J.C.バッハ:交響曲集 | geezenstacの森

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J.C.バッハ:交響曲集

曲目/J.C.バッハ
Symphony "No.7" in G major, Op.6/1, CW C7ab (T.264/1) (2 versions)
1. Allegro con brio 8:54
2. Andante 4:24
3. Allegro assai 3:58
Symphony "No.1" in D major, Op.3/1, CW C1a (T.262/4)
1. Allegro con spirito 4:05
2. Andante 4:21
3. Presto 2:57
Symphony "No.2" in C major, Op.3/2, CW C2a (T.262/4)
1. Allegro 3:19
2. Andante 5:59
3. Allegro assai 2:14
Symphony "No.18b" in Eb major, Op.9/2, CW C18b (T.268/6)
1. Allegro 5:05
2. Andante con sordini 3:56
3. Tempo di Menuetto 3:45
Symphony "No.12" in G minor, Op.6/6, CW C12 (T.265/7)
1. Allegro 3:50
2. Andante piu tosto adagio 8:15
3. Allegro molto 2:57

 

指揮/ペーター・シューツ
演奏/コンチェルト・アルモニコ、ブダペスト
オーボエ/アルフレード・ベルナディーニ、ピエルルイジ・ファブレッティ

 

録音/1991 

 

BEILLIANT BRL99785/4(原盤フンガロトン)

 

イメージ 1

 

 大バッハであるヨハン・セバスチャン・バッハは最初の妻との間に7人、後添えのアンナ・マグダレーナとの間には13人の子供が生まれるという艶福家でした。この内前妻のマリア・バーバラとの間には男子5人、女子2人の計7人の子供が生まれましたが、そのうち3人は夭逝しています。成人した男子3人はそれぞれ音楽家として活躍しています。アンナ・マグダレーナの子供は成人したのは6人で、ここに登場するヨハン・クリスティアン・バッハ (Johann Christian Bach 1735 - 82)は、大バッハ、ヨハン・セバスチャン・バッハの11番目の、そして一番下の息子として生まれました。家系にすると下のようになります。

 

ヴィルヘルム・フリーデマン (Wilhelm Friedemann、1710 - 1784) 長男。通称「ハレのバッハ」。
カール・フィリップ・エマヌエル (Carl Philipp Emanuel または C.P.E.、1714 - 1788) 次男。通称「ベルリンのバッハ」、「ハンブルクのバッハ」。
ゴットフリート・ハインリヒ (Gottfried Heinrich、1724 - 1763) 五男。
ヨハン・クリストフ・フリードリヒ (Johann Christoph Friedrich、1732 - 1795) 七男。通称「ビュッケンブルクのバッハ」。
ヨハン・クリスティアン (Johann Christian、1735 - 1782) 末子。通称「ロンドンのバッハ」。

 

 ヨハン・クリスティアン・バッハ は1750年、15歳のときに父の大バッハが死ぬと、ベルリンの兄カール・フィリップ・エマヌエル・バッハに預けられ、その教育を受けています。しかし、エマヌエルの音楽とその教育はクリスティアンの肌に合わなかったのでしょう。ベルリンで観たイタリア・オペラの魅力に魅せられ、20歳のときにイタリアに赴きます。そしてカトリックに改宗し、ミラノ大聖堂のオルガニストを7年間つとめています。その後ボローニャのマルティーニ神父のもとで作曲を勉強し、1760年にナポリでオペラを作曲し成功した後ロンドンから声が掛かり、1762年にイギリスに渡っています。ヘンデルが彼の地で亡くなると、ヨハン・クリスティアン・バッハは、ほどなく国王ジョージ3世の王妃シャーロット・ソフィア(右の肖像)の音楽教師として王室に仕えるようになります。「ロンドンのバッハ」の誕生です。シャーロットはドイツのメクレンブルク=シュトレーリッツの王女でした。国王ジョージ3世自身もヘンデルの音楽を深く愛好するなど、当時のイギリス王室は挙げてドイツ人音楽家に好意的でした。

 

 そして、1764年5月、ロンドンを訪れていたモーツァルトは、バッキンガム宮殿に招かれ、ヴァーゲンザイル、アーベル、ヘンデルの作品とともにクリスティアン・バッハの作品を初見で演奏しました。このとき以来二人は年の差を超えてすっかり意気投合し、クリスティアン・バッハは、モーツァルトを膝の上に乗せ、一台のチェンバロをかわるがわる弾いて遊んだといいます。

 

 さて、このCDの一番最後に収録されている作品6の交響曲のうちト短調の作品は、モーツァルトの2つのト短調交響曲の先触れとして注目されるているものです。[この他にもモーツァルトはクリスティアン・バッハの6つのピアノ・ソナタ(6 Sonate per fortepiano)」Op.5(1768刊)を、少年モーツァルトが協奏曲に編曲したもの(3つのピアノ協奏曲 K.107)であるということです。また、後になってモーツァルトは、師と仰ぐクリスチャン・バッハが亡くなった時、追悼の意味を込めて「ピアノ協奏曲イ長調 第12番K. 414」を作曲し、その第2楽章の主題に、クリスチャン・バッハの序曲のメロディーをあえて使っています。幼少のモーツァルトに少なからずの影響を与えた作曲家という事でしょう。]

 

 この交響曲が含まれる作品6は1770年に刊行されたものですが、同時期の作曲家ハイドンやモーツァルトの後期の完成された古典派様式による交響曲とは、やや趣きを異にしています。というのは、これらは全て三楽章構成のイタリア様式を採用しているからです。どちらかといえば、クリスティアン・バッハは保守的であって、自身の拠り所としていたイタリア趣味からは脱却出来なかったという事でしょう。モーツァルトの偉大さはこの曲にインスピレーションされながらも、メヌエットを加えた4楽章形式としての交響曲という形式にいち早く移行し、第25番を1773年に発表しているのですから。さらに言えるのは、このCDにも収録されている作品6 の1番目の交響曲が1764年の作曲であることが判明していることから、このト短調交響曲も、お そらくは、モーツァルトがロンドン滞在中に作曲されたものであると思われる点です。それは、モーツァルトが1764年にロンドン郊外のチェルシーで残したスケッチ帳には、ト短調の交響曲の 断片KV 15pがあり、そこにはすでに《小ト短調》交響曲KV 183(173dB)のあらゆる特徴が見出されていることも見逃せません。

 

 それでも、このクリスティアン・バッハのト短調の交響曲は、充分に魅力的な作品になっています。第1楽章の冒頭はシュトルム・ウント・ドランク=疾風怒涛を思わせる激しく感情が爆発する様を感じ取る事が出来ます。モーツァルトも短調の交響曲は2曲しか残していませんが、クリスティアン・バッハはこの1曲しか残していません。この曲ではホルンも活躍しますが楽器構成も良く似ていて、大いに共通性を感じます。この曲は彼の作品の中では代表作と言えるものでエンシェント室内管弦楽団や、ハノーヴァーバンドといった演奏が存在しますが、このコンチェルト・アルモニコの演奏は、中庸な表現で奇をてらった所が無くし全体である所が良いですね。

 

 

 これだけの曲でありながら先年DGから発売された「グレート・シンフォニーズ100(56CD)には、クリスチャン・バッハの作品は作品3-5が収録されていたのみです。モーツァルトはそれこそ25番以降の主要作品が網羅されているのにですよ。ここは是非ともこの作品6-6を収録して欲しかったものです。

 

 次は冒頭に収録されているこの作品6の第1番です。この曲に最初に聴いたときは、モーツァルトの初期の交響曲といわれても疑いを持たなかったでしょう。兎に角、モーツァルトの響きに近しいものを感じます。常々、モーツァルトの初期の交響曲はハイドンなどのどっしりとした安定感を感じる事が出来なく、軽めの響きの音楽でどうも座り心地の悪佐を感じていたのですが、それがこのクリスチャン・バッハの交響曲を聴く事で、得心がいきました。モーツァルトの初期の作品はイタリア形式が多いのですが、そういう波長とクリスチャン・バッハの作品は響きあっていたのでしょう。こうして考えるとモーツァルトはクリスチャン・バッハの模倣から始まってウィーンに戻ってから大きく脱皮したと言えるのではないでしょうか。天才と言えども、最初は模倣から始まっているんですなぁ。まあ、その期間を乗り越えての脱皮があるからこそ天才の天才たる所以なんでしょうが・・・

 

 ということで、改めてこれらの作品を聴いて、インキュベーターとしてのクリスチャン・バッハの果たした役割は大きかったのだなあと改めて感じてしまいます。ここでは長調の弾むリズム感が心地いいです。


 クリスチャン・バッハの最初の交響曲集が作品3です。まあ、ここでも流れてくるのはモーツァルトの響きです。そんなことで、計らずしもモーツァルトの初期の交響曲との共通性を知った一枚になりました。このCD、ブリリアントから発売されたの「バッハの息子たちの音楽」に含まれる一枚ですが個人的には一番の聴きものでした。