
十五歳の鉄蔵(後の北斎)は絵の勉強のためはじめて吉原へ足を踏み入れる。絢爛たる賑わいと性の快感を体験した鉄蔵はその後、女体修行を重ねやがて女掏摸の“かえで”と所帯を持つ。彼女の紹介で画家の勝川春章の弟子となった鉄蔵は浮世絵師・北斎として活躍を始める。その後も北斎は平賀源内の妾・お富、花魁の胡蝶、料理屋の娘、花火屋の女房たちと情を重ね、絵の研鑚に務めてゆく。破天荒な天才の生涯を描く異色の長篇時代小説。---データベース---
大下英治氏の作品としては2作目です。時代小説ということで取り上げていますが、まあ一般的な本ではないのでネットには湖の本里書評というものは存在しないようです。見方によってはポルノ小説ですからね。(^▽^)しかし、時代小説という側面から読むと、中々興味深いものを読み取ることが出来ます。江戸時代の浮世絵絵師の少なからずは、春画を描いて生業としていたのですから・・・北斎もその例外ではなかったということがこの小説で分ります。何となればこの本の表紙の絵は北斎の傑作の一つとして知られている「蛸と海女」なんかはその最たるものですし、ネットでも数々公開されています。

ここでは北斎が15歳で吉原へ足を踏み込むところから始まります。まだ、勝川春章の門下に入る前ですね。遊女から女との睦ごとの伊呂波を教えられ、絵画の世界へ開眼していきます。wikiでは北斎の妻のことはほとんど記載されていませんが、、ここではその最初の妻となる「かえで」との出会いについても描かれています。史実かどうかは分りませんが、この妻は女掏摸師であったという設定になっています。いかにもドラマチックな設定です。この最初の妻との間には、長女:お美与 - 北斎の門人の柳川重信と結婚するが離縁。長男:富之助-中島伊勢の家督をついで早くに 亡くなっている 次女:お辰(またはお鉄)-画才があったが早くに嫁いで、病気で亡くなっている がいました。しかし、母親は、突然に子供を残して失踪しています。小説ではこの母親は最初は天涯孤独ということでしたが、後に失踪したのは島抜けの兄がいたからで、また、花魁の妹がいたという設定になっています。まあ、ここら辺は作者の想像の産物なんでしょうな。
ここでは北斎の生涯に沿った形で周辺に起こる色事を中心に進められていきます。後妻となったお紺については武家の娘ということになっていますが、その出会いがお紺の裸像を描いたことから一目惚れというのも面白い設定です。このお紺は、仇討に関わり父親が死ぬことで一人身になるのですが、それにしても2度結婚していたというのは事実ですからこういうこともさもありなんという女関係です。章立ては以下のようになっています。
第一章 鬼気迫るおんなへの執念
第二章 色の道は絵の道につづく
第三章 花火に似た世の情け
第四章 修行は死に至るまで
第二章 色の道は絵の道につづく
第三章 花火に似た世の情け
第四章 修行は死に至るまで
タイトルこそ全体にはスポーツ紙によくあるポルノ小説仕立てです。少々品はありませんが、史実に基づき歌麿や蔦屋重三郎をはじめ、山東京伝、滝沢馬琴などの周辺人物も多数登場してストーリーを盛り上げています。北斎が勝川派を破門になる件り辺りは、史実ではつまびらかでありませんが、ここでは最古参の兄弟子である勝川春好との不仲説に基づいて飛びだとていく様が語られます。北斎は当時としては珍しく90歳まで長生きをした人物です。まあ、そんな年までおんなへん歴をしたとは思われないので、ここでは天保2年(1831)年の北斎までが描かれます。これでも、北斎71歳ですからね。大したものです。
北斎の絵師としてのエピソードは数々ありますが、ここでは文化元年(1804年)の4月、護国寺境内での大達磨絵を書くパフォーマンスを取り上げています。なにしろ、このイベントで北斎は前妻の「かえで」と再び出会うことになるのですから。そして、表紙絵にもなっている「蛸と海女」にまつわる話は、文化14年(1817年)に播磨の国は明石に旅した時のエピソードとして登場します。この蛸は明石の蛸だったんですねぇ。
普通の伝記とはスタンスが違いますから俄には信じられない記述も多数存在しますが、作品執筆にあたり作者が参考にした資料の一覧が巻末に列記されています。中々多岐に渡る資料を参考にしていることが分ります。春画関係は当然ですが、中には石川英輔氏の「大江戸テクノロジー事情」とか稲垣史生氏の「時代考証事典」なんかにもあたっていますからそれほど的外れな記述は無いものと思われます。葛飾北斎が戯作者として「笑本股嘉里像志(えほんくらがりぞうし)」なるものも出版していたとは知りませんでした。元々は彫師としてスタートし、器用に何でもこなした人物なので、こういう艶本もものにしていたのでしょう。北斎の意外な一面を知ることが出来ました。