
喜劇もいける、歌入り映画も、悪役も、サラリーマンものも、青春ものも、また、時には時代劇、チャンバラやくざ、ペテン師、シリアス・ドラマ───と口八丁手八丁を印象づけて、一つの役にこりかたまることを極力さけたのだ。日本の映画演劇界を駆け抜けた偉大なエンターティナーの艶話に花が咲く---データベース---
この本は週刊朝日に連載されたものを集めた戦後芸能界の裏話を集めたものです。連載時のタイトルは編集部の意向で艶話めいてモノを中心にということだったようですが、結局は沿うならず、単行本として発売されたおりにはタイトルは「にんげん望遠鏡」に改められていました。しかし、この文庫に収録するにあたっては再度元のタイトルに戻されたという経緯があります。
森繁久彌氏といえばミュージカル「屋根の上のヴァイオリン弾き」は外せないでしょう。なにしろ初演の1967年から1986年までの20年間の900回の公演を、たった一人で主人公のテヴィエ役を演じて来たのですから凄い記録です。今ではダブルキャストが当たり前ですが、当時は日本のミュージカルはそういう発想がありませんでした。小生も晩年のラザールを上条恒彦が演じていたバージョンを鑑賞していますが、まれに見る名演でした。このエッセイも最初その「屋根の上のヴァイオリン弾き」の話から始まります。んと、映画版でこの屋根の上のヴァイオリン弾きのヴァイオリンを演奏しているのはアイザック・スターンですが、来日中に彼のテヴィエを観て感激したそうです。ユダヤ人以上にユダヤ人の心情を表現していたというのですね。ところが、当の森繁氏、スターンを存じ上げない。せっかく森繁のために演奏をしたいというのを反古にしてしまったというのです。もったいない話です。
戦後の映画界は「五社協定」が物を言い、専属のスターは他社の映画に出演出来ない状況が1970年頃まで続いたのですが、森繁氏は専属俳優ではなかったため、最盛期の昭和30年には日活7本、新東宝6本、東京映画2本、東宝2本の映画に出演しています。何でもこなす器用な役者が功を奏したのでしょう。氏は1947年 東宝『女優』でスクリーンデビュー、1950年には新東宝 『腰抜け二刀流』で初主演しています。ですが、元々は舞台俳優ですし、戦前はNHKのアナウンサーとしても活躍していました。そんな時のエピソードも収録されています。
満州に渡っていた森繁氏はそこで、満州建国10周年の記念式典に駆り出されます。式典では「満州建国10周年の歌」が披露されるのですが、その歌を作曲したのが山田耕筰です。ところがこの歌とんでもない駄作だったそうで、宴会の席で森繁氏はそれをクサしたそうです。ところが相手もさにあらず、当の山田耕筰氏は森繁氏をホテルの自室に呼び寄せ、なぜ駄作かを聞き及んでたそうです。いわく、満州国は多民族の国家で、その誰もが納得する様なメロディとリズムを取り入れてほしかったと・・・後年、「山田耕筰を偲ぶ夕べ」が催された時に森繁氏が呼ばれたのはそんなエピソードがあったからでした。
このエッセイ集には森繁久彌の人となりを垣間見るエピソードがいっぱい詰め込まれています。その一つに「森繁劇団の思い出」というエッセイが載っていま業界のボス、菊田一夫氏から提案されたのだそうです。座員は森繁一人、演目によってその都度俳優を集める形式なんだそうです。1959年に旗揚げ公演をしますが、座長公演というのはなかなか骨の折れるもののようです。その中に、新米役者の薄給ぶりを哀れんで、せめて腹だけはいっぱいにしてやろうと、楽屋に「森繁飯店」を作った話が出て来ます。食道楽の谷晃という玄人はだしの役者がいて、献立を仕切っていたそうです。そして、手すきの女優陣がこれを手伝うのですが、この料理に熱が入り、舞台の出を忘れることもしばしばだったとか。という今では考えられないエピソードが語られています。
WIKIには森繁氏の趣味は「ガン」だったということが書かれていますが、この本の中では唯一の道楽はヨットでクルージングをすることだと述べています。船は最初は「メイキッス号」、石原慎太郎氏に頼んでこの船を手に入れる話、そして、「ふじやま丸」。こちらは1964年に白崎謙太郎設計により73フィートの鋼鉄製ケッチ「ふじやま丸」を建造しています。これがいかに大変なものだったか。例えば船舶法、船員法などにより船であり続けるためには専任の船長、機関長が常時必要なのであります。その船に招待客を乗せて豪華なクルージングに出かける話も出て来ます。何でも、ヨットをはじめたのは中学生の頃というから年季が入っています。
映画にドラマにそして、シンガーソングライターとしてレコードまで出していいます。いわずと知れた「知床旅情」です。こちらがオリジナルで1963年に発表憂されています。加藤登紀子のカバーは1971年です。
この本のタイトルの「望艶鏡」画感じられるのはその共演女優の多さでしょう。戦前の大女優から現役では加賀まりこ、樹木希林、ジュディ・オング、松坂慶子、和田アキ子、泉ピン子、大竹しのぶ、引退しましたが山口百恵とも共演していたのですな。浮いた話はあまり聞かれませんでしたが、昭和を代表する俳優の一人であったことは間違いありません。絶版のようですから、古本屋でも捜してみて下さい。