レコードはまっすぐに あるプロデューサーの回想 | geezenstacの森

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レコードはまっすぐに あるプロデューサーの回想
 
著者 ジョン・カルショー
翻訳 山崎浩太郎
発行 学習研究社

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 デッカ、伝説の名プロデューサー、ジョン・カルショーが綴る20世紀のレコード録音史。。---データベース---

 本編だけで500ページ以上ある大部な回想録で仕事の合間を縫って読んでいたので2週間以上掛かりました。しかし、レコード愛好家なら、そしてデッカのレコードファンならこれは非常に面白い本です。いえ、クラシック・ファンなら一度は読むべきです。

 そういう小生もレコード時代はデッカのものを一番購入していました。何か時代の先端を行っている企画で、話題作をどんどん提供していてくれた様な気がしたのです。しかし、この本を読むとデッカの経営陣は非常に保守的で、現場の熱気がこのレーベルを支えていたように思えてしまいます。まあ、ジョン・カルショーはデッカの一プロデューサーに過ぎないのですが、いや正確にはデッカを退社していますから契約社員というべきなんでしょうが、こういう人物が現場を引っ張りレーベルの屋台骨を支えていたのかという事が読取れます。

■【第1部】
 第 1章:エスカレーター
 第 2章:旅
 第 3章:空
 第 4章:待機
 第 5章:爆弾と音楽
 第 6章:終わりなき六か月
 第 7章:ブリクストン通り
 第 8章:スタジオにて
 第 9章:異動
 第10章:新しい時代
 第11章:ローゼンガルテン
 第12章:大いなる年
 第13章:離れ去るもの
 第14章:変化
■【第2部】
 第15章:「基地」への帰還
 第16章:電気イス
 第17章:ステレオの誕生
 第18章:音楽家の人となり
 第19章:録音のボスたちとスタッフの記録
 第20章:フォン・カラヤン登場
 第21章:動脈硬化
 第22章:チェアマンの激怒
 第23章:ニルソンとビーチャム
 第24章:ユッシ・ビョルリンク
 第25章:≪トリスタンとイゾルデ≫の録音
 第26章:十年に一度の秘密
 第27章:カラヤンの≪オテロ≫
 第28章:失望の再会、そしてサルヴァドール・ダリ
 第29章:≪サロメ≫
 第30章:≪戦争レクイエム≫
 第31章:ならない休暇と、斉射
 第32章:≪戦争レクイエム≫の録音
 第33章:二つの≪カルメン≫
 第34章:テノールをめぐるトラブル
 エリック・スミスによるエピローグ

 銀行員の子として生まれたカルショーは自分も父親の跡を継いで銀行員となります。しかし、それは幸福なものではなかったようです。時代は第2次大戦ですから、海軍のパイロットとして従軍します。除隊後は銀行に復職する道もあったのですが、同僚たちが無残に戦死していく様を見て「一回しかない人生だ。自分の好きなことをしよう」と、子どものころから親しんでいた音楽の道へ進むことを決意するに到ります。根は音楽好きだったんでしょう。

 とはいえ、ピアノは多少習っていたもののプロ並ではなく、正規の音楽教育も受けていません。そこで最初は音楽評論家としてスタートし、音楽雑誌に投稿しているうちにロンドン・デッカ社の仕事を紹介され、入社して最初は宣伝部で雑用をこなします。やがて音楽部に移動になり、クラシック部門のプロデューサーに抜擢されていきます。

 ところがデッカという会社は実質的に、株式仲買人上がりのエドワード・ルイスとユダヤ人の配給業者モーリッツ・ローゼンガルテンの個人商店で、この2人が「うん」と言わないと何事も進みません。おまけに、この2人がクラシックを扱っているのは「単にもうかると思っているから」にすぎず、2人ともたいして音楽が好きなわけでもないのです。そこで2人はできるだけ安い費用で手早くレコードをつくろうとし、一流の演奏家と録音技術で歴史的録音をつくろうとするカルショーら現場の人間たちと対立するようになります。カルショーは大陸で活動するようになるヴィクター・オロフが抜けた穴としてイギリス本国でのA&R(アーティスト&レパートリー)を任せられていきます。このオロフもフリーの契約社員でした。

 カルショーは着実に実力をつけていきますが、経営陣の方針で作るガラクタのようなレコードは案の定さっぱり売れず、早々とカタログから姿を消していきます。ただ、社員でいる間は二足のわらじのように文筆業でも身を立てようと小説を書きます。2冊までは上梓するのですが、如何せん業界の事を書こうとすると挫折してしまいます。そこで、会社を辞めフリーの立場でプロデューサーとして身を立てる事にします。でも、デッカの契約社員としてのプロデュースです。時代も味方したのでしょう、オロフがEMIに引き抜かれるとカルショーは大陸での録音を一手に引き受ける事になります。1950年代中頃です。この頃になるとデッカには優秀な社員が集まってきます。プロデューサーとしてはエリック・スミス、エンジニアとしてはレイ・ミンシェルやゴードン・バリーが台頭してきます。良いスタッフを得て、カルショーは一気に攻勢に出ます。RCAとの提携もデッカには幸運をもたらします。デッカはそれ以前にキャピトルと組んでいました。その時期カルショーもキャピトルのために幾つかセッションを持っています。しかし、キャピトルはEMIの翼下に入ってしまいます。それで、デッカはRCAと組む事になるのですが、指揮者や独奏者のコマ不足に悩んでいたデッカにはこの提携は渡りに船でした。

 この本では彼の代表作となる「ニーベルンクの指輪」についてはあまり詳しく書かれていませんが、1950年代後半のカラヤンの録音をウィーンフィィルと実現した時代については割と詳しく書かれています。デッカでのカラヤン/ウィーンフィルの最初の録音はリヒャルト・シュトラウスの「ツァラトゥストラはかく語りき」ですが、デッカの録音会場だった「ゾフィエンザール」にはオルガンがありません。そこで採用されたのがノイシュタットの軍用教会のオルガンでした。ただ、ピッチを合わせるためにはパイプを切る必要があったとか。しかし。専属のオルガニストでは音程の変化に気がついてしまうので苦肉の策として、オルガンの経験があるエンジニアのレイ・ミシェルが演奏したというのです。また、このレコードには更なるオチがあり、数年後「2001年宇宙の旅」でこのカラヤンの演奏が使われているのですが、デッカの首脳はデッカやカラヤンの名前を画面に出さない事で使用許可を出したのです。そんなことで、この「2001年宇宙の旅」のサントラにはベームの演奏が使われていますから、本当の意味でこれはサントラでは無いということです。デッカもみすみす宣伝の機会を失ってしまったのです。

 このRCAとの提携でライナーやルービンシュタインの録音がデッカの手によって収録されています。そして、おまけのようにモントゥーの録音がデッカに委譲されているのです。こうして生まれたのがモントゥーの「ダフニスとクロエ」でありベートーヴェンの「英雄」などでした。カルショーはこの偉大な指揮者の録音のプロデュースもしていたんですなぁ。そうそう、ビーチャムのど派手な「メサイア」もデッカのクルーが録音を手がけています。

 まあ、カルショーは最後はBBCへ移籍した人なので、デッカの経営陣のことは元々良くは言わないと思うし、自分のことは多少脚色もしているとは思いますが、デッカの本質はビートルズを逃し、クラウディオ・アバドを逃し、ズービン・メータを逃したのは事実で、技術はあっても経営者の頭がコチコチで…というのは確かでしょうね。この事があって、デッカの経営は芳しくなくなり、やがてポリグラムグループに吸収されていくのですが、早い話しが身売りでしょうな。こういう状況が分っていたのでカルショーはデッカを辞めてBBCに行くのですが、そこでは労働争議に巻き込まれて実力を発揮出来たとはいえません。1950-1970年代というレコード産業の華やかな時代を生きたカルショーはその後のデッカの衰退を知らずして世を去って幸せだったのかもしれません。

 この本は、カルショーの遺作でもあり、著者の急逝で唐突に終わります。その点が非常に残念ですが、カルショーの目を通したデッカのアーティストたちの舞台裏をしることが出来る貴重な回想録です。