「トヨタ産業技術記念館」
開館記念特別イベント 「ノリノリウィークエンド」
ガイドツアーは自動車館の前集合で11時15分開始でした。この「トヨタ産業技術記念館」でのガイドは初めての参加です。

ツアーの案内人は田中さんで豊田一筋で酸いも甘いも知り尽くした人です。繊維機械館では豊田佐吉の活躍の時代でしたが、アメリカへの視察旅行でこれからは車の時代だと肌で感じ、それを豊田喜一郎に託したのでした。最初は自動車事業の創業期を年代順に3つのパート(決意・挑戦・邁進)に分け、それぞれに象徴的なシーンの再現や喜一郎の言葉を引用することで、彼らの足跡を紹介しています。

若い技術者たちとともにスミス・モーター・ホイールを参考にした小型ガソリンエンジンの試作を通じて、自動車の研究を密かに開始します。

目指したのはGMのシボレーのエンジンでした。

ここには創業当時の研究室を移築して当時の開発の様子を再現しています。

開発で一番苦労したエンジンの金型の製造工程です。1934年5月の試作開始から同年8月の試作成功までの3ケ月間に、500~600個のシリンダー・ブロックが無駄になっていました。

ボディは全て手作りで、鉄板からの叩きだしです。

トヨタは最初から鉄骨でのフレームで生産を目指しています。

外観は頻繁にはモデルチェンジが出来ないという事で、当時の先端をいっていたクライスラーの1934年に登場したデソート・エアフローを手本として設計しています。一応エンジンは自作でしたが、基本的なパーツはアメリカのフォードのものを流用しています。その当時のアメリカの技術録はやはり進んでいたんですなぁ。

時代は戦争局面に突入しています。乗用車の生産は後回しにして、郡からの要望でトラックの生産を優先します。しかし、このトラック、納品した鼻から故障するという劣悪な品質でした。

当時は2、300百台しか売れない状況の中で、トヨタは挙母市(現豊田市)に月産2000台の工場を建設します。時代の先を見据えた大胆な挑戦でした。


トヨタ初の自動車用A型エンジン

初代カムリに搭載されたFF型エンジン


最近新しく設置された自動溶接ロボッの組み立てラインモデル

4代目プリウスのメインボデー借り付けのラインモデル

塗装ライン

シャーシ取り付けライン



トヨタですからもちろん最新の水素で走る「ミライ」も展示されています。


こちらはPHVのプリウスです。

レクサスの登場で市場から消えた「セルシオ」です。奥はスポーツタイプのレクサスSC430です。


その430は収納式のルーフを備えています。

1973年式のコロナです。奥はカムリです。
ガイドツアーは45分の予定でしたが、かなりオーバーしてしまいました。でも、これでも全体の展示の半分も見ていません。今、名古屋で一番人気の観光施設のようで、一日親子で楽しく学べるのではないでしょうか。