
われ等の春はいつ来ることやら。吉良上野介は優しい夫だった――還暦を過ぎた富子が振り返る、「松の廊下」一件以来の悪夢の日々。一途に想う江戸の女たちを描く。---データベース---
宇江佐真理さんお得意の江戸市井ものを集めた作品集です。ただ、何となくタイトル作だけ異質だなぁ、と感じていたところ奥付を見て納得しました。他の作品は2003年以降の作品ですが、「富子すきすき」だけは1999年の作品で、初出誌も「季刊歴史ピーブル」と毛色が変わっています。そうこれだけは市井ものではなく、忠臣蔵でおなじみの吉良上野介の妻である富子を扱っています。忠臣蔵ものというと、どうしても赤穂の志士と大石内蔵助の視点で描かれてしまいますが、ここではその反対の立場から忠臣蔵のその後を描いています。こういう視点から描いた作品には清水義範氏の「上野介の忠臣蔵」や西村京太郎の十津川警部シリーズの「三河恋唄」なんかがあります。収録作の初出は次のようになっています。
宇江佐真理さんお得意の江戸市井ものを集めた作品集です。ただ、何となくタイトル作だけ異質だなぁ、と感じていたところ奥付を見て納得しました。他の作品は2003年以降の作品ですが、「富子すきすき」だけは1999年の作品で、初出誌も「季刊歴史ピーブル」と毛色が変わっています。そうこれだけは市井ものではなく、忠臣蔵でおなじみの吉良上野介の妻である富子を扱っています。忠臣蔵ものというと、どうしても赤穂の志士と大石内蔵助の視点で描かれてしまいますが、ここではその反対の立場から忠臣蔵のその後を描いています。こういう視点から描いた作品には清水義範氏の「上野介の忠臣蔵」や西村京太郎の十津川警部シリーズの「三河恋唄」なんかがあります。収録作の初出は次のようになっています。
●藤太の帯---「KENZAN!」Vol.7 2008年11月
江戸・柳原の古着屋にあった、俵藤太の百足退治が描かれた帯。持ち主を選ぶというその帯が、仲良し四人娘の間を順に回っていく。
●堀留の家---「しぐれ舟ー時代小説招待席」所収 2003年9月
捨て子として一緒に育ったおかなから思いを寄せられても、弥助は、妹以上の気持ちにはなかなかなれなかった。
●富子すきすき---季刊歴史ピーブル」 1999年新春号
吉良上野介を、世間はますます悪者にしていく。「富子、すきすき」と言ってくれる優しい夫だったのに――。
●おいらの姉さん---「小説現代」 2007年10月号
「心底、女に惚れたことのない男なんてつまらない。花魁を胸に抱えてお前さんは、滅法界もなく倖せそうに見えた」
●面影ほろり---「小説現代」 2008年4月号
25歳になった市太郎は、意気地と張りのある辰巳芸者・おひさとの思い出が詰まっている深川・黒江町に、久しぶりに行ってみた。
●びんしけん---「小説現代」 2009年1月号
「しばらく居候することになっているそうだ」と、行儀にうるさい小左衛門の家に、お蝶がやってきた。お蝶は、ろくに字も知らなかった。
江戸・柳原の古着屋にあった、俵藤太の百足退治が描かれた帯。持ち主を選ぶというその帯が、仲良し四人娘の間を順に回っていく。
●堀留の家---「しぐれ舟ー時代小説招待席」所収 2003年9月
捨て子として一緒に育ったおかなから思いを寄せられても、弥助は、妹以上の気持ちにはなかなかなれなかった。
●富子すきすき---季刊歴史ピーブル」 1999年新春号
吉良上野介を、世間はますます悪者にしていく。「富子、すきすき」と言ってくれる優しい夫だったのに――。
●おいらの姉さん---「小説現代」 2007年10月号
「心底、女に惚れたことのない男なんてつまらない。花魁を胸に抱えてお前さんは、滅法界もなく倖せそうに見えた」
●面影ほろり---「小説現代」 2008年4月号
25歳になった市太郎は、意気地と張りのある辰巳芸者・おひさとの思い出が詰まっている深川・黒江町に、久しぶりに行ってみた。
●びんしけん---「小説現代」 2009年1月号
「しばらく居候することになっているそうだ」と、行儀にうるさい小左衛門の家に、お蝶がやってきた。お蝶は、ろくに字も知らなかった。
♦「藤太の帯」
平安期に近江の三上山の大百足(おおむかで)退治の伝説で知られる俵藤太(藤原秀郷-ふじわらのひでさと)の意匠をあしらった珍しい帯が、その帯を手にする娘たちにそれぞれに生きる勇気と力を与えてくれるというもので、因縁話めいた要素を用いながら、商家や武家の娘たちの恋愛や家族、親子の関係などでの葛藤や生き方を柔らかく描いたものになっています。ここでは柳原の古着屋が登場し、さながら喜十の様な男が登場します。
平安期に近江の三上山の大百足(おおむかで)退治の伝説で知られる俵藤太(藤原秀郷-ふじわらのひでさと)の意匠をあしらった珍しい帯が、その帯を手にする娘たちにそれぞれに生きる勇気と力を与えてくれるというもので、因縁話めいた要素を用いながら、商家や武家の娘たちの恋愛や家族、親子の関係などでの葛藤や生き方を柔らかく描いたものになっています。ここでは柳原の古着屋が登場し、さながら喜十の様な男が登場します。
この帯に最初に目をつける煙草屋の娘「おゆみ」で、気晴らしの散歩の途中で古着屋に飾られていた俵藤太の百足退治の意匠を凝らした帯が目にとまり、それが俵藤太の子孫に当たる自分を守ってくれるような気がして買い求めます。しかし、その病弱なおゆみは病を得てなくなり、やがて、彼女の手跡指南所で仲良しだった友人たちが形見分けとしてつぎつぎとその帯を手にすることとなります。次に帯を手にしたのは、小普請組の貧しい旗本の娘「おふく」で、思いを寄せている医者の息子が長崎に遊学するということで、自分の思いをあきらめていました。この「おふく」の家も俵藤太に繋がる家系だっで、父親は「おふく」を妾奉公に出せば小普請組から出でお役が与えられるという出世話をきっぱり断ります。おふくはその話しを弟から聞き、意を決して、俵藤太の帯を締め、医者の息子の所に行き、二人は結婚にこぎつけます。三度目に藤太の帯を手にしたのは、牢屋同心を父に持つ「おたよ」です。「おたよ」の家もまた俵藤太の係累に当たる家筋で、彼女の父親は彼女の母親が不義を働いて「おたよ」を身ごもったとずっと疑っており、「おたよ」にはつらく当たっていた。三番目の兄の養子先が決まった祝いの夜に、「おたよ」は俵藤太の帯を締めて出たが、それが父親の逆鱗に触れて、父親がずっと疑ってきたことが爆発してしまいます。ここで女たちの反乱が起こり、全員が家を出て行くと言い出します。
こうして帯は次々と娘たちの手に渡っていき、最後は回り回って、最初に古着屋にその帯を売った手跡指南所の師匠のところに戻っていきます。「藤太の帯」は輪廻のように巡り巡って末裔にまで影響を及ぼします。
人は、それぞれの置かれた状況でそれぞれに生きていくしかないのだが、ふとしたことで生きる勇気を与えられることがある。この作品はそういう姿を描いたもので、「藤太の帯」という勇気の源を得て、死を迎え、愛し、辛さを乗り越えようとする人間の姿を描いたものである。
♦「堀留の家」
両親に捨てられたり、早くに両親を亡くしたりして苦労する子どもたちを預かって育てていた堀留にある元岡っ引きの鎮五郎夫婦に育てられた男の子と女の子の話です。干鰯問屋に奉公している弥助は薮入りの日、同じく鎮五郎に育てられた「おかな」とともに堀留の家に向かいます。「おかな」は弥助に思いを寄せ、そこで二人の縁談話も起こるのですが、弥助は「おかな」の想いを知りつつも、妹のようにして育てられてきたし、両親のある家に嫁いで幸せになってもらいたいと願って、その縁談を断ります。
両親に捨てられたり、早くに両親を亡くしたりして苦労する子どもたちを預かって育てていた堀留にある元岡っ引きの鎮五郎夫婦に育てられた男の子と女の子の話です。干鰯問屋に奉公している弥助は薮入りの日、同じく鎮五郎に育てられた「おかな」とともに堀留の家に向かいます。「おかな」は弥助に思いを寄せ、そこで二人の縁談話も起こるのですが、弥助は「おかな」の想いを知りつつも、妹のようにして育てられてきたし、両親のある家に嫁いで幸せになってもらいたいと願って、その縁談を断ります。
その日から「おかな」の態度が一変し、「おかな」はやがて金持ちの老人の後添えとなって干鰯問屋に砂をかけるようにして出て行き、やがて、その老人の家の手代といい仲になって、小さな子どもを残して出て行き、行方がわからなくなります。「おかな」は、自分を捨てた母親と同じような道を歩んでしまいます。一方、弥助は、苦労を舐めてきた岡場所の遊女を年季明けを待って嫁にします。夫婦仲は円満ですが子が出来ません。弥助は鎮五郎がなくなった葬儀の時に「おかな」が子どもを捨てて逃げたことを知り、その子どもを引き取って育てていくことにします。弥助は、自分を育ててくれた鎮五郎と同じような道を歩んでいくのです。
♦「富子すきすき」
元禄15年(1702年)12月14日に赤穂浪士によって討ち殺された吉良上野介の妻「富子」の視点で、その事件が回想されていきます。討ち入った赤穂浪士たちは、ひとり大石内蔵助の命で国元に向かわせられた者を除いて、四十六人が本懐を遂げて切腹させられたが、吉良家は改易となり、後継者であった富子の孫の佐兵衛は信州に流罪となって、そこで若干21歳で亡くなっています。ところで、上野介の戒名は最初「円山成公」と言ったらしいのですが、のちに「実山相公」と改められたと書かれています。この本の中で三河の吉良若狭守が天正年間に織田信長に酔って斬首された事が書かれていますが、その日にちが12月14日なのだそうです。そんな事で戒名を変えたようです。知りませんでした。
元禄15年(1702年)12月14日に赤穂浪士によって討ち殺された吉良上野介の妻「富子」の視点で、その事件が回想されていきます。討ち入った赤穂浪士たちは、ひとり大石内蔵助の命で国元に向かわせられた者を除いて、四十六人が本懐を遂げて切腹させられたが、吉良家は改易となり、後継者であった富子の孫の佐兵衛は信州に流罪となって、そこで若干21歳で亡くなっています。ところで、上野介の戒名は最初「円山成公」と言ったらしいのですが、のちに「実山相公」と改められたと書かれています。この本の中で三河の吉良若狭守が天正年間に織田信長に酔って斬首された事が書かれていますが、その日にちが12月14日なのだそうです。そんな事で戒名を変えたようです。知りませんでした。
「富子」は、米沢藩の上杉家に養子に出した綱憲に引き取られて、そこで暮らすことになりますが、綱憲も心労が重なって42歳で亡くなり、富子もその後を追うようにして亡くなります。この作品では、吉良上野介が閨の中で「富子すきすき」といっていた言葉を胸に、事件後の富子の視点からの赤穂浪士討ち入り事件が語られていきます。浅野内匠頭がなぜ殿中で吉良上野介に斬りかかったのかの真相は流言が多く、浅野内匠頭の逆上や、将軍であった徳川綱吉の逆上など、すべてが「逆上」のなせる業だという作者の視点は、一つの視点としては納得出来るものがあります。
♦「おいらの姉さん」
吉原で産み落とされて引き手茶の手代をしている男と花魁の淡い恋物語で、花魁は逆上した侍によって斬り殺されてしまいますが、子どもの頃からお互いをかばい合ってつらい境遇を生きてきた男女が最後に血の海の中で見せるせる愛の美しい姿として昇華されていく物語です。タイトルは花魁の語源ともなった言葉のようです。宇江佐真理作品でいえば「甘露梅」のサイドストーリー的な作品になっています。
吉原で産み落とされて引き手茶の手代をしている男と花魁の淡い恋物語で、花魁は逆上した侍によって斬り殺されてしまいますが、子どもの頃からお互いをかばい合ってつらい境遇を生きてきた男女が最後に血の海の中で見せるせる愛の美しい姿として昇華されていく物語です。タイトルは花魁の語源ともなった言葉のようです。宇江佐真理作品でいえば「甘露梅」のサイドストーリー的な作品になっています。
♦「面影ほろり」
木場で育った材木問屋の息子が、母親の病のために父親の妾の所に預けられ、父親の妾であった深川芸者の気っぷの良さと相まって、まだ八歳に過ぎない息子が跡取りとして立派に成長する様が描かれています。こちらは、深川時代の「髪結い伊三次捕り物控え」のお文の様な女性がかっこいいです。
木場で育った材木問屋の息子が、母親の病のために父親の妾の所に預けられ、父親の妾であった深川芸者の気っぷの良さと相まって、まだ八歳に過ぎない息子が跡取りとして立派に成長する様が描かれています。こちらは、深川時代の「髪結い伊三次捕り物控え」のお文の様な女性がかっこいいです。
♦「びんしけん」
吉村小左衛門は、旗本であった父親と女中との間にできた子で、学問は優秀ですが、父親の死と共に母親と一緒に追い出されて、手習所をしながら細々と暮らしています。真面目で人柄も良いのですが、人相風体がよくなく嫁の来てはありません。そこに大泥棒で捕縛された父親をもつ二十歳の娘を、教育をきちんと受けさせるために預かって欲しいと奉行所の同心の依頼を受けます。
吉村小左衛門は、旗本であった父親と女中との間にできた子で、学問は優秀ですが、父親の死と共に母親と一緒に追い出されて、手習所をしながら細々と暮らしています。真面目で人柄も良いのですが、人相風体がよくなく嫁の来てはありません。そこに大泥棒で捕縛された父親をもつ二十歳の娘を、教育をきちんと受けさせるために預かって欲しいと奉行所の同心の依頼を受けます。
吉村小左衛門は、自分は男のひとり暮らしだから無理だと断りますが、突然娘が訪ねて来て、やむを得ず引き取ることになります。娘は一所懸命に学んだり、近所と親しもうとするが、気性がまっすぐで、そのために諍いが起こっります。そして、同じ長屋の意地の悪い女房が、娘が泥棒の子だと聞きつけてきて騒動を起こしてしまいます。小左衛門は、そのとき、娘をかばうことがでず、娘は出て行ってしまいます。娘が吉村小左衛門の嫁になってもいいと思っていたことを後で知り、慚愧の想いを抱きます。後悔先に立たず、といったところです。「びんしけん」は「閔子騫」と書き「残念」をしゃれていう語という解説があります。
読めば、「富子すきすき」が浮いた様な話しになってしまっていて、このタイトルもふさわしくないなあという気がします。ここはいっそ「藤太の帯」の方が良かったのではと思えます。最近の宇江佐作品は「タイトル」で損をしていますね。