかりです。7割は山岳地帯ということで河川の勾配は急で、山に降った雨は一気に洪水となって海に流れ去り、日照りが少しでも続けば今度は水不足に悩まされます。そういう自然環境に果敢に立ち向かったのが徳川家康だということが、この本を読むと良く分かります。

 この本の章立てにその特徴があります。

目次 
第1章 関ヶ原勝利後、なぜ家康はすぐ江戸に戻ったか―巨大な敵とのもう一つの戦い
第2章 なぜ信長は比叡山延暦寺を焼き討ちしたか―地形が示すその本当の理由
第3章 なぜ頼朝は鎌倉に幕府を開いたか―日本史上最も狭く小さな首都
第4章 元寇が失敗に終わった本当の理由とは何か―日本の危機を救った「泥」の土地
第5章 半蔵門は本当に裏門だったのか―徳川幕府百年の復讐1
第6章 赤穂浪士の討ち入りはなぜ成功したか―徳川幕府百年の復讐2
第7章 なぜ徳川幕府は吉良家を抹殺したか―徳川幕府百年の復讐3
第8章 四十七士はなぜ泉岳寺に埋葬されたか―徳川幕府百年の復讐4
第9章 なぜ家康は江戸入り直後に小名木川を造ったか―関東制圧作戦とアウトバーン
第10章 江戸100万人の飲み水をなぜ確保できたか―忘れられたダム「溜池」
第11章 なぜ吉原遊郭は移転したのか―ある江戸治水物語
第12章 実質的な最後の「征夷大将軍」は誰か―最後の“狩猟する人々”
第13章 なぜ江戸無血開戦が実現したか―船が形成した日本人の一体感
第14章 なぜ京都が都になったか―都市繁栄の絶対条件
第15章 日本文明を生んだ奈良は、なぜ衰退したか―交流軸と都市の盛衰
第16章 なぜ大阪には緑の空間が少ないか―権力者の町と庶民の町
第17章 脆弱な土地・福岡はなぜ巨大都市となったか
第18章 「二つの遷都」はなぜ行われたか―首都移転が避けられない時

 家康の江戸開府、その直後から行われ何代にも渡って続けられた壮大で、執念とも言える治水事業。家康は秀吉の命により交通の要所である甲府から、河や湖沼に行く手を阻まれた江戸という劣悪な土地に着任しています。為政者の観点から大阪や京都は限界がきていることをいち早く見て取った家康は、利根川の流れを東京湾から銚子に移すことで、湿地帯が乾燥した土地に生まれ変わることに気がついていたのです。壮大な都市計画を描いていたのかもしれません。直ぐに利根川の治水を開始し、関東一円の湿地帯を新田に造りかえ、米の生産力を増大させます。さらに小名木川を開削し海上交通網を整備して行きます。さらには参勤交代で街道を整備し、大名屋敷で生活させることで富が江戸に蓄積され、ために分業化が進んで100万都市が誕生する基礎を作っています。
 
 全ての章が斬新な切り口で語られていますが、第2章はちっと疑問符がつきます。比叡山の焼き討ちは歴史的事実ですが、あえて辛口を言えば、これは多少作者の作為が感じられます。しかし、第6章から第8章までを費やして忠臣蔵の話を取り上げていますが、これは中々説得力のある視点です。戦国時代吉良と松平がきびすを接していたのは事実であり、吉良も塩田開発に力を入れていたのも事実です。その吉良と徳川松平家の睨み合いが、忠臣蔵の別の部分で作用していたのは面白い見方です。

 さらに京都、奈良、大阪、福岡と言う地域の地理的分析もなるほどとうなづける点が少なくありません。京都、大阪が栄え、奈良が衰退した地理的背景が見事に整理されています。確かにいまでも、京都と奈良はセットで観光の対象とされていますが、京都では宿泊しても奈良ではせいぜい日帰り止まりです。この本ではちょっと古い平成7年の都道府県別ホテル旅館の客室数の一覧が掲載されていますが、奈良は最下位です。セットの観光都市ではあっても宿泊する都市ではないんですなぁ。我が家でも過去に何度か京都・奈良を訪れていますが、奈良で宿泊したのは一度しかありません。

 さて、この本は広重の浮世絵が随所に登場します。この広重の浮世絵には当時の江戸を知るヒントが隠されています。そのフィルターを現在にダブらせると江戸の地形が浮かび上がってきます。こういう着想も中々面白く、そこから語られる発想も興味深いものがあります。

 最後の章の遷都の理由についても、水と燃料という視点から捉えられています。いささか雑駁な感じもしますが、時代時代の森林事情を考慮するとこういう視点も成り立つのだなぁと言う実感です。そして、最後に邪馬台国の存在についてもちらっと言及されていますが、このエネルギーの法則と交流軸の観点でいくとそれにふさわしいのは九州の伊都国なのだそうです。これまた面白い推測です。