
「大人になったらベルリン・フィルの指揮者に」という子供の頃からの夢を実現し、ついに世界最高峰のオーケストラの指揮台に立った著者。本書はその若き日の奮闘記。突然の曲目変更で徹夜、ひと癖もふた癖もある天才演奏家に苦悩、名門オーケストラのプレッシャーで眠れる夜…さまざまな壁にぶつかりながらも、夢に向けて努力を続けるその姿に誰もが大きな勇気をもらえる1冊。---データベース---
以前取り上げた「僕はいかにして指揮者になったのか 」の続編の様な内容です。こちらはブザンソンで優勝して以降のフランスを中心とした活躍を綴っています。もとは、CDジャーナル(1997年5月号~2001年4月号)に連載されていたエッセイをまとめた物ですが、ただ再録するだけではなく、そのエッセイの最後にはその話に基づくエピソードがさらに追加されています。まあ、今から遡ること10年前のこの当時、コンセール・ラムール管弦楽団を中心に活動し、ボルドー、チェコ、マルメ、ミラノ等欧州各地のオーケストラを振るために飛び回っていた演奏記録の様な側面もあります。ただ、どうしても彼がベルリンフィルにデビューした直後の2011年6月に発売されているので便乗商法に乗って急遽纏められたという感はあります。
ブザンソン指揮者コンクールで優勝した指揮者のエッセイは3冊目でしょうか。小沢征爾(1959)、松尾葉子(1982)、そして佐渡裕(1989)です。小沢征爾の「僕の音楽武者修行」はつとに有名ですが、松尾葉子氏のエッセイは「揮者にミューズが微笑んだ」があるんですけどあまり知られてないかな?どれも、ブザンソン指揮者コンクールにまつわる話は面白いですね。で、ここではブザンソン以降の活躍が綴られています。佐渡裕といえば、ラムルー管弦楽団です。まあ、のだめカンタービレの千秋真一を地でいったような展開です。元々はレコーディングにも活躍していたオーケストラで、ラヴェルなんかはこのオーケストラで「ボレロ」を録音していますし、ジャン・マルティノンやイーゴリ・マルケヴィッチなどが常任を務めていました。今年の「ラ・フォル・ジュルネ」ではこのオーケストラが登場しますが、先の「La Folie Francaise『フランスの熱狂』」で取り上げたシャブリエの狂詩曲「スペイン」やフォーレの「パヴァーヌ」なんかはこのラムルー管弦楽団が初演しているのです。ただし、この本で佐渡氏はラヴェルのボレロを初演したオーケストラと紹介していますが、これは事実ではないようです。何となればボレロはバレエ曲で、本当の初演はワルテル・ストララム(Walther Straram)の指揮、イダ・ルビンシュタインのバレエ団によって行なわれています。演奏会形式の初演という意味ではラヴェルはラムルー管の指揮台に立っていますのであながち間違いではないんですけどね。
ラムルー管弦楽団と佐渡裕の結びつきはこのオーケストラに再興のチャンスをもたらし、レコーディングに復活すると供に財政的にも立ち直る支援を勝ち取っています。このコンビの最初の一枚はナクソスから発売されましたが、以降はエラートがセッションを録音しています。「ボレロ!」と題された一枚はテレビCMにも使われたので記憶のある方もあるのではないでしょうか。佐渡氏のエッセイは楽しいもので気楽に読めます。そのなかで、このラムルー管弦楽団のこともあちこちに書き散らかしていますが、面白いのはラムルー管のコンサートマスターは、バリ管の第2ヴァイオリンのトップも兼ねているということです。ですから、佐渡氏がこのパリ管にデビューした時は、リハーサルに入るときラムルーのコンサートマスターのクリスティアン氏が佐渡氏を紹介したということです。
この中では、佐渡氏がパリの4大オーケストラ、パリ管、ラムルー管、フランス国立管弦楽団、そしてフランス放送フィルと全部を制覇していることを自慢しています。多分、この4つのオーケストラを全部指揮している指揮者は他にはいないのではないでしょうかね。まあ、ポジション的にはラムルー管はマイナーということでしょう。現在の指揮者はファイサル・カルイですが果たして、このコンビでメジャーから録音は発売されるでしょうか?
バーンスタインの最後の弟子ということで、PMFへは長年にわたって関わっていましたし、バーンスタインが実践した「ヤング・ピープルズ・コンサート」の日本版を続けているのも佐渡氏です。また、様々なアーティストと共演して話題になっているのも特徴でしょう。この本でも坂本龍一、山下洋輔、ジャズトランぺッターの原朋直と登場していますし、一万人の第9企画などにもチャレンジしています。
この本を読むまで知りませんでしたが、佐渡氏は2000年のシーズンからミラノ・ジュゼッペ・ヴェルディ交響楽団の第1主席客演指揮者に就任していたのです。まあ、この経緯は本を読んでもらうとして、リッカルド・シャイーがシェフを務めるこのオーケストラ、カルロ・マリア・ジュリーニが存命の時は、たびたびこのオーケストラを振っていたとのことです。その関係からマエストロ・ジュリーニの家へ招待されヴェルディとプッチーニの違いを勉強するようにとアドバイスを受けています。
ドイツの正式デビューはベルリン・ドイツ交響楽団でした。それも、共演したピアニストのポゴレリッチだったそうですが、いざドイツに乗り込むとポゴレリッチはキャンセル、急遽ペーター・ヤンブロンスキーに出演依頼してガーシュインのピアノ・コンチェルトとシェエラザートを振りハプニングを乗り切ります。そして、感動はコンサートの後にやって来ました。オーケストラが去っても終了後いつまでも観衆の拍手が鳴りやまず、1人でステージに呼び出されるのです。一流指揮者では良くあることですが、この観衆の温かい歓迎に佐渡氏は涙です。もちろん自身初の体験です。
さて、この本はベルリンフィル・デビューまでは書かれていません。なにせ、1997/01~2000/12のエッセイですからね。しかし、最後のエピローグで2011年のベルリンフィルデビューまでの間にオーケストラからオファーがあったことを告白しています。1999年秋、トイレの中でその電話を受け取ったそうです。アバドの代役での定期演奏会の出演依頼で、オール、ストラヴィンスキー・プログラムだったそうです。まあ、スケジュールの都合で幻となってしまったわけです。
2011年のベルリンフィルデビューからはや2年、次の登場はいつか?まあ、焦りなさんな。ドイツのオケは悠長なもので、次回のお声がかかるのは早くて3年掛かるといいます。まあ、来年辺りですな。それが実現したら佐渡裕は本物でしょう。もう少し待ってみますか。最後に、彼の飛躍の原点となったラムルー管とのバーンスタインの「キャンディード」序曲を聴いてみましょう。