昨年の夏に「名所江戸百景 秋・冬」が公開されていますので、その続きとして今回は「春」が公開されています。広重はその画業の集大成として、最晩年に「名所江戸百景」を描きました。版元の魚屋栄吉により、広重60~62才(安政3(1856)年~5(1858)年)にかけて刊行されたこの作品は、広重自身が描いた118枚に、2代広重による1枚と目録絵を加えた120枚で全揃となります。やはり、四季のうちで春は目出たいということもあるのでしょう広重は「春」の景色を42点も残しています。今回はその42点とゴッホが模写したことでも知られている「亀戸梅屋舗」と並んで、そのゴッホの「花咲く梅の木」も並べて公開されています。もちろん本物はオランダのゴッホ美術館にありますから展示されているのは複製なんですけどね。それでも、この2点が並べて公開されている様はついつい見とれてしまいます。
実は以前からこれは "模写ではなく複写" に近いものなのではないかと思っていました。そもそも模写とは「元になるものを参考に "その作風の意図を知る" ためにマネして描くこと」であり、薄い紙を乗せて写しとる複写とは異なるものと思っている訳です。背景及び上部の花の位置にズレは見られますが、前面の梅の木はほぼ一致しているのが分かります。勿論ゴッホは画家ですから、広重を見ながらそっくりに描くことは可能だったのではというご意見もあるでしょうが、あまりに正確過ぎることから複写と考える方が正しいのではないかと思います。広重の原画は33.7cmx22.1cmの竪大判で制作されています。一方ゴッホの作品は55.0cm x 46.0 cmがサイズです。それをなぜ複写かというと、近年ゴッホが半透明の紙にトレースしたものが存在していて紙には、縦横には番号らしきものもありつ、原寸を忠実に複写しようとしていたことが伺えます。ただ見比べてみると、実際には前面の梅の木はほぼ一致しているのですが、背景及び上部の花の位置には微妙なズレが見られるのが分かります。


ちなみに、ゴッホの「花咲く梅の木」には左右に「大黒屋錦木江戸町一丁目」「新吉原筆大丁目屋木」と漢字で書かれています。一説によれば、ゴッホがオランダの港町ハーグで知り合った娼婦のシーンを妻として迎え入れたことをテーマとして書き込んだそうで、妻シーンとの結婚を後の世に解読する心ある日本人のために告知したとも、文字内から吉原の大黒屋にいた錦木(ニシキギ:当時人気の遊女の名前)に妻シーンをダブらせたとも云われています。恐らくその根拠となっているのが、左下にある朱色の短冊であろうと推察出来ます。「大十三の錦」)との文字が読取れます。これは、「大黒屋の錦木」と「十三日」という言葉をつらねたもので、「十三日」 はシーンとの結婚記念日が7月13日であったからであろうと思われます。その錦木の絵です。


まあ、この絵一枚でも、これだけのことを思いながら鑑賞することが出来ます。その他にも、本でしか見ることが出来なかった広重の最晩年の傑作が鑑賞出来ます。春の右派よ絵の中で良く知られているものは、越後屋(現在の三越)を描いた「する賀てふ」、同じく松坂屋が登場する「下谷広小路」、さらには木綿問屋の田端屋、升屋、それに嶋屋の屋号が見える「大てんま町木綿店」などがあり、商店が建ち並ぶ繁華街は、この時代でも江戸の賑わいを感じる事が出来ます。



さて、梅はこの「亀戸梅屋舗」以外にも、「蒲田の梅園」や「真崎辺より水神の森内川関屋の里を見る図」があります。後者はこの「名所江戸百景」の中で一番長い名前がついています。「UFJ貨幣資料館」で次回の案内登録をすると、ハガキの案内状を送ってくれます。で、そのハガキを受付で渡すと引き換えに、浮世絵のハガキが一枚貰えます。小生は今回はこの「真崎辺より水神の森内川関屋の里を見る図」をいただきました。


毎回、足げく通っていたらこの浮世絵ハガキもかなり貯まりました。昔の永谷園の東海道五十三次を思い出します。

広重の作品は鳥瞰図を多用したり、独自のベロ藍で画を引き締めたり、前景と遠景を極端な遠近法で描いたりと独自の世界感を演出しています。この浮世絵特別展「広重 名所江戸百景 春」は4月5日まで開催されています。

