
朝名古屋を出発する時は雨が降っていましたが、京都に着いた時にはその雨もあがっていました。西への移動はこういう時間差があります。

新幹線で京都入りして、そのまま東口から、地下鉄に直結です。南北線を烏丸御池で東西線に乗換え、蹴上まで乗ります。南禅寺に行くにはこれが一番の近道です。一般には京都動物園の最寄り駅のイメージでしょうか。


この蹴上駅はちょっと変わっていて、下りエスカレーターは直接地下3階のホームまで続いていますが、上りエスカレーターは中間階で乗り継ぎをしないと改札を出られません。
さて、地上に出るとすぐ「ねじりまんぼ」があります。このトンネルは、明治時代にできた琵琶湖疏水のインクラインの傾斜した土手下をくぐるトンネルで、「まんぼ」というのは地元の方言でトンネルの意味であり、トンネルの強度を増すため、レンガをらせん状に組むトンネル工法が取られているために、積まれたレンガが捻れて見えることから「ねじりまんぼ」と呼ばれ、親しまれてきました。
今年の1月にウォーキングで通った時、気になっていた場所でした。南禅寺に向かうには、このトンネルを潜った方が近道です。

トンネルを抜けると突き当たりに見えてくるのが「何有荘」です。ここは、元は、南禅寺の境内にある塔頭の一つで、南禅寺三門の復興の為に売却されたものです。その後、当時の実業家で貴族院議員でもあった稲畑勝太郎氏の所有となり、建物および庭園を改修し「和楽庵」と称されました。その後、さらに、宝酒造の社長の大宮庫吉氏の所有に変わると「何か有る様で何も無い。何も無い様で何か有る」という禅の言葉から「何有荘」と命名され、現在の所有者はアメリカ人実業家だそうです。

この「何有荘」の前を南禅寺方向に進むと、左手に南禅寺塔頭である金地院の敷地が広がり、道路に接して東照宮楼門が見えます。でも、ここからは入れません。

東照宮の前をさらに進むと金地院の山門があり、庫裏が見えます。ここが拝観入り口になります。金地院では、本堂が伏見城の一部を移築した建物で、内部に狩野探幽・尚信によって描かれた襖絵があり、小堀遠州による八窓席という茶室があります。ここは特別拝観になっているので今回はパスです。


入り口右手にある「明智門」です。この門は、もとは明智光秀が母の菩提のために大徳寺に建立したものを明治になってから移築したもので、門をくぐった所には弁天池があります。



この池、いまは睡蓮の花が一面に咲いています。そして、手前には「半夏生」が開花していて見頃になっています。


池の周りを順路に従って進むと、東照宮楼門の直ぐ脇に出て、そこから奥へは紫陽花の小径が続いています。

東照宮山門の向うに本殿が見えます。東照宮と言えば日光東照宮を思い浮かべますが、実は家康の遺言により「東照宮」は3つあり、ここ金地院にも1つあるのです。これも「鶴亀の庭」と同じく小堀遠州の設計によるもので、重要文化財に指定されています。
東照宮とは、東照大権現である徳川家康を祀る神社。金地院東照宮の本殿には家康の遺髪と念持仏が納められているということです。今はだいぶ色あせてはいますが、建物正面には極彩色で彩られた透かし彫りが施され、創建当時は日光東照宮に比する壮麗さだと賞されたそうです。ただ、調べると全国にあまたある東照宮を束ねる「東照宮連合会」には所属していないようです。




この本堂には、三十六歌仙の額が飾られています。

東照宮中門からは開山堂へ行く事が出来ます。

開山堂への下り道



この開山堂には十六羅漢像が安置されています。

さて、いよいよ方丈の前に広がる「鶴亀の庭」です。

「鶴亀の庭」は枯山水ですが、その手前にある小さい池です。

方丈には上がる事が出来ます。狩野尚信のふすま絵を鑑賞する事が出来ます。

方丈からの「鶴亀の庭」の眺め

方丈正面の扁額。布金道場」は山岡鉄舟(1836〜88)筆です。明治維新に巻き起こった廃仏毀釈の風潮から守るため仏閣ではなく道場である旨を示したものだそうです。ユニークな対処方法ですね。扁額一つにも歴史を学びますなぁ。

方丈「鶴の間」


鶴の方は庭師が作業中で撮る事が出来ませんでした。しかし、この金地院、南禅寺の塔頭の一つですが見応えがあります。