棒を振る人生~指揮者は時間を彫刻する~ | geezenstacの森

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棒を振る人生
~指揮者は時間を彫刻する~
 
著者 佐渡裕
発行 PHP研究社 PHP新書

 

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 音楽が持つ本質的な力とは、まったく異なる価値観を持つ人々が、ともに生きる世界を肯定すること――「一万人の第九」や音楽番組「題名のない音楽会」などで知られ、日本だけでなくヨーロッパでも活躍する著者。本書では、現在の「指揮者・佐渡裕」を育んだ数々の知られざるエピソードとともに、感じてきたこと、学んだこと、そして音楽観を豊富に語る。
2015年9月より音楽監督に就任する、オーストリアで100年以上の伝統を持つトーンキュンストラー管弦楽団についても、オファーを受けてからの葛藤や「新しい挑戦」について告白する。名指揮者たちとのエピソードや名曲についての解説は、「思わずオーケストラを聴きたくなる! コンサートホールに足を運びたくなる! 」そんな音楽の魅力に溢れた一冊。===データベース===

 

指揮者とは何のためにいるのだろう。
 指揮台の上で何をやっているのか。
 これはもしかしたら、自分に対して一生投げかけていく問いなのかもしれない。
 この本では、僕がこれまで体験したエピソードとともに、苦しんだり感激したりしている指揮者の生の姿を伝え、指揮者とは何か、音楽とは何かを読者のみなさんと一緒に考えていきたいと思う。

 

 この本の冒頭に書かれている言葉です。 このブログでも佐渡氏の著作は「僕はいかにして指揮者になったのか」、「僕が大人になったら」をとりあげていますが、それらのエッセイの第3弾といった位置付けです。この本は2014年に発売されていますが、その前年にウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団の音楽監督に就任するという一大転機も執筆の後押しになったのでしょう。それまで、佐渡氏はフランスのラムルー管弦楽団やベルリン・ドイツ交響楽団の首席指揮者ではありましたが音楽監督ではありませんでした。ヨーロッパのオーケストラで音楽監督という地位は全権を掌握するシェフになるということです。それを音楽の聖地ウィーンでそのポストを得たということは、今後の彼の人生にプラスになると踏んで受諾したということなんでしょう。何しろこのオーケストラに本ではあまり馴染みはありませんが、レコード時代にはコンサートホールからかなりの録音をだしていましたから、小生達の世代には懐かしい名前です。このオーケストラ侮ってはいけません。何しろウィーンフィルを向うに張って、ムジークフェラインザールで定期コンサートを開催しているオーケストラです。1907年に第1回のコンサートを開いているということでは、なかなかの歴史を持っています。2007年夏からは「グラフェネッグ国際音楽祭」の音楽祭管弦楽団(レジデント・オーケストラ)としても活動しているということで地元ウィーンではウィーンフィル、ウィーン響とともに愛されているオーケストラです。また、放送局のお抱えオーケストラであることで、教育にも力を入れているということで、佐渡氏の活動方針と合致する部分が多いオーケストラです。まあ、そんなところも就任を引き受けた理由なんでしょうな。

 

 この本でも、著者の様々な経験やエピソードを織り交ぜながら、音楽や指揮者についての考えを披露する内容となっています。そして、音楽会の松岡修造的なバイタリティで色々なことに挑戦しています。最近は降りてしまいましたがテレ朝の「題名の無い音楽会」はこの番組ならではのユニークな切り口で楽しませて貰いました。本当はもっと長くこの番組と関わっていて欲しかったんですけどね。関西ではバーンスタインの「ヤング・ピーブルズ・コンサート」的な企画もやっているようですが、如何せん全国区ではないですからね。残念です。

 

 それでも、1999年から続いている1万人の第9プロジェクトは大したものです。この企画はヨーロッパでもドキュメンタリーとして放送されたということで、多分それがきっかけで、東日本大震災のときはドイツのオーケストラからオファーがあり、「日本のために第九を演奏したい。そこで指揮してほしい」という電話を受けています。そして震災から15日目、ドイツにおける日本人の最大のコミュニティがあるデュッセルドルフで、デュッセルドルフのオケと、隣町のケルン放送交響楽団の合同オーケストラにおける第九演奏会が行われています。この第9に賭ける意気込みは、この本でも丸まる一章を割いていることでも分ります。その中のエピソードで、1999年に初めてやったときには体重が7キロ減ってぶっ倒れたというの話は耳を疑いました。まあ、最近はちょっと痩せたのでさもありなんでしょうかね。ひょっとするとライザップかな?

 

 なかなか、突き刺さる言葉があちこちにちりばめられています。
「我々音楽家の目的と幸せは、いい音楽をつくることだ。自分の思いを伝えるために音楽をするわけではない」と書かれています。指揮者の仕事の実態は現場監督に近く、楽譜を設計図としながら、なかなか思い通りにはいかないオーケストラの演奏家たちを動かして地道に音を組み立ててゆく苦労話も登場します。そんな時は、そのオーケストラの主のような奏者が必ず三、四人いるから、そういう奏者を早く見つけ出しコミュニケーションをとることが、上手に練習を進める秘訣なんだそうです。まあ、この話は朝比奈隆氏との対談で出た話のようですが、他にも、カラヤンやバーンスタインの面白い話がごろごろ登場します。

 

 佐渡氏はウィーンで3年ほどバーンスタインに言われて留学していた時期がありますが、その時、友達がいないことに気がついたバーンスタインとのエピソードはいい話です。

 

まだウィーンに暮らし始めたばかりのころ、ツアーで来ていたバーンスタインと楽屋で話していると、

「ユタカ、ウィーンで友だちはいるのか。いないのなら、私のウィーンの大親友を紹介するよ」

 と言ってくれた。そうして連れて行ってくれたのは、ベートーヴェンの像の前だった。

「彼が昔からの大親友、ルートヴィヒだ。おまえも今日からルートヴィヒと呼べばいい」

 そんなふうに、音楽の聖地で歴史を刻んできた作曲家たちをごく身近に感じるほど音楽を普通に呼吸すること。それが、バーンスタインが僕に伝えたいことだったのだと思う。

 今にして思えば、それはとてつもなく大きなアドバイスだった。

 

 人生の後半をバーンスタインはヨーロッパに活躍の場を移してまた一時代を築いていますが、アメリカ人のバーンスタインにとって、ヨーロッパはやはり外様の地であったのでしょう。アジア人の佐渡氏が同じような境遇であったことはもっとも理解出来る立場です。その彼が連れて行ったのはベートーヴェンの銅像だったんですなぁ。

 

 まあ、こういうこともあって、ことさらウィーンのオーケストラからオファーがあったということは、氏に取ってはうれしいことだったと思われます。今年2015年から3年間の契約ということですがせめて2期は務めて、今一歩飛翔して欲しいものです。この本の最後でも語っていますが、ハイドンを積極的に取り上げていくのだそうです。そんな物かと、このオーケストラの2015-16シーズンのプログラムを見ると、ちゃんとハイドンがチョイスされていました。さらに、意欲的なプログラムで、2月にはELPの「タルカス」を山下洋輔をピアニストとして招いて演奏するようです。2月21日には、第9のプログラムを予定していますが、これは早々とチケットは売り切れています。ウィーンの人々は、佐渡のベートーヴェンには余程興味があると見えます。このオーケストラ、歴代のシェフには以下のような人物がいました。

 

レオポルド・リーヒェン (1933–1939)
ベルト・コスタ (1939–1943)
フレードリッヒ・ユング (1944–1945)
クルト・ヴェス(1946年 - 1951年)
グスタフ・コスリク (1951年 - 1964年)
ハインツ・ヴァルベルク(1964年 - 1975年)
ワルター・ウェラー(1975年 - 1978年)
ミルティアデス・カリディス(1978年 - 1988年)
イサーク・カラブチェフスキー(1988年 - 1994年)
ファビオ・ルイージ(1994年 - 2000年)
カルロス・カルマー(2000年 - 2003年)
クリスチャン・ヤルヴィ(2003年 - 2009年)
アンドレス・オロスコ=エストラーダ(2009年 - 2015年)