シャイーのバルトーク | geezenstacの森

geezenstacの森

音楽に映画たまに美術、そして読書三昧のブログです

シャイーのバルトーク

曲目/バルトーク
管弦楽のための協奏曲Sz.116 BB.123
1.序奏 [10:01]
2.対の遊び [6:15]
3.悲歌 [8:05]
4.中断された間奏曲 [4:41]
5.終曲 [10:10]
6.「中国の不思議な役人」作品19 Sz73,BB82*[31:36]

 

指揮/リッカルド・シャイー
演奏/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
録音/1995/05
1997/05* コンセルトヘボウ、アムステルダム
 
P:アンドリー・コーネル
VE:ジョン・ペロウ、ジョン・ダンカーリー*
E:ミシェル・マイレス、ミハイル・スチュアート*

 

DECCA 4806073

 

イメージ 1
こちらはオリジナルCDのジャケットです

 

 バルトークのお目覚めはジョージ・セルのサンプラーで「中断された間奏曲」を聴いた時です。中々面白い曲だなぁと思いました。その後全曲が収録されたレコードを購入したのはもちろんです。それからというものストコフスキーや、オーマンディ、ライナーの演奏なども集めました。一番印象に残っているのはブーレーズが1975年に来日したおりBBC交響楽団と演奏した演奏です。なんとこの放送音源がYouTubeにアップされているでは有りませんか。映像で見た演奏は強烈です。貼付けます。

 

 

 

 そういう体験が有り、ついには2004年には小沢征爾がサイトウキネンで演奏したコンサートまで出掛けていきました。小沢征爾は以前は原点版で演奏していましたが最近は後の改訂版で演奏していました。一般には初演版ではなくこの改訂版が使われますからこちらの方が収まりがいいです。もちろんシャイーもこの改訂版で演奏しています。コンセルトヘボウは長い歴史の有るオーケストラですから、結構録音があるのかなと思いましたが、ドラティ(83)が有るだけで、ハイティンクも録音しませんでした。不思議です。まあ、ドラティ盤は名演ですが、このシャイー盤も中々見事な演奏です。本来ならこのオーケストラの機能性を活かしてバルトークの主だった作品はレコーディングしてほしかったのですが、今の処存在するのはこの1枚しか無いようです。

 最近のバルトークのこの曲の録音は作品自体が既にクラシック化してしまったのか、どうも刺激的な録音が無くなってしまったかのように思えます。さきの小沢の演奏もオーケストラの上手さを発揮したそつの無い演奏では有りましたが、今ひとつインパクトに欠けるものでした。ブーレーズも最近は丸くなってしまいましたから、なかなかみりょくてきなろくおんにはめぐまれなかったのですが、このシャイー盤は久しぶりに満足のいくものでした。

 

 管弦楽のための協奏曲は、冒頭から遅いテンポで開始されます。コンセルトヘボウは1977年にコンドラシンが客演したライブを聴いていますが、こちらも遅いテンポの演奏でした。弱音の美しさはシャイーが一歩抜きん出ていますが、音楽の彩りはよく似ている様な気がします。

 処でシャイーは、やはりベースがオペラ指揮者ということがあって、ここでもドラマ性を曲の中に持ち込んでいます。一聴してその細やかな配慮の行き届いた音造りに唸らされる。オーケストラの響きを熟知して弦楽器の暖色系の音色をベースに細部を磨き上げることで、管、打楽器も音量とフレージングが高度に制御されていて、よくブレンドしています。それゆえ、初期のブーレーズのような即物的なバルトークならではの野趣性とはまた一味違った「洗練」に通じる価値観にあり、音楽の起伏がよりドラマティックに表現されています。
 
 第2楽章は第1楽章のゆっくりしたテンポとは対照的にリズミカルな音楽づくりをしています。かといって淡白な表現ではなく、弦のフレージングに粘りをもたせて、この楽章の主役である管のファゴット、オーボエ、クラリネット、フルート、トランペットの旋律を引き立たせています。中間部の金管のコラールはここでは幾分押さえて表現されています。処でこの曲は1942年に作曲されていて、よく第4楽章がショスタコの交響曲第7番の第1楽章のパロディになっていることが指摘されていますが、小生はこのコラールにもショスタコに対するアイロニーが込められている様な気がします。なんとなれば、ショスタコの交響曲はこういう金管のコラールがどの交響曲にもちりばめられているからです。折しも、交響曲の1942年は交響曲第7番の初演された年で、アメリカでもその年の7月に初演されています。トスカニーニの演奏は全米に流れ、バルトークもこの曲を耳にしています。ショスタコのコラールはメロディが繰り返され、いやが上でも耳に残る音楽ですが、バルトークはさっぱりしたものでまるでガブリエールのようにさらっとした旋律で、シャイーもその点を理解しているが如くあっさりと仕上げています。

 

 第3楽章はエレジーでシャイーは、ことさら哀歌を強調するテンポでゆっくり演奏しています。このテンポはアダージョを得意とするカラヤンばりのテンポです。ゆっくりしたテンポは簡単そうに見えますが、上手いオーケストラでなくては間延びした演奏になってしまいます。その点コンセルトヘボウの弦は流石です。美しさの中にも緊張の糸が張り巡らされています。

 

 第4楽章は、軽い気分の楽章で、民謡風の主題を中心に書かれているますが、上手く戦争の主題を中間部に取り込んでいます。その「中断」とは曲の中盤で乱入してくる騒々しいこの「戦争の主題」の旋律のことです。で、これを打ち消すトロンボーンのグリッサンドによる「ブーイング」と木管楽器による「嘲笑」が特徴的です。ただ、個人的にはもう少しこの楽章のパロディ性を強調してもいいかなというぐらいシャイーはあっさりとした表現で切り抜けてしまっています。ちょっと残念。この楽章はドラティ盤の方がいいかな。

 

 最終楽章も客観的演奏で、テンポは疾駆感をやや押さえた表現になっています。コンドラシンはこの楽章では大見得を切ってややディフォルメ的に演奏させていますが、シャイーはあくまでも冷静です。それでいて弦はアインザッツをきちんと揃えさせて、きっちりしたインテンポの中でアクセントの強弱で音楽を組み立てています。コンドラシン時代はヘルマン・クレバース、ドラティのもとではヤップ・ヴァン・ズヴェーデン、そして、このシャイーの録音時はヴェスコ・エシュケナージがコンサートマスターを務めていますが、さすが伝統の有るオーケストラをきっちりと纏めています。シャイーの音楽は、その確固たるアンサンブルの中で絶妙なバランスでオケを鳴らしています。デッカの録音は、フィリップスと違って渋さの中にも明るい音色がちりばめられています。この第5楽章はそういう特色が光るところで金管をオペラのアリアのように目立たせながら全体はきっちり枠の中に収め見せ場を作っています。素晴らしいフィナーレです。シャイーの演奏は特にお気に入りの第2楽章を貼付けておきます。

 

 

 不思議なことに、2曲目に収録されているバレエ音楽「中国の不思議な役人」は、ほとんど音源を所有していません。どうしても「弦チェレ」になってしまうんですね。多分、日本ではバルトークの代表作としてあまり名を挙げられる作品とはなっていない気がするのですが、どうでしょうか。オリジナルジャケットにはバレエ音楽と表記されていますが、作品は「1幕のパントマイムのための舞台音楽」で基本的にはバレエ音楽ではないようです。しかし、聴こえてくる音楽はストラヴィンスギーの代表作である「ペトルーシカ」や「春の祭典」の音楽で、変拍子が多用されているのも近似性を伺えます。このシャイー盤は、インデックスが細かく振られているので、そういった意味でも曲のことがよくわかる面白さがあります。ネットで検索すると下記のサイトにこの曲のテクスチュアが細かく記されていますので興味のある人は参考にして下さい。

 

 

 シャイーの演奏スタイルは「管弦楽のための協奏曲」と同様で、舞台の情景を思い浮かべながら聴くことが出来る、これまたドラマチックないかにも現代的な洗練されたオーケストラサウンドが堪能できます。コンセルトヘボウ管弦楽団は不思議なことにあまりバルトークの作品を録音していません。それだけにこのシャイーの録音は貴重です。シャイーはそういう部分でコンセルトヘボウの秘めた魅力を開花させている様な気がします。なを、管弦楽のための協奏曲はホールトーンをたっぷりと取り入れた録音、それに対してこちらは近接マイクを使ってよりシャープな録音になっています。それでいてデッカらしさをより感じさせるのはやはり、ベテランのジョン・ダンカーリーの力でしょうか。分離の良い素晴らしい録音が効果的で、舞台のパースペクティブが実感出来ます。