ストラヴィンスキー
自作自演「春の祭典」
曲目/ストラヴィンスキー
1.バレエ音楽「ペトルーシカ」 33:46
2.バレエ音楽「春の祭典」* 31:26
指揮/イゴール・ストラヴィンスキー
演奏/コロンビア交響楽団
録音/1960/02/12,15,17 リージョンホール、ハリウッド
1960/01/05,06 ニューヨーク*
演奏/コロンビア交響楽団
録音/1960/02/12,15,17 リージョンホール、ハリウッド
1960/01/05,06 ニューヨーク*
P:ジョン・マックルーア
SONY BMG 88697103112

ストラヴィンスキーの自作自演はすでにレコード盤で「火の鳥」と「ペトルーシカ」に付いて取り上げています。ですからここでは敢えて「春の祭典」について取り上げます。こちらは勿論CDで、2007年に発売された「ストラヴィンスキー・エディション(22CD)」の中の一枚です。LP時代は最初何巻にも分けて発売され、1982年に「ストラヴィンスキーの遺産」として31枚組のセットで発売されました。価格は71,000円、まあ、高くて手が出なかったのでカタログで眺めるだけだったんですけどね。
当時のCBSはワルター/コロンビア交響楽団で、ステレオ録音を進めていましたが、それと平行してストラヴィンスキーのエディションも進めていました。まあ、ストラヴィンスキーがカルフォルニアに住んでいたことと、臨時編成のコロンビア交響楽団を効率的に運営するためにサブ・プロジェクトとして活用したという側面が無いではないでしょう。しかし、当時は現役の作曲家であり、世界各地で自作を指揮する指揮者でもあったストラヴィンスキーを担ぎ出してのこの企画は称賛に値するものです。当時の自分としては、ワルターの録音より、こちらの方に興味の対象がありました。何しろ作曲者が自作を指揮するのですから、他の指揮者が指揮するものよりもその客観的存在価値があります。要するにディフェクト・スタンダードというものですね。多分、こういう形で発売された最初の作曲家では無いでしょうか。ピエール・ブーレーズ辺りは自作を指揮してそれなりの作品を残してはいますが、ここまで多岐にわたる作品群を収録したエディションにはならないでしょう。時代が違うのは当たり前ですが、ベートーヴェンやモーツァルトが自作自演を残していたら、職業指揮者の活動は今とはかなり違うものとなっていたことでしょう。そういう意味で、ストラヴィンスキーが教科書的な解釈で自分の思う曲のあり方を記録して残したということに重要な意義があると考えます。
一般的に言って、自作自演盤は面白みに欠けるというのが通説になっています。まあ、当らずも遠からずというところでしょう。小生がHPで取り上げている私的ベスト3もドラティ、ブーレーズ、ハイティンクということで自作自演は蚊帳の外です。やはり、面白みには欠けると言ったところなんでしょうね。しかし、今回CDで自作自演盤を手に入れたことによってちょっと様相が変わって来ました。じっくり聴き込んでみると、これはやはりディフェクトスタンダードとして価値のある演奏に思えて来たのです。録音データを確認してみました。昔は表面的にコロンビア交響楽団の演奏だと思っていましたが、よくよく見るとロケーションが違います。この「春の祭典」だけは同じコロンビア交響楽団ですが、実態はニューヨークでの録音です。多分ワルターと同じようにニューヨークフィルを中心としたオケである可能性があります。あるいはニューヨークフィルそのものなのかもしれません。ちなみにニューヨークフィルはこの1960年の1月5、6日火曜水曜で通常コンサートはありませんし、週末はミトロプーロスがマーラーの交響曲第1番を振ったコンサートを開催していますが、多分午前中はリハーサルは無かったと思います。
まあ、そんなことはどうでもいいのですが、この「ハルサイ」はペトルーシカ」に比べて全然ホールトーンが違いますし、時期的にいえばステレオ初期にも関わらずテープヒスは少ないし、結構いい音がします。ストラヴィンスキー自身は職業指揮者ではありませんから、かなり安全運転している部分が有ります。序奏のファゴットの音色も、あまり、バーバリズムを感じる様なものではありませんし、テンポも弾む様なものではありません。でも、この音楽がバレエ音楽としての原点として考えるならば、踊り手に撮っては非常に分かりやすい、句読点のはっきりした演奏だということが分かります。第1部は8つのパート、第2部も6つのパートからなっていますが、CDでは細かくインデックスが打ってありますから各セクションごとに練習することも可能でしょう。WIKIの説明ではこの曲の版の問題はあっさり書かれています。ただ、そこにも書かれていますがストラヴィンスキーのこの録音は1960年版というものが使われているようです。1959年に来日したおりにNHK交響楽団とこの曲を演奏していますが、多分、そこでは出版される前のこの1960年版を演奏しているのではないでしょうかね。
一般には1947年版が、指揮者アンセルメの助言などを入れた一番流布している版ということで、ほとんどの指揮者はこの版を使用しているようです。そういう部分は全くの素人ですから、他人の資料を引用させてもらいますが、先に紹介したアンチェルの演奏は1947年番だそうです。興味のある人は下記のホームページを覗いてみて下さい。
この演奏のアプローチは、ストラヴィンスキーは作曲者としての立ち位置を採っています。そういう視点でこの演奏を聴くことが、この演奏の正しい理解の方法でしょう。ですから、聴いていて楽しいというという雰囲気の演奏ではありません。それでも、この演奏に惹かれるのはストラヴィンスキーの語法を理解するに最適な演奏であるからです。セッション録音ということで、パート毎にじっくりと楽器のバランスなども考慮した演奏になっていると思われます。それでは、原点としてのこの演奏を聴いてみましょう。
ここで、見えてくるのは、ストラヴィンスキーの指揮するこの曲は、造形的な演奏なんですが、決して構造的な分析の上に成り立っている演奏ではないということです。つまり、ストラヴィンスキーの演奏から感じるのは「技術的な弱点を圧倒」する「個性」ではなく、逆に、作曲者が技術的弱点を武器に、自分のイメージした音楽に忠実に従っているということなのでしょう。ですから第2部の最後の部分も、自らの指揮しやすいように改変して演奏しているのではないでしょうか。
職業指揮者との解釈の違いという意味で、今一度アンチェルの演奏をおさらいしてみましょう。こちらも比較の意味で全曲演奏バージョンです。
この「春の祭典」は、初演時、聴衆から激しいブーイングに合って大失敗に終わっています。そういう経緯を英BBCがドラマとして再現しています。ちょっと見てみましょう。この時の指揮は勿論ピエール・モントゥーですが、ここでも、そっくりさんが登場しています。
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こういう雰囲気の中でこの曲が、演奏されていたとのは、今から思うと隔世の感があります。