
大学入学時期の昭和48年前後は学園紛争の真っただ中で、当時は中核派が学生会館を占拠していた状況でした。しかし、警察権力の介入無くその後、大学紛争を解決出来たことは大学の誇りと言ってもいいでしょう。

当時は中国ブームで、国内では各地で「中国展」が開催されていましたが、そういうブームの中で愛大では「中日大辞典」が刊行されています。中国は漢字発祥の地ですが、その中国では文盲率も高くその為に簡体字が採用されていました。これが学ぶ身にとっては厄介で、日本語の略字とは違うので、この辞書の登場は歓迎されるものでした。1968年の発行ですが、今でも手元にはこの辞書が残っています。


名古屋校舎は東区の車道に長年ありましたが、近年は大学の本部機能は豊橋からこの車道キャンパスに移されています。そして、新たに名古屋キャンパスは三好市から名古屋駅南のささしまライブに移されています。新幹線から見えるのが新名古屋校舎です。



創設者の本間喜一郎と学長室






一水会会友の山口恵里子さんの描いた愛知大学公館の絵画が2階の逸失に纏めて展示されていました。これらの絵画は、2016年に豊橋美術館で展示されていたものです。今となっては懐かしい風景です。

今は学生寮は駐車場になってしまっていましたが、北門脇にあった学生寮にはよく遊びにいったものです。


今回はここがスタート地点ということで、あっさり通過出来ると思っていたのですが、なにがなにが、物珍しいものばかりでここだけで1時間以上を費やしてしまいました。