
6月最終日の土曜日は岐阜県は海津市の道の駅「月見の里」へでかけ、紫陽花の苗を頂いてきましたが、夫婦揃って出かけたこともあり、玉紫陽花を2株いただくことが出来ました。


一つは、紫の株は「隅田の花火」の咲いている横に植え、もう一株の赤紫の株はは裏庭の「ダッチアイリス」が咲いていた横に植えました。今回は枯らさないように、育てようと思います。さて、この道の駅「月見の里」は直ぐ近くに「月見の森」があり、その名の通り、東海三県では唯一「日本百名月認定値」として選ばれています。
これは、特定の場所から鑑賞や名月鑑賞そのものがイベント化されている場合をA類、特にイベントはなく、特定の場所から月を愛でる場合と特定の場所の上にのぼる月を愛でる場合をB類、としていて、月見の森はB類として登録されています。
まさに絶景が広がりますが、近くの行基寺でも、その様子を伺い知ることが出来ます。ここも御花印を頂けるとあって出かけています。
山腹の駐車場からの眺め 長良川、揖斐川が流れ濃尾平野が一望出来ます。
1702年(元禄15年)、美濃高須藩藩主松平義行が行基寺を松平氏菩提寺として、本堂、大書院、小書院、庫裡、松平家廟を有し、高い石垣を持つ城郭風の伽藍であり、一見すると小規模な城郭の趣きがあります。そんなこしもあり、城明治維新になるまでは、一般の人々が参拝することを禁止していました。

山腹の駐車場からの眺め 長良川、揖斐川が流れ濃尾平野が一望出来ます。




文政3年に三門が建てられ、門上に三尊仏釈迦・千手・弥勒が名古屋の伊藤治郎左衛門(松坂屋)より寄進され安置されています。門扉には葵の紋が燦然と輝いています。

この寺の石塁は慶長18年名古屋城築城の際、この地方から多量に搬出された河戸石を用いています。境内にはこのとき切り出された刻紋石が置かれています。蜂須賀藩の残したものです。

参道と本堂


本尊は弥勒菩薩です。

本堂上部の天蓋



本堂に残された高須藩の駕篭余談ながら、高須藩松平家は、尾張徳川家の分家、支藩になりますが、尾張藩主に後継者が絶えた場合に相続人を出すべき役割がありました。両家の関係は密接で、江戸時代尾張六十二万石の17代藩主のうち4代が高須藩松平家の出身でした。
幕末から明治維新にかけて大きな役割を担い歴史に名を残した、尾張藩主徳川慶勝(よしかつ)、徳川茂徳(もちなが)、会津藩主松平容保(かたもり)、桑名藩主松平定敬(さだあき)公は美濃高須藩松平家出身の四兄弟です。


徳川家ゆかりの寺だけあって、あちこちに葵の御紋があり、見所たっぷりですが、訪問時は寺を訪れたのは我々夫婦だけでした。

この行棊寺では、ツツジの御花印が頂けます。


境内には紅葉が赤い花をつけていました。