年末の第九2題 | geezenstacの森

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ベートーヴェン/交響曲第9番「合唱付き」
指揮/セルジュ・チェリビダッケ
管弦楽/ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
合唱/ミュンヘン・フィルハーモニー合唱団
ソプラノ/ヘレン・ドーナト
メゾソプラノ/ドリス・ゾッフェル
テノール/ジークフリート・イェルサレム
バス/ペーター・ルカ

録音/1989年3月17日

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 1ユーロが100円を切ったという年末の為替相場、これだけ円高が進むとヨーロッパからの輸入CDが安くなるわけです。そんなことで、思わず年末にはネットショッピングに手を出しCDを買ってしまいました。その中にチェリビダッケのボックスセットが格安で目についたので一つ購入してしまいました。レコード時代は幻の指揮者と言われていたチェリビダッケですがEMIがライブ音源をCD化して90年代末に数々発売してくれました。その頃は値段も高くほとんど手を出さなかったのですが、唯一シューマンの交響曲だけは購入したものです。今回のボックスセットは本当に破格で、初出の時のCD一枚分と変わりません。そんな中でも、ドイツ本流の交響曲ばかりを集めたセットは見逃せませんでした。で、年末という事もあり、その中から最初に聴いたのがベートーヴエンの交響曲第9番です。

 チェリビダッケの演奏の特徴はすべてライブという事で、まさに一期一会の演奏が収録されているという事です。それも、手兵だったミュンヘンフィルを指揮してのホームグラウンドであるガスタイクホールでの収録で聴衆は皆大人です。曲が終わっても日本人のように終わるや否やのブラボーを叫ぶ事が無いので安心して聴いていられます。ちゃんと余韻も含めての音楽を楽しんでいます。最近日本のCDもコストの面からライブ収録が増えていますが、この終了後のブラボーが気に喰わないので買わない事にしています。

 さて、肝心の演奏は今では古いタイプになってしまったようスローテンポの第九です。長老といわれた指揮者は晩年は皆枯れてしまってテンポが段々遅くなってしまったものですが、チェリもその例に漏れません。カラヤンはそういう意味では別格でしたね。体内に独自の音楽時計を持っていたのでしょう。チェリは一時期、フルトヴェングラーの代役としてベルリンフィルを振っていましたから、そういう意味ではフルトヴェングラー流なのかもしれません。ですから、カラヤンと対立していても無理はありません。バーンスタインなんかもウィーンフィルを指揮したものはニューヨークフィルとは別人のような演奏を展開しています。

 チェリとの最初の出会いはチャイコフスキーの交響曲第5番でしたが、そこでの演奏は普通の指揮者でした。ブログで取り上げたのは他に戦時中のベルリンフィルとのショスタコの交響曲第7番です。その才気あふれる演奏は感動ものです。しかし、晩年のチェリは別人のような風貌と人格に変わってしまった様な気がします。ライブしかしないという点が神格化されて、晩年はカリスマ的な魅力を身につけていましたが、そういうところが評価の分かれ目といえるでしょう。

 最初に取り上げた曲が悪いのか、チェリにしてはどうも本調子ではない演奏の様な気がします。第1楽章はフルトヴェングラー的原始霧開始ではなく、むしろ純器楽的にとらえようとしているようにも思えます。テンポは遅いのですが、サラリとした感触なのも意外で重厚さはあまり感じられず、フルトヴェングラーの亜流と見られたくないという意識もあるのかも知れません。第2楽章はリズムの緩急に独特の個性を感じるユニークな解釈です。アイロニカルに乾いた感触なのは面白いですが、第1楽章につづく楽章としてはやや重めに感じられます。第3楽章は一番成功している楽章でしょうか。オケの響きに透明感があり、全体の柔らかいトーンは天国的アダージョです。肝心の第4楽章は可もなく不可もなしという出来です。全体にのっぺりとした平板な感じでドラマチックな起伏を感じさせてくれません。ただ、ティンパニ(おそらく、当時在籍していた天才奏者ペーター・サドロと思われます)だけはやたら張り切っています。テンポは鈍行で、各駅停車です。これが良いという人もあるでしょうが、小生には音楽が途切れ途切れに聴こえてしまいます。なにせ30分に近い演奏時間です。ベートーヴェンの精神性とはかけ離れ過ぎ、ちょっと音楽に没頭するには遅すルテンポです。ただし、独唱も含めて声楽は優秀です。そして、聴衆のマナーも最高です。

 そして、タイトルの2題とあるもう一つの演奏は年末恒例のNHK交響楽団の第九です。2011年の第九は多分最後であろうといわれているMr.Sことスクロヴァチェフスキです。これは素晴らしい演奏でしたが、如何せん曲が終わりきる前にブラボーが飛びせっかくの名演を台無しにしていました。本当に音楽を愛している輩とは思えない愚行です。NHKはこういう定期会員は排除すべきです。

指揮/スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ
演奏/NHK交響楽団
ソプラノ/安藤赴美子
アルト/加納悦子
テノール/福井敬
バリトン/福島明也
合唱/国立音楽大学(合唱指導/田中信昭、永井宏)

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 スクロヴァチェフスキ、長らく読響の常任指揮者であったためN響を振るのは久しぶりです。彼の第九は2005年に読響と演奏していますが、その時は第2楽章が早くてオケが付いて行けなかったという記憶があります。今回もそういうフレッシュな快速の第九かなと思ったのですが、実際は2005年にセッションを持ったザールブリュッケン交響楽団とほとんど変わらないタイミングです。御年88歳の長老ですが、先ほどの体内時計ではないですがほとんど変わっていないのでしょう。頭も耳もしっかりしていて音楽的には充分満足の行く演奏でした。NHKはコンサートに先立ちリハーサル風景を放送していましたが、その時写された楽譜には弦のボウイングについての彼の書き込みが映されていました。最初聴いた時は、演奏の途中からだったのですが、どうも弦の響きがいつものN響と違うと感じたものです。師事では弦の下の方を使って歯切れよく軽いタッチで弾かせているのです。改めて、録画で見てそれはやはりこういうところにあったんだと納得しました。

 映像で確認すると弦楽器は16型対向配置で、使用楽譜はベーレンライターです。しかし、そこには作曲する指揮者らしく細かい書き込みがいっぱいあるのでしょう。合唱団は何時もより多めです。ステージが一杯ですから総勢200名を超えていたかもしれません。そして、何といっても特徴は独唱陣が左手のコントラバスの奥に配置されているという事です。通常第2楽章が終わったところで独唱合唱陣が入場するのですが、この日は合唱陣は最初から舞台に整列しています。さして、独唱陣は第4楽章のオーケストラパートが終わる直前にステージ脇からそっと登壇しています。この時、オーケストラの打楽器奏者も一緒に東上しているのが確認出来ました。こうする事で第1楽章から音楽が途切れる事無く演奏されるので、これは誠に上手い対処の仕方です。

 さて、スクロヴァチェフスキの演奏時間は大体次のようになっていました。()内はチェリビダッケです。

第1楽章:15:43 (17:32)
第2楽章:13:08 (12:31)
第3楽章:16:27 (18:01)
第4楽章:24:40 (28:57)
合計: 69:58 (77:01)

 意外な事に、第2楽章はチェリビダッケより演奏時間は長いのです。まあ、これはチェリが恣意的にトリオの部分は急にスピードを上げているからで全体の演奏は鈍行と急行の違いがあります。さすが高齢という事でステージまでの足取りはおぼつかないものでしたが、指揮台にのぼり独特の短い指揮棒を振り上げた途端、ホール内の空気が一変します。速めのテンポとキレのいいヴァイオリンのボウイングが印象的なキリッとした1楽章。最初はバランス重視で均衡した演奏でしたが、徐々に力感が漲り、中盤以降はN響のパワーも全開です。この日の演奏は12月22日の初日の演奏を録画したものです。そういう部分でホールになれるまでのウォーミングアップがあったのかもしれません。第1楽章を終了したところで、何故か口をぱくぱくさせて音の鳴り方にちょっと違和感のある表情を見せたのはそのせいでは無いでしょうか。

 第2楽章は既にMr.Sも全開です。しっかりした弦のアンサンブルに金管の咆哮をかぶせて来ます。そして、N響のティンパニはこの日は素晴らしい出来で、チェリ、ミュンヘンフィルに負けていません。それにしても、一度立ち上がったらスコアをめくる事無く、暗譜で振り通します。第2楽章終了時には少々息があがっていましたが、第3楽章から第4楽章は指揮棒を下ろす事無く続けて演奏していきます。ですから音楽が途切れません。独唱陣は何時もの位置よりも左奥手ですが、歌手陣はいい出来です。特にテノールの福井敬さんの突き抜ける高音域は素晴らしい迫力でした。レコードではこういうバランスで聴く事はまず無いので新鮮です。さらに秀逸だったのは国立音大の合唱団です。非常に精度の高い大合唱で、みごとにスクロヴァチェフスキの棒に応えていました。さすが16型の音響は圧倒的です。録音からもその迫力が伝わって来ます。

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 独唱陣の登場の仕方、配置、合唱団の事前の登壇。どれをとってもすばらしく、見事な演出でした。これがスクロヴァチェフスキ氏の考え方でなく、演出家が考えたものなら以後この形を踏襲してほしいと思います。これこそが、誰かが英雄として登場するのではなく、わたしたち一人一人の人間が声を合わせて歓喜の歌を歌うという「絆」としての今の日本に相応しいメッセージにも感じられたからです。

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