大江戸仙界紀
著者/石川英輔
発行/講談社 講談社文庫

暮れから正月にかけての、江戸市中のにぎやかな生活。かわいい芸者のいな吉を連れて熱海へ……。160年前に転時(タイムスリップ)できる中年男の洋介が目を覚ますと、妻のかわりにホテルのベッドでいな吉が寝ていたから大あわて。綿密な考証で、江戸に遊び、江戸に学ぶ大好評の「大江戸シリーズ」第4弾。---データベース---
以前は単行本で所有していたのですが、処分してしまっていました。それを友人から文庫本の形で貰ったので再びこのシリーズを読み始めました。このシリーズは現在では下記の7作品がシリーズ化されています。第1作は再度評論社からハードカバーで再出版されるほどの人気です。この第一作は主人公速見洋介役を滝田栄、医者の英哲役は前田吟というキャストでテレビドラマ化もされていました。
『大江戸神仙伝』(石川英輔,評論社,1992.02.20)---初出は1979年 講談社刊
『大江戸仙境録』(石川英輔,講談社,1986.11.05)
『大江戸遊仙記』(石川英輔,講談社,1990.12.05)
『大江戸仙界紀』(石川英輔,講談社,1993.05.31)
『大江戸仙女暦』(いな吉江戸暦)(石川英輔,講談社,1996.01.30)
『大江戸仙花暦』(石川英輔,講談社,1999.12.10)
『大江戸妖美伝』(石川英輔,講談社,2006.02.23)
どれも江戸時代の風情を満喫出来る作品ですが、第3作だけはちょいとタイトルに「遊」の字があるように内容が色っぽい作品になっていて異色です。そういう批判もあってか、この第4作ではまた何時ものパターンに戻っています。で、今回のタイトルには「紀」の字が使われています。「伝」、「録」、「記」とつづいての「紀」です。字面から分かるようにメインは紀行なんですね。後半は江戸から熱海への温泉旅行です。今の時代なら東京から熱海まで新幹線で1時間もかかりませんが、この時代の熱海は何と4日間を掛けての遠出となります。それにこのルートは東海道の別ルートにもなりますから箱根の関所を通らない脇道でも通行手形がいるんです。そんな事でちょっと熱海温泉まで、という気楽な旅行ではないんですな。
主人公の速見洋介は愛人のいな吉を連れて二人で温泉でもと簡単に考えていましたが、とてもとてもそういうわけにはいかず、結局女3人と男衆4人のパーティにふくれあがってしまいます。なによりも徒歩で、それも女の足でいきますから行き帰りの事を考えると約一ヶ月の大旅行になってしまうのです。メンバーは洋介といな吉、それに唯一の熱海経験者のおこま姐さん、女中のおたね、そして荷物持ちとして大手酒問屋の井筒屋の使用人の平吉、さらには武士がいた方が何かと都合が良いという事で、前作で登場した公人朝夕人の土田孫左衛門が観光ガイドとして同行します。そして、武士にはお供を連れて行くのが普通なのでさらに井筒屋から半次という力持ちの男までついて来ます。そして、この旅行の掛かりはすべて速水洋介が負担するのです。
そして、旅立ちの日は明け4ツという今で言う午前2時過ぎの真っ暗闇の中での出発です。それも道中、途中の芝まではお見送り人がゾロゾロと付いてくるという大それた旅立ちになります。その芝の高輪の大木戸は江戸の東海道の入り口でもあります。余談ながら伊能忠敬の全国測量はこの地からスタートしていると書いてあります。知りませんでした。さて、先ほどの通行手形は正式に箱根を超えるための手形よりは簡素なもので、熱海へ行くのは根府川の関を通るので往来切手で良かったそうです。これは各自の檀家寺に百文払って発行してもらうのだそうです。しかし、速見はこの時代の人間ではないのでここは井筒屋に頼み込んで作ってもらいます。まあ、速見家も井筒屋と同じ浄土宗という事も幸いしています。
さあ、こんな形での熱海旅行途中で寄り道やら参拝でのんびりしたものです。でも、この道中記、今では伺い知れない景勝地を愛でながらの旅で、中々味わいのある歩き旅となっています。江戸庶民の旅風情が疑似体験出来て中々おつなものです。途中の関所超えなんかは、土田孫左衛門の役職が物を言ってほとんどフリーパスになってしまいます。くさっても孫左衛門は徳川幕府直参の武士ですからね。
道中の旅行記はまるで江戸時代の東海道を旅しているような描写で、楽しませてくれます。一つ勉強になったのは途中で参勤交代の行列に出会うのですが、この作法に付いても詳しく描写されています。まあ、映画の「超高速参勤交代」を見ていれば納得することなんですが、今までドラマで描かれていたものとはずいぶん違います。さらに、尾州と紀州は三月、在府期間が一年以上の譜代大名は六月と八月、外様大名は四月、五月と分かれていたようで渋滞は発生しなかったようです。
さて、この熱海旅行。実は現代の速見家の方でも妻の流子が同時期に熱海で仕事をしている事になっています。誠に都合の良いシチュエーションです。いろいろな事があるのですがこの熱海のホテルで洋介と流子は一泊します。部屋は確か5階なんですけれど、何とここでの夜の営みの後眠ってしまい、朝起きると洋介の隣には妻の流子ではなくいな吉が眠っているのです。今回は本格SF小説の様な展開です。どういう現象か流子といな吉が入れ替わっているんですね。朝刊の日付けは5月17日、まぎれも無く流子と泊まった翌朝です。江戸時代のいな吉が現代へ転時して来てしまったのです。ただし、これまでの設定だと転時出来るのは同じ場所のはずです。設定ではいな吉たちと泊まったのと同じところらしいのですが、如何せん江戸時代の旅籠は2階建てが一般的で、このホテルで二人が過ごした部屋は5階のはず。どう考えてもおかしな転時です。まあ、こういう矛盾はありますが、ついに江戸のいな吉が現代に来た事になります。そして、現代の服装に着替えてホテルから出て街を歩き、新幹線に乗って東京に行き、タクシーに乗って東京タワーに登ります。果ては銀座のデパートへ繰り出します。本当はこういうシーンの描写をもっと期待したのですが割と簡潔に端折っています。ホテルに戻るといな吉はカルチャーショックで頭が痛くなりしばし横になります。洋介も添い寝をしてやりますが、次に目覚めたら・・・・いな吉はいません。で、散歩から帰って来た流子が新聞を携えて部屋に入って来ます。その日付は5月17日でした。ここでは洋介の周りだけ1日が重複していたのです。まさにSF的展開ですね。
この第4作のもう一つの読みどころは江戸の正月気分を味わえる事です。この年、洋介は年末から正月3が日を江戸で過ごします。そうした江戸の正月風景がここでは余すところ無く描かれています。大晦日の暮れのにぎわいと喧噪。そして明けて元旦の正月の厳かな儀式。いまと同じようでもあり、違うようでもある厳粛な雰囲気はこの小説でリアルに体験出来ます。それにしても、屠蘇散などあまり飲む機会の無い人はこの雰囲気はやや理解しにくいかもしれません。
でも、これが正月の作法であり現代のグレゴリオ暦で祝う正月はやはりちょっと雰囲気が違うわなぁ、と思えてしまいます。そして、驚くのは「灰」です。江戸時代は灰はリサイクル商品であり、灰は売ったんだそうです。人糞はもとより灰までリサイクルとは、いやはや江戸時代は本当にリサイクル型の自己完結型社会が確立していた時代だという事が分かります。毎日かまどで飯を焚き、日がな火鉢を使用していた江戸時代は灰の宝庫です。ここでは、「与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)」が登場します。「与話情浮名横櫛」と言われても、ピンと来ない方は「お富みさん」ならお分かりでしょうか。与三郎が切る啖呵に「この家のあらいざらい、釜の下の灰まで俺が物」というのがあります。
木灰(きばい)のアルカリ主成分は炭酸カリウムで、水に溶かすと加水分解によって強いアルカリ性の水溶液です。農業用としての木灰は、肥料の三要素の一つであるカリ肥料として非常に優秀であり、土地が酸性になりやすいわが国では、アルカリによる畑土の改良剤としても広く使われたものです。また、紙漉(す)きでは、原料植物から純粋な繊維を得るために、灰汁(あく)で洗って水で溶けない成分を除いて精製しました。絹の精錬にも、表面のセリシンを溶かして絹独特の風合いを出すために灰汁を使っていました。そのほか、洗剤としても、陶器の釉薬(うわぐすり)としても使われたし、藍や紅花は殿植物性染料による染色にも、色を調節するために大量に使われたようです。リサイクルでこれらの事に灰は大活躍していたのです。
そういう江戸を知るに付け、電気が不足するだけで都市機能が麻痺してしまう現代の日本が、はたして江戸時代よりも住み易い都会と言えるんでしょうかね?