インバル/わが祖国 |
曲目/スメタナ 連作交響詩 《わが祖国》
第1曲:ヴィシェフラト (高い城) 15:22
第2曲:モルダウ 12:41
第3曲:シャールカ 10:17
第4曲:ボヘミアの森と草原より 13:31
第5曲:ターボル 11:55
第6曲:ブラニーク 14:01
指揮/エリアフ・インバル
演奏/フランクフルト放送交響楽団
録音/1988/10/12-14 アルテ・オーパー、フランクフルト
演奏/フランクフルト放送交響楽団
P:ハンス・ベルンハルト・ペーツィング
E:ディートレフ・キトラー、マルタン・フーケ
E:ディートレフ・キトラー、マルタン・フーケ
TELDEC WPCS-21034

インバルのスメタナは最初発売された時はCD1枚には収まりきらず、2枚組で発売されました。なにせ、テンポがゆっくりで80分近い演奏時間ということで、CD初期には1枚に収録出来なかったという事情が有りました。ま、現在では80分超の時間まで1枚のCDに収録出来るようになりましたから、2000年に再発された時は、ちゃんと「わが祖国」は1枚のCDに収録されて発売されました。それまで、この曲については本場チェコの歴代の指揮者で聴いて来ていましたから、どちらかというとあっさり系の演奏が多かったのがこの曲の体験でした。なにしろ、最初はターリッヒが演奏したものです。ほとんど、名前が忘れ去られているチェコの大指揮者ですが、この演奏が未だに愛聴されているのにはそれだけの確固たる主張がある演奏ということで、まあ、小生としてもこれがディフェクト・スタンダードであるわけで、クーベリックが何度この曲を録音してもこの演奏を凌駕したものはないと思っています。そういう曲ですから、このインバル盤の登場はただの勢いに乗っての登場(なにしろ当時のインバルはマーラーやベルリオーズ、ショスタコなど全集を波に乗って録音していましたからね)しただのものというスタンスでしか捉えていませんでした。
しかし、そんな中でも、ちょいと気には掛ける存在であったことも確かです。ターリッヒは速めのテンポでどの曲も劇的な表現で仕上げています。それはトスカニーニの解釈に近いものといえるでしょう。このインバルの演奏はそれと全く逆の表現を行なっています。まあ、最初の「高い城」からしてチェコの民族性を感じることは出来ません。そういうところとは全く無縁のアプローチでこの「わが祖国」を捉えています。元々タイトルに有るようにこれらの曲はひとつひとつが独立した交響詩です。それが連作の形で一つの巨大な作品を構成しています。インバルのアプローツはその交響詩の部分に特化した解釈を持ち込んでいます。ですから、1曲1曲がそれぞれ独立した物語を形成しています。「高い城」では冒頭から遅いテンポで、遠景の中緑の山の中の霧に包まれた城が浮かび上がる景色をハープの音色とホルンの悠然たる響きで描き出しています。そういう風景が浮かび上がる演奏です。この冒頭だけで、中世時代の茶色い古ぼけた城をイメージさせられてしまうのです。その後に続く音楽は、領地争いの戦いがあって、血が流れて、専制君主がいて圧政に苦しめられてという民族史をくっきりと描き出しています。うーん、非常に絵画的な演奏なんですな。タッチで言えば草書体ではなく楷書体 、それも、抽象画ではなくジョルジュ・スーラの作品のように点描画で描きながら全体はくっきりとした風景が浮かび上がる様な絵です。そんなわけで、この演奏は聴く視点をもてば交響詩としての魅力を的確に伝えてくれる演奏になっています。
それは2曲目の「モルダウ」でも同じです。この曲だけ単独で取り上げられることが多く、それらの演奏の多くはまあモルダウという川の流れを主体とした表現でゆったりというより、清流から激流になってエルベ川に流れ込むまでを描いていると言われますが、一般の演奏はどうも満足のいく流れになっていない様な気がします。このインバルの演奏はそれこそ、源流のちょろちょろとした流れは本当にゆっくりとしたテンポで描かれます。ぽつぽつと滴り落ちる水滴が少しづつ水流を集め川の流れを形成していく様が克明に描き出されていきますメロディラインの打ち出しは多分にロマンティックな表現を持ち込んでいるのでやや鼻に付く人が有るかもしれませんが、コーダに向かってのクライマックスの作り方は見事に計算されていてドラマチックです。これを絵画的演奏と捉えれば見事に表現されています。
「シャールカ」も女性的な旋律はあくまでもロマンティックに、しかし、全体は劇的にとメリハリを付けた描写でこの交響詩のもつ二つの部分を上手く描き分けています。インバルとフランクフルト放送交響楽団はこの時点で10年以上の関係を築いていますからお互いの意思の疎通はばっちりです。緻密なアンサンブルとバランスでインバルの意図したことを的確に表現しています。インバルのこの「シャールカ」を聴いてみましょう。
全体の6曲の中では後半の3曲の方が特に充実した仕上がりになっている様な気がします。全体に作品の起承転結を巧みに表現した聴かせ上手な演奏で、「ボヘミアの森と草原より」なんかは冒頭から緑の鬱蒼とした森の風景が目の前に広がります。そうしておいてから、森に住む動物たちのかわいらしい風景が、あちこち飛び回っている様な描写と平行して、ヨーロッパの森の抱く神秘性が表現されていきます。その押さえた弦の動きは、また悪魔や妖精が住むおとぎ話の世界話も感じさせてくれ、そういう世界と、人々の関わりまで表現されているスメタナの音楽をドラマチックにキャンバスの中に描いています。押さえたティンパニの響きがおどろおどろしい雰囲気を充分に感じさせてくれます。
ヨーロッパの歴史はある意味宗教戦争の歴史でもありますが、「ターボル」と終曲の「ブラーニク」はそういう人間の弱みを描いた音楽になっています。インバルはそういう人間の弱みを少々不安を煽る様な形で、メリハリを付けて句読点をはっきりつけた楷書体で表現しています。分りやすい表現です。金管の咆哮とドロドロしたティンパニの響きが血で血を洗う宗教戦争の実態を暴いていきます。まあ、こういう宗教戦争を通してチェコという国が一つに纏まっていくのですから、スメタナとしては避けて通ることが出来ない命題であったわけで、そういう意味ではこの2曲を通して、民族の誇りみたいなものを高々と歌い上げるわけです。
全体的には、これらの交響詩を劇的に描こうとすればやや陰鬱な表現になってしまうのは致し方がないことでしょう。それがこの曲のスコアを徹底的に分析したインバルの帰結といえるでしょう。歴史的に国土を多数の民族によって支配され続けて来た住民の悲哀を描いた曲で、愛国心を盛り上げるにはもってこいの作品なのですからもう少し希望に満ちた演奏という選択肢も有るのでしょうが、歴史としての真実はこのインバルの演奏が一番近い様な気がします。