トスカニーニのショスタコーヴィチ/「レニングラード」 | geezenstacの森

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トスカニーニのショスタコーヴィチ
「レニングラード」

曲目/ショスタコーヴィチ
交響曲 No.7 ハ長調 Op.60 「レニングラード」 (1941)
1. Allegretto 28:52
2. Moderato poco allegretto 10:44
3. Adagio 17:59
4. Allegro non troppo 14:43

 

指揮/アルトゥーロ・トスカニーニ
演奏/NBC交響楽団

 

録音/1942/07/19 NBC-8Hスタジオ

 

SME 886977916312-22

 

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 この「レニングラード」という曲は、作曲された当時、対ファシストの象徴として非常にシンボリックな扱いを受けた曲です。そして、初演もこの年に行なわれている、いわば、バリバリの現代音楽でした。この曲の世界初演は、1942年3月5日に臨時首都・クイビシェフにてサムイル・サモスード指揮、ボリショイ劇場管弦楽団で行なわれ、初演後、楽譜は「国家機密」扱いとされクイビシェフでマイクロフィルムに収められた後陸路でテヘランに運ばれカイロ経由で連合国側国家に運ばれています。西側の初演はイギリスで、同年6月29日ヘンリー・ウッド指揮のプロムスにおいて空襲で破壊されたクイーンズ・ホールに替わり、ロイヤル・アルバート・ホールにて行なわれています。当然、連合国の巨頭であったアメリカでも、戦意高揚の一環ということもあり、この記念碑的な作品のアメリカ初演という名誉を担わんと、多くの指揮者が名乗りをあげました。その指揮者というのが、クーセヴィツキー、ストコフスキー、オーマンディ、ロジンスキーといった、アメリカで最も著名な指揮者達で、それぞれ、ぜひとも自らの手で初演したいという意気込みに燃えていました。その争奪戦の結果、放送初演はトスカニーニ、公開初演はストコフスキー、初録音はクーセヴィツキーで決着したのです。放送初演という名目こそトスカニーニでしたが、この演奏はNBCの8Hスタジオで公開演奏形式で放送されたので、実質的な初演はトスカかニーニが射止めたことになります。この演奏は、その記念すべきアメリカ初演の演奏そのものなのです。

 

 しかし、この1942年という年はトスカニーニは一旦NBC交響楽団を辞任していた時期で、初演権を争っていたストコフスキーが実際には常任指揮者の地位(1942-1944)にあったのです。また、ストコフスキーはショスタコの交響曲第5番を西側初演、6番は世界初録音をしたという実績がありました。よって、トスカニーニは泣き落とし作戦でストコフスキーを懐柔したというエピソードが残っています。そんなことで、言いくるめられたストコフスキーは12月13日にこのNBC交響楽団と演奏会においてこの曲を演奏しています。それも、録音として残っていますが、肝心の初録音を担うことになったクーセヴィツキーの「レニングラード」の録音はネットを検索しても見つかりませんでした。クーセヴィツキーはこの頃ボストン響のシェフでしたから録音は当然ボストン響とのものだと思われるのですが・・・・

 

 何時もながらの脱線で前置きが長くなりましたが、このトスカニーニの「レニングラード」は良くも悪くも初演の演奏らしいと思います。近似の演奏では手持ちにチェリビダッケ/ベルリンフィルの1946年の録音のものがありますが、「レニングラード攻防戦」は、1941年8月から1944年1月19日にまで及ぶ長期戦でしたから時代的にいえばトスカニーニの演奏は戦時中、チェリビダッケの演奏は戦後のものということが出来ます。

 

 

 さて、実際の演奏の方ですが、一聴してみるとトスカニーニの演奏にしてはかなりテンポが揺れているのが解ります。初演ということもあるのでしょうが、かなり恣意的に主題を強調したり、フレーズ毎にリタルダンドをかけたりと、かなり放送を意識した演奏をしています。全体としてはかなりアグレッシブ、例によって残響ないスタジオですから、かっちりとした表現でアタックはハッキリと硬くつけられ、音楽の流れも前に畳み掛けるような勢いがあり、白熱した印象を強く受けます。戦意高揚といった政治的側面もあり、旋律線を強調するために楽器のバランスも今聴くとやや不自然で、ソロ楽器にマイクを立てているのかオーボエなどはっきり聴き取ることが出来ます。

 

 第1楽章の「戦争の主題」が小太鼓のリズムにのって楽器を変えながら12回繰り返される部分は音の強弱よりも、この演奏では、対ファシストという意気込みに燃えていることもあるのかメロディーを歌わせるという視点で演奏しています。そのため、幾分音楽の流れが停滞している部分も見受けられます。トスカニーニことですから、この新曲ももちろん暗譜で指揮したのでしょうが、集中力は凄いものです。オーケストラは多分必至になって演奏していたことでしょう。ただ、何時ものインテンポのトスカニーニではないところがあり、急激にテンポを落とす様なところは名手揃いのオーケストラもいささか破綻しているところが散見されます。ただ、祖国のイタリアもファシズムに席巻されているという世界情勢ですから、対ファシストという明確な方向性を持った曲というかなり特殊なケースでの初演なので、25分あたりではカンタービレを駆使したトスカニーニのうなり声もそのまま収録されていていて、この曲にたいする彼の意気込みが感じられます。

 

 この演奏で一番注意を引くのは第2楽章でしょう。Moderato. Poco allegretto「回想」と題されたこの楽章は、ショスタコーヴィチの曲にトスカニーニの回想を重ねている様な演奏です。ソロ楽器がいろいろと登場して来ますが、中間部では思いっきりテンポをいじって、急に早くなったかと思えば突然テンポを落としたりと慌ただしい演奏を繰り広げます。ここでのオーケストラの混乱ぶりはこちらが聴いていてハラハラするするほどのものです。こういう点があってか、ヴォルコフの証言なんかではこのトスカニーニの演奏は酷評されています。まあ、普通の指揮者では絶対やらない恣意的な演奏です。

 

 そんなこともあり、この演奏は代表的なショスタコーヴィチの交響曲第7番の演奏という評価はつけにくいのですが、常任を退いていたNBC交響楽団で、是非ともこの曲を演奏したかったのは、祖国イタリアのためでもあるという裏読みが出来るからなのではないでしょうか。第3楽章は「祖国の大地」、第4楽章は「勝利」と付けられています。この1942年はムッソリーニのファシズムにイタリアは蹂躙されていました。そういう祖国に対する熱い思いもこの演奏には込められている様な気がしてなりません。

 

 皆さんはこの演奏にどういう思いを抱かれるんでしょうかね?