武満徹/小澤征爾「音楽」 | geezenstacの森

geezenstacの森

音楽に映画たまに美術、そして読書三昧のブログです

武満徹/小澤征爾「音楽」

著者/小沢征爾、武満徹
発行/新潮社 新潮文庫

イメージ 1

 1979年から1980年にかけての3回の対談を収録しています。このとき、武満徹50歳(1930年生まれ)、小澤征爾45歳(1935年生まれ)ともっとも精力的に活動していた時期の対談集です。これは新潮社の企画だったのですが、これに先立つ1974年にも「音楽現代」の4月号に二人の対談が掲載されています。こちらの内容は前年の6月にオープンしたNHKホールを散々にコケにしていて、かなり過激でした。この新潮社の対談はそれよりもずっとおとなしい内容です。まあ、書籍用にかなり押さえた内容になっているのは当然です。ただし、ふたりとも、かつて(20代前半)は徹夜でいろいろ話をしたことがあるというようなことが後書きで書かれているように、音楽に対しての熱い思いはひしひしと伝わってきます。いまは本が売れない時代なので書店の店頭では並んでいないので絶版になったのかなと思いましたが、いやいやネットでは売られているんですなぁ。今や負のスパイラルで、店頭に無い書店は不利ですわなぁ。ちなみに、小生は手に取って面白ければ買うという主義なので古本屋で手に入れました。

 この時の小澤征爾は「ボクの音楽武者修行」が30歳直前で終了しているので、その後をこの対談で見ると、トロント交響楽団→サンフランシスコ交響楽団→ボストン交響楽団の音楽監督と着実にステップアップしていました。メジャーのRCA、EMI、そしてグラモフォンと録音をこなし、ベルリン・フィル、ウィーン・フィル、パリ管などへの客演をこなし、1977年にはボストン響と録音したプロコフィエフの「ロメオとジュリエット」はフランスADFディスク大賞を受賞していますし、対談の前年にはボストン響を率いて中国公演を実現しています。

 武満はというと、「ノヴェンバー・ステップス」で一躍世間に名の知れた所がありますが、映画音楽も多数作曲しその方面でも知られていて作曲家としては国際的な名声が既にありました。アメリカ、フランスなどで武満の作品だけを取り上げる音楽祭もあったほどで、むしろ日本国内の方があまり知られていなかったというべきでしょう。著作も多く、「音楽の余白から」などの本も出版しています。要は、国際的に活躍していた二人のグローバルな視点からの音楽論がここでは展開されています。

 1972年のニクソン訪中以降、日中関係が急速に改善し、その結果、1970年代半ばから民間人の渡航も可能になっていました。武満も小澤も中国生まれで敗戦まで満州で育っています。冒頭では小澤が、自分の住んだ家を訪れるという出来事から語られていきます。この時の中国は中華人民共和国の建国以後、西洋音楽の演奏を禁止しており、それが四人組の失脚後演奏可能になった時期でした。そんなとき、小澤は単身中国に乗り込みブラームスやベートーヴェンの演奏経験のない楽団員がいるという中国のオーケストラを指導しています。今から考えると想像出来ない時代ですが、1980年頃の中国はまだそんな時代だったのです。

 ご承知のように小沢征爾は斎藤秀雄から斉藤メソッドを叩き込まれた指揮者です。ですからデビュー当時は色々なオーケストラに客演しても楽団員からキューを出しすぎるといわれたとか。しかし、西洋は生まれた時から教会音楽やベートーヴェンとかブラームスの音楽を呼吸してきているわけです。日本人が民謡をコブシを効かせて簡単に節をとれるように、普段は個々バラバラにあるようでいて実際最初のうちは合わないけど、あるときからぴったり合って厚みのある音をだしみんな楽しそうに演奏しているようです。でも小澤が指揮するとなかなかそういう音にならなくて、正確イコール音楽では無いということを指摘されます。それを小澤がは試行錯誤しながら欧米のオーケストラに対等に渡り合ってきたところは彼の偉大さなんでしょう。カラヤンのもとで学んだ時もそういう指摘を受けていたようで、映像が残っています。



 そういう点では小澤の成功は、ある意味日本人の模倣精神を最大限発揮してきたとも言えます。日本の技術者が欧米の工業品を分解して、パーツを作り、もとの製品よりも性能のよいのを作ってきた。そのときには西洋の工業思想とかデザインとか製品の背後の生活様式などはかなり無視しているわけでしょう。それと同じように小澤は斉藤メソッドでどんな変拍子でも、最大60段もあるようなスコアでも、しっかり指揮できるテクニック・技術を持って欧米にわたり成功を収めたわけです。そこには、時代の流れを上手く読んでいた所もあるのでしょうが、西洋の優れたところと十分に理解しながら独自の感性をプラスしてそれ以上の芸術性を創造したからでしょう。

 対談の中で二人はこの国の文化に対して批判を向けています。この辺ののところは先のNHK批判と似ていますが、矛先は、官僚的な音楽教育、退屈して向上心のない演奏家、文化を支援しない役所、箱だけ作って運営がひどい公共施設などが槍玉に挙げられています。つまりはこの国のシステムがうまく働いていない、能力のある人を生かしていないというわけ。しかし、そのシステムを作るもとになったこの国の思想とかメンタリティには疑問を持たないというか、認識していないというか。たぶん、小澤と武満のものの考え方のベースは、戦後の「追いつけ、追い越せ」モデルの一つの典型だと思う。二人とも敗戦で、極貧生活を送る(武満は肺結核で死ぬ寸前までいった)。そこで育ち、西洋音楽を主な場所として世界に認められる、世界で戦えるようになりたいと決意。それを実現するのが1955年から1980年までの彼らの仕事であったのだろう。二人とも世界に通用するテクニックをもち、世界の競争相手に優越する作品・仕事をして、世界の楽壇でポジションを獲得。それはこの国の高度経済成長をステップを一緒にしている。で、世界に追いつき、追い越せたとき、その先のヴィジョンがないことをはからずも露呈したのかもしれません。

 この本は写真が豊富に収録されている所も魅力です。ポリーニ、ゼルキン親子、ロストロポーヴィチなど共演した演奏家の写真や当時の演奏会の舞台裏などが紹介されています。実際に武満の60段の楽譜を前にして二人が意見交換している写真を目の当たりにすると、この本の趣旨がダイレクトに伝わってきます。