晴天に恵まれた「名古屋まつり2012」でしたが、小生はあいにくの仕事となり2日間ともほとんど参加することが出来ませんでした。ということは予定していた小牧市で開催された「信長ウォーキング」にも参加出来なかったということです。それでね。日曜は何とか午後2時に仕事のけりを付け、重点的に何とか名古屋市博物館と名古屋市美術館は回ることが出来ました。
名古屋市博物館は1977年に開館していますが、今年まで一度も足を運んだことがありませんでした。以前の駅ちかウォーキングで入り口付近はちらっと立ち寄りましたが中に入るのは初めてです。今でこそ時代小説に夢中になっていますが、ほんの2年ほど前までは日本史すら興味が無かったのですから、NHKの大河ドラマもさっぱり見たことがありません。坂本龍馬もNHKの大河ドラマではなく、TBSの「仁-JIN」の登場人物として描かれた方しか見ていません。(^▽^
でも、古代史は興味がありました。なにせ、今すんでいる近くに貝塚があったのですから。西志賀貝塚というところですが、現在小生の通院する「名古屋市西部医療センター」もその古墳群の一角に含まれるところで、建設前には長々と発掘調査がなされていました。






名古屋城のお堀からは「銅鐸」も発見されたそうですが、この名古屋城築城については10月22日の地元中日新聞の記事に、この地が安定した熱田大地の上にあり、家康はそれを見越して清洲の街を丸ごと「清洲越し」で移したのは地震対策もあったのではということが書かれていました。なるほど、上の古代の地図を見ても納得出来る説です。清須城は蛇行する川の三日月この中に建てられていますもんね。


さてさて、名古屋の街は丸ごと引っ越しの新しい街として作られたので区画割りが碁盤の目状です。下は正徳4年(1714年)の名古屋の地図です。江戸時代から都市計画がなされていたことが解ります。東の端は大きな囲みは「建中寺」という寺です。とすると、熱田神宮はもっとずっと下になりますから、下の囲みは東本願寺でしょうかね。その下の写真は当時の名古屋の繁栄を描いた城から熱田へ至るメインストリートの賑わいです。
まあ、こういう古文書というか資料が展示してあるとついつい見入ってしまいます。しかし、この日は午後4時半までに名古屋市美術館もいかなくてはなりません。明治から昭和の変遷は別の機会に譲って、急いで、地下鉄で名古屋市美術館に向かいます。


何とかぎりぎりの4時27分に常設展入り口に辿り着きました。不思議なオブジェがお出迎えです。美術館の作品は写真撮影不可なので掲載出来ませんが、この美術館の目玉は、モディリアーニの「おさげ髪の少女」です。開館当時、この作品の購入額が高すぎるということで物議をかもしたのは記憶の新しいところですが、今ではサム・オブ・ゼムになってしまい、ユトリロの「ノルヴァン通り」や、マルク・シャガールの「二重肖像」なんて作品の方が存在感があります。




現在展示されているのは第1室「エコール・ド・パリ」では、
海老原 喜之助 群鳥
岡 鹿之助 魚
荻須 高徳 ボールガール通り
藤田 嗣治 自画像
マルク・シャガール 二重肖像
モーリス・ド・ヴラマンク 雪の村
モーリス・ユトリロ ノルヴァン通り
マリー・ローランサン アポリネールの娘
アメデオ・モディリアーニ おさげ髪の少女
岡 鹿之助 魚
荻須 高徳 ボールガール通り
藤田 嗣治 自画像
マルク・シャガール 二重肖像
モーリス・ド・ヴラマンク 雪の村
モーリス・ユトリロ ノルヴァン通り
マリー・ローランサン アポリネールの娘
アメデオ・モディリアーニ おさげ髪の少女
などが展示されています。もう一つの目玉は「メキシコ・ルネサンス」と題された現代メキシコの作家による作品群でしょう。名古屋市がメキシコ市の姉妹都市である関係もあり、今年はメキシコ市のメキシコ国立人類学博物館( 通称MNA)で7月26日から10月21日まで「Samurai: tesoros de Jap??n」(「侍-日本の至宝展」)が開催されていました。




慌ただしい時間でしたが歴史と芸術を満喫した秋の一日となりました。